日記 ㉑「宙に迷い上がった心」(S38.8.30) | 獏井獏山のブログ

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S38..30)

 長いこと日記を書かずにいた。5日位しか開いてないと思っている間に半月余も開いている。ズボラの穴というものは容易く出来るようだ。

 大阪へ帰った日から家計簿も抜けている。

 

 しかし、その間に色々の事があった。

 先ず、大阪へ帰ったのを機に「禅」をやってみようと思った事だ。毎日半時間ずつ座ってみる、と局長に話してきた。

 

 もう1つは、上級職試験が失敗に終ったのでこれに見切りを付け、今度は税理士の方を本格的にやろうと思う。行政の仕事に長年携わっていれば自動的に(或は簡単に)資格が取れると誰かに聞いていたのが間違いと分かったので一から取り組むしかない。

 

 あと1つは39年度の在京計画である。しかしこれには2つの関門がある。能率調査班の研修期間が終れば行政監察局に引っ張って貰うことと、生活費(現在の給与では5,000円不足)の補給である。

 まず監察局の方はコネのある上野監察官か増渕監察官あたりに頼み込めば…と植村氏が云っている。が、生活費補給方は厄介である。目処が立たぬ。何とか手蔓を見付けなければならない。

 

 9月に研修生の上原氏が九州に帰るので、8月22日に諸井氏を交えて送別会をやった。が、ほぼ割勘になったので、我々が招いた主旨は無くなった。その上、大いにやったので上原氏宅へ泊ってしまった。

 

能調班に4カ月いて自分のやっている仕事、つまり行政管理というものに興味が薄らいだ。で、上級に掛けていたのだ。受かれば他省庁へ換わる心算だった。が、元々自信の無い試験に予想通り失敗…今更騒いでもしょうがない。行管を好きになれ、というのも無理な話だが、少なくともここを仕事場として割り切ると共に少しでも住み易い所にしなければならない。能調の刑期?を終えて大阪に帰った時、果たして監察業務で引き取るだろうか。引き取って貰ったところでどれだけの自身を持って仕事が出来るだろうか。そんな推測を余所に、私はどうも総務課調整係にやられる気がしてならない。

 何れにしても芳しい話ではない。一番良いのは、本庁の行政監察局に配置替えして貰ってから大阪に帰ることである。…しかし今、解決の目処も立たない問題が自分を取り巻いている。

 

 …仕事を終えた夕方、植村氏を鈴木家に連れて行った。ビールと寿司などで大もてなしを受ける。

 

(心に迷いが生じると鈴木家に行って癒して頂いた。それ程の大恩あるのに、失念したまま長年を過ごした不義理を思うと胸が痛む。…膝をやられて約1年間、階段上がり下がりのある電車に乗れない状態で遠行動は出来ないが、出来たとしても過ぎ去った何十年は取り戻せない。時すでに遅し!無念!残念!慚愧!…許し給え…低頭)