今日も私のブログを読みに来てくださりありがとうございます(*^^*)
いいね!を押しづらいブログにもいいね!の足跡を残してくださった方々ありがとうございます。また私の心に寄り添い優しい言葉をかけてコメントくださった方々にも感謝いたします。
長年無理やり心の傷をごまかしごまかし生きてきた私は前回のブログを書いたことにより、傷口からの膿がでて治癒する方向に向かっているのを感じています。
書くことをだいぶ躊躇いましたが、書いてよかったです。
まだしばらくメンタルが弱々なブログになりますが、引き続き読んでいただけると嬉しいです。












何をしていても手につかない。
渡された書類を隅々まで読んだら、"病理検査の結果によって再度手術が必要になる場合があります。"と書いてあった。
ただでさえ不安なのに一度で終わらない可能性もある。
不安になりまたネットで調べる。
"結果によっては更に大きく切り取る必要がある。"と書いてあった。
もう逃げ出したかった。
でも、逃げ出したところで何も変わらない。いや、むしろひどくなる可能性もある。
現実を受け止めるのに必死だった。

主人は私を気づかっていつもよりほんの少し早めに帰ってきてくれるようになった。
不安になると主人に抱きつきメソメソ泣いた。
その度彼は「大丈夫やって」「ちょちょってとったら終わり」と言って慰めてくれた。

何度大丈夫と言われても不安から解放されることはなく、そしてだんだんごはんを食べることも寝ることもできなくなっていきました…














そんなある日。いつものように主人と息子が出かけた後ソファーに沈み込んでめそめそ泣いていたらふと母からもらった「こころのごはん」が目に入った。

「こころのごはん」とは母が通うキリスト教(プロテスタント)の教会で配られている冊子で奄美大島で牧師をされている方が書いたもの。

2019年からほぼ毎月母から渡され部屋の片隅に置いていて読むことはなかったのに急に気になって2020年6月の冊子を開いてみた。













するとそこにはその時の私が必要としている言葉がたくさん書いてありました。
その中で特に心に残った部分を載せておきます。
興味のある方はお読みください。














他の冊子も遡って読みました。
私は中学校から短大を卒業するまでキリスト教(プロテスタント)の学校に通っていました。
毎週日曜日には教会学校へ通うのが義務づけられていました。一緒に母も通うようになり、母はクリスチャンとなりました。

いばらの中に撒かれた種は芽が出ることはなかった。でも、いばらが枯れて一筋の光が差した時一つの小さな芽が生えた🌱

この冊子を読んだことがきっかけで学生時代に使っていた聖書を引っ張り出してきて読むようになりました。
学生時代いくら読んでも眠たくて眠たくて…言っている意味も教会で牧師さんや中高科の先生が話す言葉も心に留まらなかったのに、今の私は言っている意味も聖書の言葉もするすると入ってきて毎日聖書を読んでお祈りする日々へと変わっていきました。

「私が犯してきた罪の数々をどうかお許しください。神様に背いてきた人生でした。私は神様を信じます。足が治ったら教会にもまた通います。私は沢山の試練を頑張って歯を食いしばって乗り越えてきました。やっと結婚して幸せになれたと思ってもたくさんの試練に合いました。そしてそれも乗り越えてきました。それでもまだ私を試練にあわせるのですか。私はそこまで強くはありません。もうこれ以上無理です。神様どうか最善の道を私にお与えください。どうかこの腫瘍が悪性ではありませんように。手術も一度で済みますように。どうか私を守り導いてください。主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。」

泣きながら毎日何度も何度も祈りました。
だんだんと、もうどんなにあがいてもなるようにしかならない。神様しか私の人生がどうなるかわからない。全て神様に委ねよう…そう思えるようになったとき、ずっとえづいて食べられなかったご飯が少しずつ食べられるようになり、夜も眠ることができるようになっていきました。
神様が「大丈夫。食べなさい。眠りなさい。生きなさい。」と言っているようでした。

次回へ続く。