私の母は、今病院で日々を過ごしています

今から7年前、脊髄小脳変性症という難病になりました
だんだん歩けなくなる病気です

母の病気が診断された時に私は3人目を出産
産後の手伝いに来てくれた時には、今思えば緩慢な動きだったのは
難病のせいだったのでしょうが、そんなこともわからなかったので
私はイライラして母と喧嘩したことを、今でも悔やんでいます

難病の診断が下り、しばらくして、トイレに行く途中に真後ろに
倒れ寝たきりになりました
それがきっかけで、父と母を私の自宅へ招き同居をスタート

3人の子育て、フルタイムでの仕事、母の介護、父のメンタル面のサポート

今考えると、ものすごく大変な時間でしたが
また一緒に暮らせたあの時間は、本当に貴重なあたたかな時間でした
2歳になっていた三男は、いつも車いすでトイレにいく母に
ドアを開け、トイレの水を流す係りを、喜んでやってくれていました

子供たちも一緒に母の介護にかかわってくれました


母は結局、自分の家に帰りたいとなり、同居は1年となりましたが
あの時の時間は、本当に宝のように感じます
それが実現できたのは、夫の理解と協力のおかげでもあり
このことは、今も感謝しています
子どもたちにとっても、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らせた時間は
きっと記憶の中に残り、何かを感じてくれたでしょう

実家に戻り1年で、呼吸の状態が変化し救急で入院してから
現在に至って4年になります

気管切開してますから声も出ませんし
手も足も動きません

母が入院してから、月に1度はできるだけ病院へいくように
していますが、先月は急遽次男が学校から呼び出しがあり
結局いけず

先日久しぶりに母に会いに行けました
毎日病院へいく父が、母の顔も手も足も
いつもピカピカに磨いているので、私は何もすることはないのですが

顔や頭、手のマッサージなどをしてきます

声がでなくても、子どもたち3人の写真を見せたり
子どもたちの様子を話したりすると、笑顔になります
今回はよく笑ってくれました

母の病気がきっかけで、私は自分の生き方や働き方を
大きく変えていきました

ある意味、今の私は「母が導いてくれた」
といっても過言ではありません

元気だった母が難病になったことが、
「健やかに、自分らしく、幸せに生きる」とは
どういうことなのかを考えさせてもくれました

難病になっても、凛としていた母の生きる姿勢は
本当に在り方を持って、娘に大切なことを教えてくれている気がします

人生は期間限定だけど、
カラダが元気で動くうちに、人の役に立てるように
自分を大切に、子どもや周りを大切に
いくつになっても学び続けること
そして
自分らしく働き、幸せに生きていくことを大切に

「愛して、学んで、仕事をする」

という在り方は、まさに母の教えだったように思います

人は、例え寝たきりになっても
存在していることが、生きている人を勇気づける力を持っている

母に触れれば、あたたかい
このあたたかさは、いつも私に湧き上がるほどの大きな力を与えてくれるのです

一言も発しない母から
帰る度に、尊い教えをまた学んでます