>「家庭での甘やかしが引きこもりを助長し、凶暴になっていった」というような報道の内容で「親が不登校を容認すること」に当事者の親も一旦今の対応を考えるような風潮になった記憶があり、そこからモヤモヤしていた所を言語化していただきスッキリしました。
報道内容が極めて限られているので、私の今までの経験や知識からの推測です。間違っているかも知れません。きっと女性は中学校から高校時代に不登校になった、見かけ上不登校になりかけたのだと思います。その女性の姿を精神科医の父親が、自分の医学知識から解決しようとしたのではないかと推測します。自分の医者としての知識を用いた対応、薬を使った対応の結果、女性が父親に色々な要求を出すという形での問題行動をしたのだと思います。

その要求を父親が叶えないと女性が酷く荒れたので、その荒れを止めさせる、防ぐために、父親は女性からの要求を全て叶えていったのだと思います(この場合の女性からの要求は女性からの本心ではなくて、父親を苦しめようとする問題行動でした)。ですから幾ら父親が女性の要求を叶えてもそれは父親への信頼感にはなりません。そこで女性の心がより辛くなって、父親が困るような問題行動をすることを、父親がその問題行動、無理な要求を叶えることに、依存をするようになっていったと推測されます。

もし女性への対応を母親がしたなら、女性はその本能として母親を大好きですから、母親の対応を受け入れて、母親への信頼感となり、問題行動をしなくなります。父親でも、この女性への共感とスキンシップがあったなら、これだけの大事件にはならなかったと思います。心が辛い子どもへの対応は母親又は代理母でないと難しいのです。きっと滋賀県大津市の保護司刺殺事件はこのような要件が関与していたと推測されます。

>すでに心が不登校の子どもには気持ちを否定しないよう学校にこだわらないこと、母親が無条件で、100%だけ、即座に笑顔で叶えることが重要なのですね。
そうですし、それにより子どもと母親との間の信頼関係ができていき、強まっていきます。この信頼関係から、子どもが行動を起こすとき、母親の思いに無理なく縛られることになります。

>この100%だけ、というのは言われたことだけに応える、それ以上はやり過ぎない、という意味で合っていますか?
母親、又は代理母にはその通りです。それと一緒に、共感とスキンシップも大切です。

>「続けるうちに父親が無条件で女性の要求を叶えることに依存をしてしまった」という表現にドキッとしてしまいました。
依存という観点がとても大切です。子どもは大人に、特に母親に依存をして成長をします。父親でも、其れ以外の人でも、代理母の機能があれば、100%だけの部分がより緩くなります。しかし共感とスキンシップは母親以外では難しさがあります。

 

「家庭での甘やかしが引きこもりを助長し、凶暴になっていった」というような報道の内容で「親が不登校を容認すること」に当事者の親も一旦今の対応を考えるような風潮になった記憶があり、そこからモヤモヤしていた所を言語化していただきスッキリしました。
すでに心が不登校の子どもには気持ちを否定しないよう学校にこだわらないこと、母親が無条件で、100%だけ、即座に笑顔で叶えることが重要なのですね。
この100%だけ、というのは言われたことだけに応える、それ以上はやり過ぎない、という意味で合っていますか?
先生の「続けるうちに父親が無条件で娘の要求を叶えることに依存をしてしまった」という表現にドキッとしてしまいました。

<解説>
>「家庭での甘やかしが引きこもりを助長し、凶暴になっていった」というような報道の内容で
甘やかしとは親が先回りをして対応をすることです。子どもが要求をしていないことまでしてしまうことです。ところが子どもの心と大人の心は異なります。ですから、親が子どもを甘やかすとは、子どもが希望をしていないことを、親が希望しているだろうと思い込んで対応をしてしまう場合です。

その子どもが希望しない対応が子どもの心を楽にしたなら、子どもはそれを受け入れます。この結果親の先回りが子どもの求めている物だと理解した親が、その対応を続けていると、子どもはその対応に依存をするようになります。又、親が先回りをした対応をしたからと言って、子どもは親を信頼しません。そしてその先回りをした対応が途切れたとき、子供は大変心が辛くなり(葛藤状態)、子どもはその辛さから問題行動をするようになります。子どもと親との間に信頼関係が無いので、子どもはその子どもなりの問題行動をして、場合によっては事件になる場合もあります。

その子どもが希望しない対応が子どもを苦しめることになります。子どもは希望をしない対応を受けたとき、拒否反応を起こして、心が辛くなって荒れてしまいます。それにより親はその子どもが希望するだろうとして行った対応で子どもが辛くなっていることが和真理、親の方で対応を変えることになります。

