>「行くな」という言葉を一度でも言えば、子供によっては強烈な親からの否定だと受け取り、自分はおかしいの?だめなの?って落ち込んでしまい、それを忘れられない子供もいると思います。
このMSGを書かれた人の経験からの判断だと思います。しかしどのような心の状態の子供に「行くな」と言われたのか、子供が言われたことにより本当にここに書かれているような姿の子供になったのか、不思議です。

1)心が元気な子供に「学校に行くな」言った場合、「学校に行くな」という言葉は、子供が学校に行っていることの否定の意味です。それ以外の意味はないはずです。ですから一度ぐらいこの言葉を言われたからと言って、心が元気な子供は冗談のように理解すると思います。子供によっては「なぜ親が自分に学校に行くなと言うのだろう」といぶしがる、「なぜ学校に行っている自分を親は否定するのだろう」と思うと推測します。

それでも親からの繰り返す「学校に行くな」のMSGは、子供の情動にわずかずつの回避系の情動を生じ、繰り返されることにより、それで情動に回避系の相乗効果を生じて、親に対して回避反応を生じるようになります。その回避反応は否定されたことに対する反応であり、登校刺激でFCRが反応をした心の辛さの仕組みと異なります。そして不登校問題の対応の経験の中で、そのように必要以上に「学校に行くな」と言われた症例を見たことはありません。

2)不登校で心が辛い子供には、学校に反応をして子どもの心を辛くするFCRがあります。このFCRがあることで不登校で心が辛い子供はどんなに弱い登校刺激にも反応をして心を辛くしてしまいます。

不登校で心が辛い子供に「学校に行くな」と言葉がけをしたら、この言葉で登校刺激が否定されていますから、FCRの反応が抑制されます。その分不登校で心が辛い子供のこころの辛さが減少します。子どもの心は楽になり、その姿は元気になってきます。

不登校で心が辛い子供でも、登校刺激がないとFCRは反応をしませんから、心は辛くない時間になります。登校刺激が存在していないためにFCRが反応をしていない不登校の子供では、「学校に行くな」は登校刺激を否定した言葉ですから、登校刺激になりません。言われたその場での情動の変化はないはずです。

登校刺激によりFCRが反応をしている不登校で心が辛い子供では、この「学校に行くな」という言葉で登校刺激が否定されますから、その否定された分のFCRの反応が弱まります。その反応が弱まった分だけ不登校で心が辛い子供の辛さが減ります。

3)不登校だった子供が心が元気になった場合の子供に「学校に行くな」といった場合、不登校だったが元気になった子供の心にはFCRがありますが、そのFCRが機能をしていない状態ですから、FCRがない心が元気な子供と反応の仕方はおなじです。

4)不登校で心が辛い子供に「学校に行くな」と言うと不登校が悪化したというMSGが見られます。この悪化したという意味はFCRが反応をして子供の辛さがより強くなったという意味でしょう。しかし「学校に行くな」と言う言葉は、登校刺激を弱める言葉です。ですから「学校に行くな」と言う言葉で不登校で心が辛い子供の辛さを悪化させることはありません。それでも現実に子供の辛さが強くなったのですから、親の気づかない登校刺激をこの言葉と一緒にあたえたと考えられます。しかし親が気づかないどのような登校刺激を不登校で心が辛い子供にあたえたのか、親が気づいていないので全く分かりません。

 

以下は不登校引きこもりで心が辛い子どもに関してです。
不登校と言うことは「学校に反応をして子どもの心を辛くするFCR」があります。

>行きたい
学校に行きたいと子どもが言葉を発するのは、知識の心に「学校に行きたい」という知識があります。
大人では個の知識と同時に、情動の接近系がきのうをして学校にいこうとします。実際に行きます。
心が元気な子どもでは、その子どもの「本能(接近系)から、知識の心にあるこの言葉から学校にいこうとする情動行動が生じますし、学校にいきます。
不登校引きこもりで心が辛い子どもでは、学校という言葉でFCRが機能して強力な情動の回避系を生じます(トラウマ=FCRだから)。子どもの本能の「学校に行きたい」が生じる接近系より遙かに強い回避系を生じ、学校に行かれません。大人がしばしば間違いやすいのですが、言葉で「学校に行きたい」と言いながら、そして良い子の反応から学校に行こうとする姿を見せることもありますが、結果的に学校に向かって動くことが出来ません。子供が言葉でなんと言おうと、「学校に行かれない」子供の姿が、FCRがある子どもでは子どもの心という意味で正解です。

