こんにちは。
ふわふわ不安定だけど、ふわふわと柔軟さを身につけたいふわふわこころ。💓です。
~病歴~
私は4年前に(と思ったらもう4年と7ヶ月でした)、会社でパニックを発症し、それから内科で、自律神経失調症と言うことでリーゼ0.5mg(抗不安薬)をもらいながら、2年間会社を続けていました。
リーゼ0.5mgを調べて「抗不安薬として」一日最大6錠飲む日々が続きましたが、
仕事中(⬇)
❌体が震えたり痺れる感覚
❌常に不安感があり、それが強くなる
❌狂いそうになる叫びそうになる暴れそうになる
❌悲しくなる涙が出る
❌悲しい出来事を頻繁に思い出す
❌仕事に集中出来ない
❌症状の為休憩や早退が増えていく
❌朝仕事に行けなくなる
そんなこんなで、2年間耐えた後、休職に入り、
それと同時に会社からメンタルクリニックを勧められ、パニックから2年経って初めて不安障害と診断されました。
結局それから半年後に退職となりました。
結局
発症から踏ん張って働いてた約2年間と、
休職の半年間と、
退職して寛解までの約1年間、
合わせて約3年半闘病していた事になります。
私はその寛解後、すぐに社会復帰しましたが、半年で再発し、退職、それから現在まで半年間無職の状態です。
~今回のお話~
こんな再発した私が、
今回公表しようと思うのは、
休職、退職の1年半の間のお話
です。
まず。
休職(半年間)
わたしが、休職を決めたのは、ボロボロになって、早退、遅刻、が増え、ついには病欠が続いた頃。
上司に「しばらく休職して、しっかり治そうよ。休職としておけば、気にせず休めるよ」と言われたからです。
「すみません。そうさせていただきます」
その時の安堵感はかなりのものでした。
「とりあえず1ヶ月」
その1ヶ月がものすごく大きなものに思えました。
だけど、先は見えていなかったです。
正直会社自体が病原のひとつでしたから。
そりゃ、ストレスになりうる事は親、性格ありましたよ。
でも、会社での人間関係、残業の多さ、上司のモラルのない部下の扱い、環境(暑すぎる)ということ全てにストレス満載だったんです。
パニック発症したのは、就職して約3年目でしたから、
女性の多い会社だけに色々ありましたし。
~仕事に行かなくていい~
休職を決めた次の日から、まず、朝会社に行こうとしなければならない、戦いが無くなりました。
毎日5時半に朝ごはんや家族のお弁当を作り(自分の分が要らなくなったのでちょっと楽でした)、旦那が出勤、それから私は寝まくりました。
~寝まくる~
子供が「行ってきます」というのを耳にし、「うん」というと、昼ご飯もトイレもなしで夕方まで寝ました。
パニック、不安と戦いながら、出勤していた2年間、精神的にだけでなく、体も本当に疲れていたのです。
でも、夜は不眠症(昔から)、悪夢で眠れませんでした。
休職からだいたい2週間は寝まくっていたのを覚えています。
家事は旦那が帰って来てから一緒にしました。
お皿を洗ったり、洗濯物を干したり。
~買い物が地獄~
買い物は地獄でした。
「行きたくない」
と言えない私。旦那に申し訳なくて、旦那が仕事終わってから着いていきました。
~とにかく会社の人に会いたくない~
残業族だった私が、たまにスーパーで夕方に目にする会社の制服の人たちはだいたい知らない人(他部署)でした。
それでも制服を見るだけで心拍数が上がる感じで狂いそうになり、周りの景色が歪んで見えます。
