私の読ませてもらっている方々のブログに、消費税が上がることに触れている方が誰もいませんびっくり

不思議じゃない、テーマがあるから、と思えば不思議でもないのですがウインク

増税前に何がお得かとじたばたし、そして失敗している私とは、違いますね・・・ニヤリ

 

先週、今週と日曜日のごミサの聖書箇所は、お金にかかわる所でした!!

 

9月23日(日)不正な管理人の例え

福音朗読  ルカによる福音書 16:1-13
(そのとき、イエスは、弟子たちに言われた。)「《ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。》
ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

神父様のお説教で、この例えはわかりにくいとされたうえで、こんなお話をされました。

「管理人は、自分が金を儲けることばかりを考えて、不正に主人のお金をごまかしています。お金がすべて。頼れるものはお金だという考え。現代でもありますね。

しかし、管理人をくびになる時になって、初めて、他人の事を考えます。主人に借りのあるおそらく貧しい人を助けることを考えました。お金ではない、助けてくれる友達という存在に思い至るわけです。

だから、神様である主人は、他者のことを考えるようになった管理人を褒めたのではないか」、というような解釈。

自分が儲ける事、お金を増やすことばかり考えていた管理人が、他者に目を向けたということ、

そう聞いて、少しわかったような気がしました。

 

9月29日金持ちとラザロ

福音朗読  ルカによる福音書 16:19-31
(そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。)「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

 

これは、もう有名な箇所です。

私達が、日常、自己中心で他者の痛みや苦しみを考えない生き方をしているか、慈しみと愛に生きる者であるか、

その違いによって、永遠の生命においては、大きく違いがあるということ。

金持ちは、自分の生活に満足し、他者を憐れむことをしなかった。

 

この2週間の話が、消費税の2パーセントを惜しんでいる自分に、やんわりと何かを訴えかけているようです。

しか~し、少しでも節約したい、早期退職者の貯金が減るのはつらい、と

お金の方に目が行ってしまっています、頼れるものはお金だと、この世の考え方から抜け出せない、消費税増税前夜であります札束

10パーセントでも、それが本当に必要なところに使われるなら全くいいのですが、そうは思えないから嫌な気分になるんです。

政治家はそこを、もっと説明してほしい。

この聖書の箇所を読み直し、心を落ち着けないといけませんねニコニコ

 

平日のミサでは

”私達が何をなすべきかを知り、その使命を果たすことができますように”

”私達は、幸せのために信仰しますが、神様がどう導いてくださるのか、それに委ねていくことが信仰です。ペトロも自分が望むメシア像を免れられませんでした。神様が与えてくださる本当の幸せに導かれますように。

今週そんな祈りが捧げられました。

 

庭の秋バラなど・・・気候変動であまり咲かなかったのですが、変わらず良い香りです。

 

   

 

10月1日は、カトリック教会では、小さき花のテレジアと呼ばれる聖人の日となっています。

病のテレジアが、死を前にして、言われた言葉。

「私は神様に愛だけを捧げました。愛でおこたえくださるでしょう。

私は、この世の人達を助けながら、天国を過ごし、その人たちのために、ばらの雨をふらせましょう。」

私達のために、いつも天国で神様に取り次いでいてくれる方。

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