今日も私のブログを読みに来ていただきありがとうございます。

あんなにびびりながら手術を乗り越えたのに、次の不安で頭がいっぱい。
病理検査、悪い結果が出ればもう一度切らなければいけない。しかも今より大きく。
こんなに痛い思いをもう一度しなくちゃいけなくなるかもと思うとまた怖くなる。

手術が終わってから初めて迎えた日曜日。
足を引きずっているので、目立たないようにロングスカートを履き、母と一緒に教会の礼拝へ主人が運転する車で向かった。
久しぶりの教会なのでドキドキした。
"お陰様で手術はとても順調に終わりました。私をお守りくださって、心を強めてくださってありがとうございます。この傷がイエス様によって癒されますように"

不思議と礼拝を受けている間は足の痺れ感や痛みもなく集中できた。

マタイによる福音書18章20節。
「2人、または3人がわたしの名によって集まるところには、私もその中にいるのである」

牧師先生のお話しによると…
コロナでずっと休まざるを得なかった礼拝。また再開できてここに集まられたすべての人はイエス様に来なさいと呼ばれた人である。
このコロナ禍で大人数が集まるのは困難だ。しかし、教会にどうしても来られない場合は、家の中で静かにお祈りするとき、聖書を開くとき、神様はそばで寄り添ってくださる。

賛美歌も中高で歌っていた聞き覚えのある賛美歌ばかりで歌うことができた。
(歌詞は前の壁にうつしだされます)

礼拝が終わり座っていると、たくさんの方が話しかけてくださいました。

息子君は何年生になったの?大きくなったでしょうね。
(息子が小さいときも息子を連れて教会にたまに遊びに行っていました)

あなたも初めて来たときは中学生だったわね。あんなに小さな女の子がいいお母さんになったわね。

また教会でお会いできて嬉しいわ。



私以上に教会の方はわたしのことを覚えてくださっていてびっくりしました。

また、中学生の時にお世話になった、5歳上の中高科の先生?も声をかけてくれて思い出話や現在のこと、たくさんお話しました。


家に帰ってきて、母にたくさんいろんな方とお話しできて嬉しかったこと。皆さんとても穏やかな顔をされていて私もそんな風にいつも笑顔でいたいことを話すと、

「教会に来る方たちはみんな悩みを抱えているの。夫婦関係のこと。病気のこと。人間関係のこと。仕事のこと。家族関係のこと。
みんな口に出さないだけで大きな悩みや苦しみをもっているのよ。
でも一人で苦しまなくていい。
問題と戦ってくださるのは神様で、自分は神様に委ねていればいい。今はわからなくても、神様は最善のことしかしない。私もそう思えたからたくさんのことを乗り越えられたのよ。」


たくさんの試練を乗り越えて来た母の言葉はずしんと重く私の心に響いた。

次回へ続く。