我半③「小学校時代」(8) | 獏井獏山のブログ

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【遊び】

小学校時代から、家で勉強というものをしたことのない私は、色んな事をして遊んだ。私は、というより当時の村の子供達はみな同じだったと思う。例えば夏の間は、学校から帰ってカバンを置くと「よいしょ」と云って、裸足のまま庭に下りる。一旦裸足で地面に下りると、もう夕方まで床や畳の上には上がれない。そのまま外に出て夕方まで大概帰ってこない。仮に家の中に上がる用事があれば、四つん這いになって必要なものを取りに行くのである。夏以外の時節は遊び専用のゴム製か藁製の草履があって、それをボロボロになるまで履いていた。

 

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【布ボールの野球】

 小学校高学年になって秋口から冬にかけての遊びの中心は野球である。といっても当時は、いいボールはなかなか買って貰えないから、使っていたのは布のボールである。使い古した下着や服で袋を作り、布の切れ端を詰め込んで縫い合わせたものである。

「田んぼで野球」の画像検索結果

 

 

(写真はインターネット画像から引用)

 

 

野球をする場所は稲刈りした後の田圃であるが、雨で田圃が泥濘んだときは村の中の道路でやる。しかし、当時も道は凸凹で、雨が降ると至る所に水溜りができる。道で野球をする時は大概雨上がりだから、ボールが水溜りに落ちてズブ濡れになってしまうのだ。打ったボールを捕ろうとした間に合わず、目前の水堪りに落ちて跳ねた水が顔や服に掛かることなどは当たり前になっていた。それに道路が4メートル位しかないので、打ち損ねると道路沿いの家の中に入ってしまう。そんな時は交代で謝ってボールを拾わせて貰うのだ。塀の場合は、その内側は大概、農作物を干したりする広い裏庭なので、それほど迷惑を掛けることもなかったが、時には窓から家の中に飛び込むこともある。そんな時に謝りに行く役に当たるのは嫌だった。…私の家の前でやった時、向かいの山田さん宅の窓から入ったことがある。さあ、誰が謝りに行く番か、と心配顔を見合わせていると、その家のオバちゃんが怒鳴りながら出てきて「こんなとこで野球なんか止めんかいな。窓から急にボールが飛び込んできて、炊いているお粥さんの中へ入ってきて吃驚したわ。どないして呉れるねん。」と云ってボールを道の真ん中に叩き付けた。ある日の夕方の出来事だった。

 

 1日2~3回は何処かの家に打ち込んでは拾いに行った。吉野さん宅の裏庭へ打ち込んだ時、私が当番で拾いに行ったことがある。玄関のドアを少し開いて、ゴメンというと、何やとオバちゃんの声。ボールを拾わせてほしい旨を云うと、「ええよ、入って取っといで。」との返事がドアのすぐ後から返ってきた。ドアを開けて中に入ると一瞬驚いた。風呂上がりのオバちゃんが目の前で素裸で立っていたのだ。逆算すると、その時のオバちゃんは30才を5つは越していなかった筈である。戦後間もない田舎ののんびりした一風景である。

 

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上記のほか、その頃の遊びの種類は数え切れないほどあった。

「石蹴り」「 馬乗り(ドンマ))「かくれんぼ」「 紙相撲」「紙鉄砲」「缶蹴り」「 騎馬戦」「釘倒し」「 駆逐本艦」「独楽」「ゴム飛ばし」「ゴム飛び」「縄跳び」「将棋駒遊び」(縁台将棋、歩回り、挟み将棋、蛙飛び、大砲打ち合い、駒積み)砂場相撲」「蝉獲り」「 宝取り」「 大正ケンパ」「団栗独楽」「布ボール野球」「フットボール」「兵隊ゴッコ」「べった(面子)」「蛍狩り」「 ラムネ(ビー玉)」 やんま獲り(蜻蛉釣り)」「池・川水遊び」…等々である。

(注:これらの遊びについては、このブログの「子供の頃の

遊び」の項で詳述したのでここでは省略する。)