子どもが希望する対応を親がした時、子どもの心はとても楽になり、子どもは親を信頼するようになります。信頼するようになると、子どもが希望をする対応を小屋がしないときがあっても、子どもは葛藤状態になりません。別の表現をすると、子どもは親からある意味で、しつけされた状態だと表現ができます。

これを別の表現で表すと、
子どもからの要求を100%だけ叶えた場合の、親と子どもとの関係です。その叶えるときに、子どもからの要求を即座に笑顔で叶えると、より子どもからの信頼感が強くなります。

子どもからの要求を100%以上親が叶えようとした場合、また子どもからの要求を100%以下しか叶えなかった場合には、上記の子どもが希望をしない対応をした場合に相当します。
 

不登校引きこもりで昼夜逆転している息子に、子どもからの要求を答え続けている母親からの相談メールです。
息子が「あのさ、最近すっかり寝るのが遅くなっちゃってるけどかあちゃん大丈夫?」と聞いてきたので、「母親?全然大丈夫だよ」と言うと「それならよかった笑」と言いました。寝るのが遅いことを、まだ子どもの自分がこんな生活していて大丈夫なのかという心配でなかったので安心しました。
さっき子どもは身体が痒いようで掻いて、痒くてイライラするときがありました。母親は身体洗ってないからかなと思ったり、キレイにして薬をつけてあげたかったですが、それを言うと無理にお風呂やシャワーをさせることになるし、そのうちよくなるよと薬だけつけました。
「さっきから眠いけど歯磨きしたくないと思ってるんだー」と話してきたので「磨きたくないときは磨かなくていいよ」と言いました。
昨日、子どもは歯の黄ばみは気になるようで「きれいにしたい」と言いました。そっかと聞いてから日が経ってしまったのですが、これはすぐ予約してあげるといいのでしょうか。
3時半過ぎ布団へ来てから、「自分は体質的に不眠症とか夜行性なのかも」と言ってきました。母親はまた、子どもは子ども自身のことを病気なんじゃないかと心配しているのかと思って心配ないよってことを意味することばかり言ってしまいました。心配ないよは大丈夫だよと同じで子どもの言ってることを否定することにもなるし、余計なことを言うとろくなことはないし、聞くだけでいいですね。。気をつけたいです。

<解説>

>息子が「あのさ、最近すっかり寝るのが遅くなっちゃってるけどかあちゃん大丈夫?」と聞いてきたので、「母親?全然大丈夫だよ」と言うと「それならよかった笑」と言いました。
これは息子からの質問でしたから、母親は母親の思っていることを素直に言って良いです。

>寝るのが遅いことを、まだ子どもの自分がこんな生活していて大丈夫なのかという心配でなかったので安心しました。
母親の対応に、息子が昼夜逆転の生活をしても良いと理解しているという意味です。昼夜逆転をした生活をした方が早く昼夜逆転を止めて、その子どもなりに活動をし出すことは、経験的な事実です。きっと子どもが自己否定をしていないと言う意味ではないかと推測されます。

>さっき子どもは身体が痒いようで掻いて、痒くてイライラするときがありました。母親は身体洗ってないからかなと思ったり、キレイにして薬をつけてあげたかったですが、それを言うと無理にお風呂やシャワーをさせることになるし、そのうちよくなるよと薬だけつけました。
大人の心と子どもの心とは異なりますから、大人の心からの対応をしないで、子どもからの要求だけを100%だけ、即座に笑顔で母親は叶えてあげると、子どもの心はより早く元気になっていきます。

>「さっきから眠いけど歯磨きしたくないと思ってるんだー」と話してきたので「磨きたくないときは磨かなくていいよ」と言いました。
常識に反しますが、不登校などの子どもへはこの対応が良いです。その方が歯磨きをし続けてくれます。又「磨きたくないときは」と条件をつけないで、ただ「磨かなくて良いよ」と言ってあげた方が、子どもの場合より良いようです。

>昨日、子どもは歯の黄ばみは気になるようで「きれいにしたい」と言いました。そっかと聞いてから日が経ってしまったのですが、これはすぐ予約してあげるといいのでしょうか。
子どもの方から動き出さない限り、母親は直ぐに動かない方が良いです。常識的に好ましいことを子どもが言う場合、子どもがよい子を演じている可能性が高いからです。

