永遠の17歳と祖母との思い出 | 心の癒し処 安寧

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よくよく考えたらラッキーだった


↑欲しいな  替えたいながうう

↓実現しよったぼー







2枚目花柄のはビーズクッション。これは私が昔自分で購入して使っていたもの。ビーズクッションが出始めて間もない頃だったと思う。今どきの物よりビーズが大きくて、ふにゃふにゃな感じね(笑)

14日、大掃除&断捨離をし昨日実家へ向かったわけですが。

ひとまず、カーテンと敷き布団(←これは絶対持って帰らないと寝られない 笑)座椅子を持ち帰り。



それと



忘れていたわけではないけれど



ご先祖様より←こういうことでもないと再び触れることはなかったかもしれない大切なもの
まさか、鹿嶋に持ち帰ることになるとは思いもしなかったなぁ花




17歳で亡くなった友達とのお手紙

祖母へ送った私が書いたお手紙と折り鶴。どうやらこの折り鶴は祖母へのお守りらしい(←覚えていない)16歳の夏休みに宿題で"戦争"をテーマにした文集を作るので、祖母に話を聞いて参考に書いたのだけど。その後、お礼として書いた手紙らしかった。



中央の写真が二十歳の時、亡くなった祖母。その左上は高校1年の時の集合写真だけど、自分が写ってる部分は破り捨てている。確か、破っても捨てられなかったんだよね。でも、彼女が亡くなった後彼女との写真がないことに気づき。奇跡的にギリギリ彼女の顔の部分が切れてなかったの。これだけ残し後は捨てた。


彼女や祖母の存在があったから、私は高校を復学できたんだ。


彼女は私が不登校と知ると、最初は懸命に励ました。(この時すでに彼女は入院生活)
その気持ちは嬉しかった。一方で私は彼女と比べて体は元気なのに学校を休んでいることが心苦しかった

私のことなど嫌いになって、そのうち手紙のやりとりもなくなるだろうな

漠然と思ったりしたけれど。

彼女はいつしか「私も進級難しそうだし、よよと一緒に留年しよう」「もう何もいわないよ。よよにも考えがあるもんね」と手紙には書き。月に1度か2度お見舞いに行っていたのだけど。振り返ってみると学校へ行かないことへの叱咤激励的なことは言われた記憶がない。


祖母は不登校の時、やはりやんわりとだけど学校は辞めないでほしいとか、なんで若いのに隠居みたいな生活してるのかとか1度だけ説得みたいな話をされたけど。それきり何も言われることはなく。
復学してから、1度通学で電車に乗ったものの急に行く気がしなくなり。この頃は復学した時にできた友達のおかげでサボること(休憩すること)をおぼえてきたので(笑)
一旦自宅最寄り駅に着いたもののさすがに家には帰りづらく。そのまま常磐線の隣駅まで電車に乗って、祖母の家へ。
体調が悪いわけではないし、こんな時間に制服姿で祖母になんて説明しようと考えながら行くと、玄関先で祖母が知りあいのおばちゃんと話をしていて。
良くも知りもしないおばちゃんが言った言葉が、「あー、お孫さんなの?あーそう。どうしたの?なんだか顔色悪いけど」と顔21
「あれ、本当だ」と祖母も言い。おばちゃんは私に遠慮して早々とおいとまし、祖母は中で休むよう促してくれた。




なんかホッとしたことを思い出す




変な話、祖母とその後なんの話をしてどうやって帰ったのか覚えていない。
母に迎えに来てくれるよう電話を入れたよって言われた記憶しかない。



だけど




ホッとしたことは覚えている



あー休めるんだー



休んでいいんだー



って



ホッとしたの




永遠の17歳の彼女との手紙のやりとりや、お見舞いに行った時のことも



今思えば 私はどこかホッとしていたんだなと思う。



彼女が私を尊重し受けいれてくれて尚且つ信用してくれたのかなと久々にお手紙の一部を読み返してみて感じるのね

彼女が亡くなって葬儀に参列していたとき、1年の時同じグループだった子から「秋ぐらいから手紙の字が震えていたから治療が辛かったのかな?」と話していたのを聞いてあれ?と思った。

私には辛い治療の内容を割りと赤裸々に書いてあった。病状が悪くなる自分を責めたり。面会に行った時も、彼女に気があると思われる同じ部活の男の子が見舞いに来たものの、なんにも喋らず長い時間いて困ったとか、付き添いで来る母親の代わりに家事を親戚のおばさんに頼んでいるが洗濯とか雑で困るとか愚痴を話していたから。
手紙でも、久々の外泊で家族水入らずだったのに友達が来てなかなか帰らず嫌だったとか。


彼女は大病を患っているからこんなことを言っては不謹慎かなと誰にも言ったことはなかったけれど



いつもずっと頑張らなくていいんだ



って漠然と思っていたんだね私



だから



ホッとすることができたんだね





わたしの勝手な解釈かもしれないけどね





このお手紙を実家で見つけたときにふと思ったのがね



永遠の17歳の友は私のスピリチュアルガイドの一人だろうなぁ



花




昔読んだ、斎藤一人さんの本の中でね(付録の講演会の時の一説だったかも)



「よくさ、"過去は変えられない 未来は変えられる"っていうけど。違うよ。過去は変えられるよ」



ってのがあったのですが



実は読んだ当初は意味が良くわからなかったんですね。



今はなんとなくだけどわかる気がする



安寧をきちんと立ち上げるべく→入隊式→で今に至るわけですが。


初っ端から自分と向き合う機会があったり、プロフィール作成でも過去を振り返るわけで。


辛かったことを振り返るの、ま~ツラいことツラいこと。


だけど、書き出して改めて読んでみるとね。気づくの私、進歩してたわって。


一見、失敗を繰り返してるだけにしかみえないんだけど。



失敗の質が違ってた笑



この失敗達がなければ、今の自分はないわけで



斎藤一人さんの 過去は変えられる ってのは、
見方を変えれば  解釈の仕方を変えればってことなのかなぁ・・と。



永遠の17歳の彼女との思い出は、だいたい闘病中のことや亡くなった直後のことが多かったけれど


今回、彼女と初めて会った時、夏休みに一緒にお祭りに行ったことなど 楽しかった思い出 が甦ってきた



この、今にして思えば彼女は体の、私は心のとお互い闘病中の思い出も前までは"彼女と比べて私は努力が足りてないし、成ってない"という思いがどこか強かった。



言ってはいけない思ってはいけないって封印していて忘れていた  ホッとした 思いが甦るとは



起こった事実は変えられないけれど。でも、過去の起こった意味は変えられた。




実家がなくなるのは寂しいけれど




母がその決断をしなければ、このタイミングであらためて自分と向き合うことはなかったかもしれないなぁ