浪曲は父が大の愛好者で、暇さえあれば蓄音機で浪曲を聴いていたように記憶する。色んな浪曲師の声の入った蓄音器の盤(レコード)が一杯あって一旦聴き出すと次から次へと掛けるのだ。歌謡曲や落語・漫才の盤もあって蓄音器が好きだった私はまだ子供だったが、浪曲も父の横に座って耳に胼胝ができる程聴かされた。聴いているうちに色んな節があって面白くなり興味を持つようになった。
浪曲の外題は数え切れないほどあったが、寿々木米若の「佐渡情話」、広沢虎造の「次郎長三国志」、日吉川秋水の「水戸黄門漫遊記」「左甚五郎」、天中軒 雲月(伊丹秀子)の「杉野兵曹長の妻」、吉田奈良丸の「忠臣蔵」、等は今でも記憶に残っている。
この他、名前だけなら、玉川勝太郎、東屋浦太郎、梅中軒鶯童も覚えている。
そんな中で、特に聴く回数が多く、自然に覚えた一節が大人になっても頭に残っていて、所謂「抜き読み」の幾つかを宴会の席で披露した。聴き覚えた一節を学校の行き帰りに口遊んで、何時の間にか聴くことより演じる事の方に嵌ってしまった結果、後々まで尾を引いたという訳である。
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(その1)覚えた「抜き読み」の中で一番気に入っているのは、2代目吉田奈良丸の「忠臣蔵」のうち「神崎与五郎東下り」の中の一篇「丑五郎との出会い」である。
「〽…わが行く先をと眺むれば 下は湯本か小田原か さとう転ばし七曲り 百足に似たる 百本杉の彼方より のぼり来ました馬方あり…」
(ここまでは台詞調・なお「さとう転ばし」の所は子供の聴き覚えなので今もって意味が分からない?)(ここからは節)
「〽齢の頃なら三十五六 しぶかみたいに日に焼けた 身体一面草紙のごとく 入れた我慢の綺麗な事よ 朱が三部に墨七分 右の腕は天を臨んで登り竜 左の腕は地を眺めて下り竜 胸にゃかんがく門破り 背なは色々入れ物語 足にゃ百足の巻っ掘り 頭の格好を見てあれば 油付けずの水束ね 髷先まともに向けたなら 鬼門金神さんに拘わるというて 左の方へチョイト靡かせて 元へ戻っちゃならないので 髷の楊枝が髻 尻切れ襦袢に縄の帯 権蔵の草鞋に身を載せて 嫌な所に手を入れて 馬の手綱をパッと肩に掛け…」
(「しぶか」「かんがく門破り」は意味不知。「我慢」は刺青の事。)(ここからは台詞)
「〽…どうどうどうどう 何をグズグズしやがるんでぃコン畜生…(ここで民謡「箱根馬子唄」の1番が入る)…」
(ここからは節)「〽…ハイ~ハイ あシャンコシャンあんこシャンコで のぼり来る…」
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(その2)広沢虎造の「次郎長三国志」のうち「石松の金毘羅代参」の一節、3箇所の抜き読み。
①「〽旅ゆけば 駿河の国に茶の香り 名題なるかな東海道 名所古跡の多いとこ 中に知られる羽衣の 松と並んでその名を残す 街道一の親分は 清水港の次郎長の 数多身内のある中で 暴れ者と異名とる 遠州森の石松の 苦心談のお粗末を 悪声ながらも務めましょう~~」
②「〽 親分の代参で、名代なる讃岐の国 金毘羅様へお札を納め うけ証頂きお守りをも頂きます もう讃岐に用ないと 参りましたル大阪の 八軒家から船に乗る~~」
③「〽恐れ多くも太閤秀吉公に 竹中半兵衛という人あり 徳川家康公に南光坊天海あり ぐっと下がって紀州の国 みかんで売り出す あの紀伊国屋文左衛門も 仙台の浪人で 林長五郎という人が 番頭さんになったから 文左衛門が出世する 次郎長とてもその通り 話し相手が偉いのよ~~」
以上、蓄音機でよく聴いた浪曲の中で、これ以外の文句は覚えていない。なお、後年になってラジオやテレビで、三門博の「唄入り観音経」、浪花亭綾太郎の「壺坂霊験記」は何度も聴き覚えて宴会で唸ったことがある。
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(その3)三門博の「唄入り観音経」
「〽遠くチラチラ明りが揺れる あれは言問い こちらを見れば 誰を待つ地の舫船 月に一声雁がなく 秋の夜更けの 吾妻橋…」
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(その4)浪花亭綾太郎の「壺阪霊験記」
「〽妻は夫を労りつ 夫は妻に慕いつつ 頃は六月中の頃 夏とは云えど 片田舎 木立の森もいと涼し 小田の早苗も青々と 蛙のなく声ここかしこ…」