>3時半過ぎ布団へ来てから、「自分は体質的に不眠症とか夜行性なのかも」と言ってきました。
子どもは自分の今の姿を母親がどのように感じているのか、母親をテストしたと考えられます。

>母親はまた、子どもは子ども自身のことを病気なんじゃないかと心配しているのかと思って心配ないよってことを意味することばかり言ってしまいました。
悪くはないです。
もっと良いのは共感とスキンシップです。

>心配ないよは大丈夫だよと同じで子どもの言ってることを否定することにもなるし、余計なことを言うとろくなことはないし、聞くだけでいいですね。。気をつけたいです。
聞き続けてあげるだけで良いです。共感とスキンシップがより良いです。
 

娘はきっと幼いときから父親のコントロール下にあったと推測されていたと申し上げました。それは娘を可愛く思うことから、結果として夫婦は娘を所謂我が儘娘(自分の主張を否定されると、とても辛くなり、荒れるなどの問題行動をする)に育てたのだと思います。そしてそのこととは無関係に、学校内で娘の心が辛くなることがあり、娘が学校に行き渋るようになったのではないかと推測されます。

しかし父親は娘を外見上不登校にさせないため(娘の心は既に不登校)に、娘を学校に行かせるために、あらゆる娘からの要求を実現する(心が不登校の子どもを学校に行かせようとすることは、子どもの心を否定することになります。その娘の否定された心を、要求を叶えることで癒やせただけであって、学校に対する辛さは続いていた、相乗効果を生じていたと推測されます)と娘が学校に行ってくれたので、娘からの要求を無条件で全て認め続けたのではないかと推測します。それを続けているうちに、父親が無条件で娘の要求を叶えることに依存をしてしまいました。

不登校などの心が辛い子供の要求を、母親は無条件で、100%だけ、即座に笑顔で叶える対応は、辛い子どもの心を楽にして、子どもの心を元気にします。それだけでは不十分で、子どもの心を辛くする物、不登校の子どもなら登校刺激を取り除かないと、効果がありません。又、心が辛い子どもはこの対応を母親に求めても、父親には求めません(父親が代理母になっている場合は別です)。心が辛い子どもはこの対応を父親に求めませんから、それどころか心が辛い子どもは父親の存在に子どもを責める物を感じてしまいますから、子どもの心を元気にしません。子どもが要求する物を即座に叶えられることに、子どもは習慣化して依存をするようになります。それでも共感とスキンシップがあったなら、娘の要求を何でも叶えるという父親の対応への依存の程度は弱くなるはずです。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%88%B6%E8%A8%BC%E8%A8%80-%E5%A8%98%E3%81%AE%E5%BF%83-%E3%81%93%E3%82%8C%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB-%E3%81%A8%E9%80%9A%E5%A0%B1%E3%81%9B%E3%81%9A-%E3%81%99%E3%81%99%E3%81%8D%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6/ar-BB1pcT6j?ocid=BingNewsSerp
に、札幌ススキ野殺人事件のが様が、裁判の審理という形で記載されていました。

この内容に踏み込む前に、裁判の内容から、何故娘が殺人を犯したのかを推測できるようになっています。それは記事にありませんが、娘の心がとても辛くて、その辛さの問題行動から、その娘なりに問題行動を起こしたのが、殺人事件になっています。

以前から申し上げますように、子どもの行動は大人のように知識から考えて行動をするのではない。母親との信頼関係で縛られていると、母親との信頼関係でマリオネットのように、子どもは信頼の糸の範囲で行動をする、母親の思いを感じて行動をするという子どもの心です。

この事件を私が知る範囲で、娘に関して母親の姿が殆ど見えてきていません。父親が娘への対応で前面に出ていたのでしょう。そして娘は学生年齢時代、不登校なの度の心が辛い状態にあったと推測されます。そして父親は精神科医ですから、娘の心を自分の医学的な知識から分析して対応を続けたのだと思います。それは
>瑠奈被告が長年、精神的に不安定だった経緯を詳しく説明し、「娘の心がこれ以上壊れないようにするためにはどうすればよいかを考えて行動を選択していた」という
のMSGから推測できます。娘はきっと幼いときから父親のコントロール下にあったと推測されます。きっと娘が納得するほどの母親との触れ合いが無かったのだと推測されます。そして父親は専門としている精神科医学の知識から子育てや娘の問題行動に対応をし続けて、母親の母性からの対応を許さなかったのではないかと推測されます。つまり父親は子どもの心は大人の心とは違うのに、大人の心から見た子どもへの対応、精神医学からの知識からの対応を続けていたはずです。