19歳の頃、大学1年生の終わりの春休み、フィジーへ2週間語学留学へ行ったことがあった。
時給800円のバイトで貯めたお金で初めて1人で海外へ行った。
フィジーと言えば、南国・楽園というイメージがあるかもしれない。
観光客向けのリゾート地は確かにその通りなのだが、
一歩リゾート地から離れ、普段現地の人が生活しているところに足を踏み入れると、
そこはまさに発展途上の国。
サンダルで30分も外を歩けばいつの間にかサンダルと足は真っ黒。
レストランなどで出てきた料理に、ハエが止まっても誰もなにも気にせず普通に食べる。
ハエをわざわざ払おうとする人も少ない。
私のような日本人を見つけると、たくさんの人がタクシーやお土産を勧めてくる。
たまーに物乞いをする子供がいて「1ドルちょうだい」とか言ってくる。
現地の人はだいたい15年前の日本で流行ったような白黒の携帯(カメラなし)を持っていて、
カラーの携帯を持っている人はそれを自慢していた。
パソコンを持っている家庭は少なく、ネットカフェやホテル、空港のようなところ以外では
ネットはほとんど繋がらない。
5階建て以上の建物はほとんどなく、3~4階建ての建物でも
エスカレーターやエレベーターはほぼない。
それでも空港には今にも壊れそうなボロボロのエレベーターがあり、それを見たときは
「フィジーにもエレベーターかある!!」と感動した。
実際に行ってみるとフィジーは、日本では考えられないほど、モノが限られていて不便。
いわゆる経済的に貧しい国だった。
しかし、このように不便さや貧しさは感じつつも、
日本人よりも心はとても豊かではないかと思うことがたくさんあった。
自分のものはみんなのもの、みんなのものは自分のものという文化があり、
例えば人の家に遊びに行って、リビングに置いてあるものは何でも使っていいし、
食べられるものなら食べてもOK。
勝手にものを使われて怒る人はいない。怒るくらいならきちんと片付けておくべきだという考え。
フィジーは時間もゆっくり流れていて、遅刻をしても誰も気にしない。
観光客向けのファイヤーダンスのショーを見に行ったときはショーが30分以上遅れたが、
「It's Fiji time!」と言って、笑いに変えてしまう。
もちろんバスの時刻表などはなく、バス停に行ってバスが来た時に乗るのだが
(私が利用していたバス停は15分に1本はあった)、バス停でイライラしている人はいなかった。
そして何よりみーんな笑顔だったという印象がある。知らない人でも気さくに挨拶を交わすし、
バスで隣に座ればすぐに友達になってしまう。
私が困った顔をして道に迷っているといつも誰かが助けてくれた。
ご近所さん同士も仲良して、よく誰かの家に集まってバーベキューをしているようだった。
モノはなくて不便だし、衛生面も決して良くないし、稼げるお金の額は日本よりもずっと少ないけど、
なんだか見てて幸せそうだった。
今の日本では(私の勝手な印象だけど)、
出来るだけたくさん勉強して、出来るだけ偏差値の高い高校、大学へ進学する。
それが終われば今度は必死で就職活動をして、出来るだけ良いと言われる会社へ入り、
社会人になれば毎日仕事や時間に追われて生きていく。
社会人なんだから辛くても我慢するべきだ、みんなそうしているし、それが大人なんだと思って。
フィジーに来る前までは、私もそれが当たり前だし、そうするべきたし、
そうするのが偉いんだと思っていた。
・・・というか、そもそもこれを当たり前だと思っている自分に気づきもしなかった。
外の世界を見てから、今までの自分はこの当たり前のことを
何も疑わずに当然だと思っていたことに気づき、
日本での当たり前は海外では(少なくともフィジーの一部では)全く当たり前でもなく、
偉くも何でもないことに気づいた。
多分これに気づいてしまったから、3年の後期、幸か不幸か就活に必死になれなかった。
就活に本当に必死になって高いお金を出して就活塾に通ったり、
どんな嘘をついてでも内定を得ようとしている人たちのことが理解できなかった。
そしてやっぱり、このまま正社員になって会社のために一生懸命ずーっと働いていくのは
何か違うんじゃないかという考えに至ってしまった。
もし、あの時フィジーに行ってなかったら、
このまま「当たり前」の道を何も疑わずに選んでいたかもしれない。
そうすれば、親も先生も安心させられた。
でも、その「当たり前」の道に進んでいたら、社会人になって安定して、
それなりにやりがいも楽しみもあったかもしれないが、
自由を奪われ、日々仕事や時間に追われ、多くのストレスを抱え、
この生き方何かが違う気がするけど、みんなそうしているから仕方ない、
これを我慢するのが大人なんだと思って生きていたかもしれない。
フィジーへ行って、今まで当たり前だと思っていたことが
当たり前でも偉くも何でもなかったことに気づけて、
これが良かったのか、それとも、気づかなくてよかったことなのか、
それは今は分からない。
ただ、フィジーで行ったおかげで、自分が納得する道を選ぶことはできたと思う。
将来この道を選んでよかったと思える日が来れば最高に嬉しい。
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