そんなことがあるから、とにかくキョロキョロ見回して、不安感が絶頂になると、私は無意識にお腹の前で手を組み体を固めます。
会社の人に会って「体調どう?ゆっくりしてね」と言ってくれ、ほっとしたこともあれば、すごく仲良かったのに無視する人も居ました。
無視されたときは、「やっぱりそういう人だったんだ」て、思いました。
だいたい人の裏はわかってますから。
~ぼちぼち動く~
2週間ほど、寝まくって、やっとぼちぼちと家事をするようになりました。
それも、お皿は洗えなくて、洗濯物を1回干すぐらい。うちは3回ぐらい回さなきゃなりません。
出来ないことは旦那と、子供(当時中学生)が帰宅後にやってくれました。
~手続き~
その頃から、傷病手当の手続きで、病院で診断書を書いてもらい派遣会社に郵送したりを毎月しました。
~病気を調べる~
それから、「ググり族」「深堀好き」なわたしは、
「不安障害🔍」「パニック🔍」
しまくって、自分の病気がどんなものか調べました
不安障害、パニックは人それぞれで、
不安からくる症状や、パニックの頻度、パニックの症状、パニックが起きる場所、状況が違うことがわかりました。
私の場合このころ漠然と恐れていたものは会社関係と親でした。
~同志が欲しい~
そんな休職の半年間の中で、私は某SNSをはじめました。
1人で家にいて、体を動かすのがしんどく、
とにかく愚痴を吐きたかった、仲間が欲しかった。
~会社からの連絡~
その頃は「休職中」という事と、予定の「とりあえず1ヶ月」が長引いていたので、苦手な上司から何度もLINEが来ていました。
私は元々親や友人からの愚痴電話の影響で、電話恐怖的なものがあったので、休職に入った時に「すみませんが、電話では落ち着いて話せないので、LINEにしてください」とお願いしていました。
その会社からの「病状のほうれん草(報告、連絡、相談)LINE」が負担でした。
ついには「責められるかもしれない」「首かもしれない」という不安から2、3日開けなくなりました。
会社に行きたくない私は首なら首でいい。
でも、今そんな文字を見ることに対する恐怖がありました。
退職(社会復帰まで一年間)
~私気づきました。~
そして休職半年後、休職手当が切れる頃気づいたのです。
「今会社に戻ったら悪化する」
「このままでは治らない」
迷いはありませんでした。それが事実なのだから仕方ないです。
自分の為に「退職を決めました」との連絡も最後までLINEでした。
もう上司の声を聞きたくなかったので。
私は派遣社員でしたので、上司から派遣会社の方に連絡を入れてくれました。
症状も症状ですから助かりました。
それから派遣会社とのやり取りは全て手紙でした。
派遣会社の社長は本当に優しい方で、私は救われました。
退職してからは、本当に気が楽になりました。
~必ずしなきゃならないこと~
失業保険に切り替わり、ハロワに行ったり
毎月の通院は頑張りました。
~大人しく休みます~
休職前2年間は内科でしたが、休職した時にメンタルクリニックに変え、担当医は評判良く、よく話を聞いてくれるし、抗不安薬、眠剤などの調整を細かくしてくださり、やはり専門医は違いますね。
「ゆっくりお休みしてくださいね」
「ご無理なさらないでくださいね」
等のよくあるセリフが深く心にしみました。
無理しちゃダメなんだ。休まなきゃ。
と、納得。
~腹をくくる~
それから退職の1年間で、どうしよう?