>行けない子がいるというのは間違いという事ですが
子どもの心の立場から、情動からの判断です。FCRが働く子どもでは、子どもの心として、「学校に行かれない」が正解です。FCRがない子どもでは間違いです。

>家庭で休みエネルギーを溜め、トラウマの影響が少なくなってきた
不登校引きこもりで見られるFCRは極めて強力です。もうFCRがきのうをしなくなった(FCRがなくなることは動物実験では基本的に有りません)と判断されても、登校刺激で激しく反応をして、FCRの反応の仕方が元の反応に戻ることが多いです。それほどFCRの反応は強いです。配慮する必要があります。

>親に話をしてくる事があります。
二つの可能性を考える必要があります。
一つはFCRが登校刺激に反応しなくなるほど弱まった(正しくは、FCRはまだ反応をするけれど、それ以上に情動の接近系が機能をするようになった
もう一つは、子どもの心が元気になってきて、良い子の反応をすることが出来るようになった
です。
一つ目ですと、一応不登校問題は解決したと判断できます。
二つ目ですと、心のエネルギーは0に近づいてきたけれど、場合によって0を超えているけれど、トラウマが持つ情動の回避系の大きさのために、簡単に心のエネルギーがマイナスになってしまって、それ以後心のエネルギーがマイナスになってしまうことを配慮する必要があります。

>家庭で休みエネルギーを溜め、トラウマの影響が少なくなってきた子供達が、学校に興味を持ち出した時点で、親に話をしてくる事があります。
上記の二つの場合のどちらかであるかを、母親は間違えないで判断する必要があります。

>反対を押し切ってまで行ける状態では、まだない子供達です。
それなら良い子の反応をしていると考えた方が、子供のためにも、母親のためにも良いと思います。子供の本心ではない、情動の接近系が、心のエネルギーが、学校に向かうほど大きくないという意味です。

>親に話したい、聞いてもらいたい、相談したい子達です。
私の経験では、このような子供は心のエネルギーがプラスですが、未だ学校に行くだけの十分大きな心のエネルギーを持っていない場合が多いです。勿論学校に行かれる場合も有りますが、もし行けた場合にはどことなく学校生活に元気さがない場合が多くて、もう少し不登校をして、もう少し心のエネルギーを大きくして、学校に向かった方が良いように思っています。

この程度の心のエネルギーを持った子供の心のエネルギーを判断する目安として母親から子供へ「学校に行くな」と行ってもらっています。個の母親の言葉を無視して子供が学校に行くようですと、上記の1目と理解して大丈夫なようです。この言葉で子供が学校に行かないようですと、子どもの心のエネルギーは未だ十分でないとして、母親に対応をしてもらっています。

説明しやすくするために、ほ乳類に限定して考えます。動物は母親から産まれて、母親に守られて成長をして、大人になって自然淘汰に耐えて子孫を残して死んでいきます。ですから子どもは成長をして大人になるのが正しいのです。人間の場合、子どもが大人になっていく姿は、子どもが置かれている環境や子どもの周囲の大人により異なってきます。

子どもが身につけた能力が周囲の大人に受け容れられなくて、周囲の大人がその子どもを責めても、子どもは子どもとしての能力から大人からの要求をかなえ、大人が作った環境に順応をしています。大人からみて間違った成長をしていると判断しても、そのように間違った成長をせざるを得なかった環境をあたえた大人が間違っているのです。子どもは大人があたえた環境の中で素直に育っています。「子どもとして間違っていません」。大人としてただしくても、子どもとして間違っているのは、子どもが間違っていると考える大人の方に問題があります。そのように判断する大人の判断が間違っています。

子どもは自分が成長をする環境を選ぶことは出来ません。子どもがそのような(人間)環境に置かれたことが、子どもが環境に順応した結果が大人として問題なのであり、子どもとして責任はありません。問題なのはそのように大人が受けいれられない子どもとなるように学習をさせた大人に責任があります。子どもはあたえられた環境に順応するように一生懸命成長をしただけです。

子どもがあたえられた環境に順応している限り、一生懸命環境に順応して成長をしているのに、それを周囲の大人から否定されたら、子どもの情動が回避系に機能をして、その環境から逃げ出すか、その環境に対して荒れたり、問題行動をしたり、心の病の症状を出すようになります。それ故に、子どもがあたえられた環境に順応して育っている限り、大人があたえた環境内で子どもの反応が大人にとって好ましくなくても、子どもは間違っていないと、周囲の大人はその子どもに対応をしていく必要があります。大人があたえた環境内で子どもが育ち、大人に好ましくない姿になったときの対応法(たとえば不登校の子どもへの対応法)は大変に難しいです。


