吉野ヶ里歴史公園

  

 

 

弥生時代の700年の間、栄えていったのがすごい。

   

田手川を越えて、環壕集落ゾーンに入る。

  

 

『南内郭』

 

 

  

 

物見櫓に上ってみる。

  

櫓門…環濠や土塁、柵に囲まれた出入り口には、大きな櫓があり、門の下を通る人を見張っていた。

  

北側の『倉と市』が見えている。後から『倉と市』にも行くつもりだったけれど、広くてたどり着けなかった。

  

 

「大人(たいじん)」の家…おとなの家だと思っていたら違った!大人(たいじん)は、上位身分で、下戸(げこ)は、庶民、さらに下層身分、生口(せいこう)と分かれていた。ここは、支配層の家だった。

  

 

     

 

南内郭の中にさらに柵で囲まれたところに王やその家族が住んでいた。

  

竪穴住居の中にも入れる。

  

 

    

 

煮炊屋

  

 

 

南内郭を出て、次は、神聖な場所であった北の方をめざす。

  

 

    

 

    

 

  

 

カイコを飼い、絹を生産し、織物を織っている。高い文化を持っていた。

  

 

  

弥生時代…原始的な生活と思っていたのは、間違いだった。吉野ヶ里、ここは、一つの国だった。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国が、どこであったか分からないが、吉野ヶ里が邪馬台国であった可能性もあるようだ。

    

 

  

これだけの規模になると、村というより国だ。北九州には、吉野ヶ里だけではなく、たくさんの遺跡があるようだ。大陸からの文化が入ってきた場所だ。