こんにちは!
梅雨明けいつですか?

今日で筋トレ6日目です。
詳しい筋トレ内容はこちら↓の冒頭に。

両肘から先と、両足つま先を地面につき、背筋を伸ばし腕立てに似た体勢をキープ。
体幹トレーニングでは代表的なものです。

コツは、
①プルプルしても笑っちゃわないこと
②家族にも「プルプルしてるの突っ込んだら怒るよ」と先に注意しておく。
③いよいよプルプルしだしたら、笑いを心から消し去り、真顔で大きく息を吸って吐く。苦しくないようにゆっくり自分のペースで呼吸。
④この間特にお腹が出ている方は垂れますので、腰に負担がかかります。腹筋に力を込めおなかを凹ますことにより、美姿勢になり、負担も減ります。

こうやれば、笑って力が抜けてぶっ潰れることは無いです。

一応、不安障害、パニックもちの私ですが、学生時代から産後しばらくまではスポーツマンでしたから、
こういうのは旦那よりやります。

子供にテーピングやトレーニングも教えますよた॑⸜(* ॑꒳ ॑*  )⸝⋆*





で、今日のテーマ、というかお話は、ちょっと重いです。
あまり考えたくないのですが、今不安障害やパニック真っ只中の方にとって、マシになって来た方にとっては気になってる方も多いかもしれない。
ということで、

私個人の
再発
のお話をしたいと思います。

まず、私は
約4年前に職場でパニックを発症し、不安障害と診断され、通院を始めました。
2年間は薬を飲みまくりながらも働いていましたが、
良くはならず遂には仕事に行けなくなり、会社をやめました。
それから1年ちょいの間に家でひとり悶絶したり、色んなことがあり、浮き沈みありながらも、いつしか抗不安薬無しで大丈夫になりました。
※この間のお話↓


再就職した時は、「さよなら不安障害」でした。
不眠は残っていましたが、何とか慣れるだろうと思ったのです。
履歴書を書くのにはかなり時間がかかりましたが、面接は上手く話せたし、2社受けて、2社受かりました。
お給料や興味のある方よりも、体に負担のかからない方を選びました。体力がかなり落ちていたからです。

「頑張ろう」そんな気持ちで前向きでした。
不安障害を経験して、学んだことは、
「人には深入りしない」
「楽しく、自分の思うように」
でした。
慣れていくにつれて、体力がつきました
空っぽの頭に、浸透するように仕事の専門用語がスラスラ覚えられました。
疲れることで、よく眠れるようになりました
ニコニコしている事で、良くしてくれる人が沢山出来ました。




ただ、最初から、ちょっとやりにくいなという人が同僚ひとりと先輩ふたり居たのです。

気にしないようにしてました。
冗談を言って笑わせたりして、同僚とはよく打解けるようになりました。
ほっとしていた最中に、何故かその同僚から、理由もわからず無視されたり、睨まれたりしだしたのです。
私には全く覚えがないし、あまりに酷いため、イライラしてきていました。
そのイライラは帰宅してもおさまることは無かったです。

そんな中で、嫌な先輩二人からは、責任の押しつけ、教えない、嫌いアピありました。
たぶん、上手くペコペコしない人にはそういう態度をとる人なんです。


その3人のストレスは相当のもので、
3人ともが、私のトリガーとなり、パニックにさせました。もちろん通院、抗不安薬再開。


私は負けじと対応していました。
「前職みたいには黙っていないぞ」と。
だけど、パニックそのものが、私の邪魔をするので結局、先輩二人や同僚よりもパニックに負けた感じで、仕事に行けなくなり、退職しました。


仲良くしてくれたたくさんの人達に挨拶も出来ませんでした。



働き出すと必ず人間関係が発生し
合わない人が出現します。

私は母との関係が悪く、それがトラウマのようになっていて、誰が相手でも、母を思わせる人間がパニックのトリガーなります。

これ↑は、「再発で判明した」ことです。


社会復帰前の自宅療養中は、日常的な不安感、カラダの不調、予期不安や、予期不安からくるパニックなどに悩まされていました。
自宅療養中にも、パニックは何度か出ていますが段々と予期不安に留まるようになっていました。

ですが、社会に出て人間関係が始まるとやはり、マジのパニックがでたのです。


最初仕事に慣れ、楽しくやっていた頃、私はやりたいことが出来ました。ですから、この仕事は繋ぎとして考えていて、辞めてもっとお給料のいい仕事をしたいと探していたのです。

ですが、退職してからは就活頑張りましたが、面接で苦しくなったり、変なこと言って、指摘されてから、それに気づいたり、いわゆる面接中にプチパニック状態が発生していたんです。


パニック再発前から勉強してた事(やりたかった事)にはとにかくお金が要ったのです。働きながら通信の四年生大学を出なくてはなりませんでした。
子供も2人(高校生)います。
本当に頑張りたかった。
実は社会福祉士になりたかったのです。

でも、再発し、何社も落ち、最終的に、福祉関係にも落ちたのが、私をどん底に落としました。

私は「もう社会に出たくない。働きたくない」
とノイローゼ気味に。
それに加えて、
「社会福祉士の仕事によって救いたい人々に対する思い」
が私を苦しめました。
テレビをつけたり、スマホを触っていてもニュースが流れてきます。

私は虐待を無くしたいと思っていたのです。




ただ、社会に出るとパニックがでて、自分が嫌になり消えたくなる
という考えが頭にこびりついてしまいました。

最近、自分が台所に立って手首を斬る鮮明な映像が頭に浮かび、狂いそうになり、頓服を飲みました。
父が自死なので、自死を近くに感じてしまうのでしょうか。


思うままに書いて申し訳ないのですが、
私のパニックの裏には、「嫌われたくない」
「愛されたい」という気持ちが強くあり、
冷たい態度に非常に弱いのです。

人間不信な所もあるし、自分のせいにするくせもあるので、嫌われたと勘違い?してパニックになる時もあります。

とにかく私は打たれ弱いです。

原因は、母から、他の兄弟と違う扱いを受けたからです。
その詳しいお話はまた、させて頂きます。

「肯定して欲しい」
「優しくして欲しい」
「笑顔で私を見てほしい」
「気にして欲しい」

多分それが満たされてこなかったのです。


パニックがでるトリガー、タイミングは人それぞれだとは思いますが、
私は再発した時、それがハッキリしました。
だからこそ、それに敏感になり、
今すごく「甘えた」「愛を試して」しまいます。


働けない私を愛してくれるのでしょうか。

今日も読んでいただいてありがとうございました。

                                                         ふわふわこころ。