arbeitはドイツ語なんですが、労働全般のことを指すので日本語のアルバイトとは意味が違うんですよね。多分日本語のアルバイトの意味も含んでなくはないと思うんですが。ドイツ語ではどちらかといえばarbeitは仕事、jobがアルバイトになるみたいです。ドイツ語話者じゃないので突っ込んだことはわからないですが。
大学生でアルバイトしてる人は結構いると思うのですが、ご多分に漏れず私もバイトしてまして、今日は10時半から21時半ぐらいまでバイトでした。素性がバレるかもしれないので(別にバレるとまずいってことではないんですけど)詳しくは書かないんですが、ケータリングとだけ。この時期は卒業、異動が多いのでそういった関連の会合、パーティーが多いです。このバイトは部活の先輩に教えてもらったもので、忙しい時は今日みたいなほぼ一日潰れることもあるんですが、ご飯付き、シフトも自由が効くので割といいバイトだと思います。
アルバイトで思い出したんですが、去年の10月ぐらいに最低賃金って全国的に改定されたんですね。宮城県の場合は前は675円だったんですが、10月19日に685円になったそうです。ちなみに私の地元は690円→695円。たった5円。さすが山梨県民、ケチだな
明日は外出するのでちょっとだけ写真も撮ってこようかと思ってます。最近記事が前より輪をかけてつまんねえから
風邪を引いてしまいまして一昨日くらいから自宅療養中です(´・ω・`) 一時は40度近かった熱も下がってきたのでとりあえず一安心なのですが、サークルの仕事がただでさえ遅れ気味なのに更に遅れてしまってヤバいです。サークル外に情報が漏れるとまずいので内容は詳しく言えないんですが・・・。帰省したいので27日までには終わらせたいんですが、余裕がもう無いです。あと一回体調を崩したらアウトですね。
帰省したときは東京のどこかに立ち寄るのがいつものことなんですが、今回はちょっと時間を多めに取ろうかと。どこに行こうかはまだ考え中なんですけどね・・・。東京近郊でどこかいいところはないものか。
3月のある日の昼のこと。山梨は少し暖かく、時折強い風の吹く日でした。前期入試より一足早く結果の出る入試で大学に合格した僕は、つい最近までの机に向かう日々の鬱憤を晴らすかのようにパソコンに向かっていました。まあ実際は学校に残って勉強してたので、家ではそんなに机には向かってなかったんですけれど。
前期入試の日に親と見に行ったアパートの大家と母が電話で話していました。2日前と前日に地震があったので、アパートが大丈夫かどうか気になっていたのです。大丈夫と分かり電話を切った約2時間後、14時46分。これまでにないほどの大きな揺れ。いよいよ東海地震かと思いうろたえました。テレビでは大阪も揺れているというアナウンサーの声で大きいなと思いました。1~2メートルぐらい左右に揺れているような強い揺れが2~3分ほど続きました。あまりにも長い揺れは、この地震がただならぬものであることを予想させるのに十分すぎるものでした。
揺れが収まってからNHKに変えたところ、震源が三陸沖だと知って驚きました。これアパート終わったんじゃ・・・と思いました(ヒビとかは入ったものの大丈夫で、今そこに住んでるわけですが)。その後のテレビを通してみる光景はこの世の終わりを見ているような気分でした。夜に父が帰ってきてリビングで地震の情報を見ていた時、速報で入った荒浜で2~300人の遺体がというニュースに家族全員凍りついたことは今でも覚えています。テレビのニュースが誤報で有って欲しいと願ったのは後にも先にもこの時ぐらいじゃなかったでしょうか。この日から2ヶ月近く、5月のGW明けに大学生活が始まるまでは出来ることもこれと言ってなく、新生活の準備も直前まで進まぬまま、さながらニートのような生活を実家でしていました。

あの日から2年。いろいろあったという一言では語り尽くせないですが、この街が変わっていくさまを間近で見てきました。通う大学は建物の取り壊しや新築などの工事が進み、よく行くショッピングセンターの近くの道路は陥没が直され、城址の石垣も修理中。一方でいまだ手付かずの場所、解決の進まぬ問題も。何をもって復興が終わったというのかは分かりませんが、おそらくまだまだ長い月日が必要になるのでしょう。自分の世話もろくにできないですが、微力ながら手伝えることはないかと思いつつ、色々と苦悩しながら過ごす毎日です。