雑感 52「深酒と転倒」(〆の記述) | 獏井獏山のブログ

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「大酒呑みは命がけ」

 

飲めば飲むほど高く深い陶酔境に誘ってくれる酒の大海をガブ飲みしながら泳ぎに泳ぎまくった。…しかし側面から見ると、それは将に「命がけの大酒」だったのだ。

 

 大酒と危険は隣り合わせにある。特に歩行中の転倒は頓死の危険さえ帯びており、良くて大怪我が付き物だ。飲むなら…飲んで転んで大怪我をしても「怪我で済んで良かった。」と思うだけの覚悟をして飲まなければならない。それが嫌なら飲まないことだ。

 

 私は「酒を止めること」は出来ない。飲酒は私の人生の一端だ。ただ「大怪我を覚悟してまで呑む大酒」は止めようと己に誓った。それは、「もう次は間違いなく酒どころではなくなる状態が待っていること」に加えて「家族その他の人々に迷惑が掛かること」が目に見えているからだ。

…程々に「美味い酒を(たしな)む」…これが一番だと悟った!

 

…心でそう呟いた時、ふと耳の奥の方から「お前、いま素面だから上手いこと己自身を騙(だま)くらかしているが甘い! まだ、そんな曖昧なことを云ってるようでは、酒を口にした途端に我を忘れて二の舞を食うこと請け合いだ! もっとしゃんとしろ!」という声が聞こえた。「甘い」か。「曖昧」か。もっとキチっとしたケジメを付けろということか。

 

そこで思い付いたのは役所勤務時からの大先輩である稲垣さんの飲み方である。稲垣さんも酒豪であるが、当時から最近までを通して「コップ酒」しか飲まない。盃で飲むと量が分らない、というのが理由である。そして、どのような酒宴の席でも「今日はコップ何杯」と決めている、というのだ。

これに倣うなら私にもケジメを付けた飲み方が出来るかもしれない。

 

酒の味を覚えて以来、数十年間、楽しい事の方が圧倒的に多かったが、その間に酒の所為で死の危険や血塗れ・打撲など数えきれない負の経験がある。また、その後遺症が年とともに表に現れてきている。老い先・生涯を頭に置いて考えると、その時は物足りなくても‟ほどほど”がベストのようだ。…思いきれない所を思い切る所に価値がある、と今になって悟る。

 

酒が止められない以上、今後は覚悟とケジメを決める形としてコップ酒で量を決めて飲む事にしようと思う。そうして、もう1つ肝に銘じなければならいのは、量の多少を問わず「命がけ!」の覚悟を決めて飲む事である。……それほど追い込んで飲んでも、酒は美味いに違いない。何故なら「酒は私の人生そのもの」だから……