すんばらしいと思いませんか。
上映会なのに
踊ってて、
上映会なのに
ランチしてて(笑)
でも
もちろん、しっかり上映会しております(笑)
最近思うのは、
「なぜ自主上映会をするのか」ってこと。
ドキュメンタリー映画が多くなった時期、得た情報が多くて濃いくて、しんどくなっていった。
という人は私だけでない、ということをこの作品を上映していく中で知った。
その原因は、物語のように完結していない「現在進行形」であること。
入った情報も日常も、どちらも動いてる。
だから日常にどう落とし込むかなんだけど、先を考えるにも、なんだ、このモヤモヤ感は~!と今の気持ちを吐き出す場所がなかった。
息をつく
そんな場、時間、間が必要で、そこに吐き出してこそ、新しい視点やアイディアがうまれる。と、思ってる。
最近思うのは、この映画もひとつのきっかけだということ。
映画もダンスもランチも、ぜんぶ
「きっかけ」
なんの?というと、
話す、聞く、それらを混ぜ合わせることへの。
だってね、全てつながってるんやもん。
「次の代に何をつなげていくか」
ってことに。
真実は視点の数だけあって、
でもこれまでは、その視点(表面)をつつきあってきた気がする。
本当は、いろんな視点に刺激されながら、「自分もその視点のひとつを持っている」って、もっと表していい。
表しながら、根源が同じだってことに気づき、それぞれに活かしていく。
すべての根源は同じなのだ。
「次へ繋げる」という、命あるものすべての根源。
否定には、誤解が含まれていく。
過去があって今がある。
否定は、さも過去のそれらにかけられているようで、いや、そうでなく。現在にも繋がってしまう。
連鎖、、、
本当は否定ではなく、感謝をし、そして自分の視点を他と交じらせて選択していく。
それが未來につながる。
ダンス振り付けが、もうすでに次世代に乗っ取られた(笑)
いや、嬉しい形で繋がった
この作品にうちが惹かれたのは、見たあとに話がしたくなる、踊りたくなる、もっと共に時間を過ごしたくなるところ。
それはこの作品が、最初から「きっかけ」になる気が満々だからこそだと思う。
今日も、この作品と共にきっかけになれたことに感謝。
ちゃっかり、神戸まつりパレードへの意気込みとお誘いをして(笑)
さて次は
久々に東北に帰って充電っす❗