と考えるなかで、まずは、
体がしんどい時は何もしない
と腹をくくりました。
だって、通院さえしんどかったんですよ。
不眠症なのに診察は午前中ですから。
病院が近かったのが救いです。
~フリマアプリ、創作活動(趣味)~
徐々に動けるようになると、
それまで続けていたSNSに加え、
フリマアプリで断捨離
これがかなり忙しかったです。
断捨離で押し入れが広くなるし、何か心にまで余裕ができる気がしました。
売れたら嬉しくて、段々と好きなこと(裁縫、絵)で、ハンドメイドしたものを出品するようになり、
それが売れた時の喜びと言ったらなかったです。
それも体調のいい時にちょっとずつでした。
~SNSでの出会い~
それでもSNSで愚痴を吐いたり、昔の話をすると、自分を責めたり、焦ったり、苦しくなったりしました。
そんな中
「波のように上がったり下がったりしながら、段々と穏やかになり遠くが見渡せる日が来るよ」
「どうかご自愛ください」(何度も)
となんども言ってくださる方がいました。
また、他の方には
「あなたは賢すぎますので、もう少し適当に適当に」
と言ってくれる方もおられました。
やはりこんな私なので、鬱や双極性障害などのフォロワーさんが多く。優しい方が多い中、神経質な方も居て、良かれと思って言ったことに憤慨されて、辛い思いをしたこともありました。
~人のいない所をウロウロ~
ハンドメイド作品を作るうちに、大好きな絵を描きだし、その為に、写真を撮りに一人でウロウロするようになりました。
スーパーに行くわけでもなく、会社の人が働いている時間でもありますし、
海や観光名所、線路、駅などを巡り、空や猫ちゃんも撮りました。
それが全て絵になったかと言えばそうではありません。
やりたい事をやれる時にです。
~高校以来のゲーム~
あ。それから、今もハマっているサバゲーを始めたのも退職した後でした。
旦那と子供が、早くからそれをしていて、オンラインゲームで、話しながら戦うのですが、それを「うるさい!」って、嫌悪していたんですが、
子供に「チーム組むからお母さん入って。」と言われ、スパルタ教育を受けました。
今では「お母さんの戦法がないと勝てない」と言われるほどです。
あとはパズルクリアからのガーデニング系ゲームもはじめました。
ゲームは高校の頃ゲームボーイのテトリス以来でした。
~嫌なものは嫌~
それから、毒親に会わないようにしました。
まず、LINE削除、電話には出ない。
連絡は旦那としてもらう。(旦那ありがとう)
今もです。だれかの誕生日には顔を出しに来てましたが、最近は来なくなりました。
~治まらない不眠症、悪夢、夜間恐怖~
そんなこんなでしたが、
不眠症、悪夢、夜間恐怖で辛い日々でもありました。
日中体調良く、何かして疲れても夜になると色々考えたりして眠れず、寝ても悪夢、眠剤で寝ても悪夢。
夜中に悪夢で叫んで起きたり、
うなされて旦那に起こされる。
夜間恐怖で頓服を飲む。
それは、ずっと続いていました。
~日中の不安が消えていく~
失業保険が、残り3ヶ月ぐらいになった頃。
日中の不安感がかなりマシになり、
体力の低下と、睡眠不足で、昼まで寝てしまうなどはありましたが、徐々に抗不安薬を飲み忘れることが増え
医師と旦那に
「そろそろ就活したい」
と言いました。
そしたら、
「まだ早いんじゃないか」(旦那)
「あなたの思う3倍は時間をかけて」(医師)
と言われ大人しく断念。ちょっとほっとしました。
~頑張りました社会復帰~
それから数ヶ月後、抗不安薬は飲まなくなりました。
相変わらずの不眠症でしたが、社会復帰。
残業のないフルタイムです。
朝無理矢理起きて、1ヶ月は体力との戦い、
すぐに、疲れて眠れるようになり、悪夢の回数も減りました。
~最後に~
私はこの半年後に再発、退職してしまいましたが
自分なりのパニックの原因やトリガーの存在の解りにくさ、大きさを甘く見ていた。
そして、それを克服するか排除しきれていなかった。
のが原因ではないかと思いました。
そのお話はこちらに↓
https://ameblo.jp/huwahuwakokoro777/entry-12612208473.html
再発前に気づけたら良かったです。
なかなか難しいとは思いますが、寛解から社会復帰し、再発した私としましては、原因、トリガーがそこにある以上、再発の可能性はあると思います。
現在、自宅で創作活動し、稼ぎたいと思いながら、体調不良、不安定な毎日です。
ふわふわこころ。