ただ一点だけ子どもに間違いがある場合が有ります。実際にあまり経験することはないのですが、子どもがあたえられた環境で間違って反応をすることがあってもおかしくありません。いつもとおなじ環境ならいつもとおなじ反応をする事を学習しているのに、周囲の大人も、当人も分からない理由でいつもと異なる反応をする場合が有ります。子どもがいつも周囲の大人に喜ばれる反応をしているのに、その時は周囲の大人にとって好ましくない反応をしてしまう場合です。大人の言葉で失敗です。子どもがいつも周囲の大人が好まない反応をしているのに、その時は周囲の大人にとって好ましい反応をする場合です。良い子の反応です。


 

「学校に行くな」という言葉に対するまともなコメントが出てきたので、この際にもう一度「学校に行くな」という言葉の説明をしてみます。

>学校行くな、というセリフ、ここは、強めに言うのか、弱めに言うのか、度合いが子供の状態によってかなり違うのでは?

今までの私からのコメントは、「学校に反応をして子どもの心を辛くするFCRがあることもについて」です。このFCRがない子どもについての私からのコメントは基本的にありませんが、今回はこのFCRがない子ども(多くの方が理解可能)から説明してみます。

このFCRがない子どもでも、学校に向かう心のエネルギーが大きい子どもと小さい、低い子どもがいます。その心のエネルギーの大きさ、程度は子どもによりいろいろです。子どもが学校に通っているのなら、学校に向かう心のエネルギーはプラスです。

学校に向かう心のエネルギーが大きな子どもでは、母親が「学校に行くな」と言っても、その母親の言葉を無視する子ども、その言葉に言葉の上で反発する子どもがいると思います。心のエネルギーが大きな子どもでは、言葉でいろいろと反応をするでしょうが、子どもは母親のこの言葉を無視して学校に行ってしまいます。母親がしつこく、そして語調が強くこの言葉を繰り返し言わない限り、この言葉の影響が残ることはありません。

学校に向かう心のエネルギーが小さな子どもでは、母親が「学校に行くな」と言たら、子どもは否定されたと反応して、その言葉に言葉の上で反発すると思います。その言葉の頻度や語調により、子どもの否定されたとの反応は強くなります。心学校に向かう心のエネルギーが小さな子どもでも本能からの学校に行こうとします。それを母親からこの言葉で否定したので、その分心のエネルギーが小さくなり、その時の心のエネルギーが0付近の子どもによっては心のエネルギーがマイナスになり、心のエネルギーという意味で子どもの姿に元気がなくなり、学校に行こうとしなくなる子どもも出てきます。この場合はFCRの反応でないので、登校刺激の影響は基本的にありません。ある時間たって否定の要素が薄まると、子どもの心のエネルギーはプラスに戻り、子どもは今までの姿に戻ることができて、子どもは自分から学校に行こうとします。

心のエネルギーが小さい子どもに「学校に行くな」という言葉を繰り返すと、その都度子どもは母親から否定されたと反応をして、子どもの心のエネルギーの総量もだんだん低くなり、マイナスになり、学校に向かう心のエネルギーもマイナスになり、学校に行かなくなります。現実にはないと思いますが、それでも「学校に行くな」と言い続けられて、子どもの本能が、すなわち子どもの存在が否定され続けることで、心の病の症状を出すようになります。「学校に行くな」と言う言葉は登校刺激として機能をしているのでなく、子どもの本能を、存在を否定されたことによる問題行動です。不登校の子どもへの登校刺激とは異なります。

 

21歳の不登校引きこもりで、心の病の症状を出している息子です。以前は精神科を受診していましたが、今は薬が効かないと言って受診も止めています。その結果息この病的な症状は、軽い鬱状態以外に、今ほとんど無くなりました。
その息子が言っていた言葉です。
「昔はお母さんに相談すれば全て解決できていたのに、今はそれが出来なくなってしまった。だから不安だし凄く大変で辛い、一生この生活を続けて行くのは辛すぎるから、早く死ぬ準備をしなくちゃいけないんだ。」でも、その言葉の少し後に、「冬になったらこの衣服じゃ寒いからもっと厚手の暖かい衣服を買って。」と言っています。
この息子の心の理解として、死ぬ準備をしなくてはならないくらい辛いと思う一方で、生きている事実も考えての言葉でしょうか?
それと「昔はお母さんに相談すれば全て解決できていたのに」と言う言葉は、私が小さい頃からずっと過干渉で先回りをして、息子の心が自立できず、今の辛さが有るという事でしょうか?
いつも言われている、「母親は先回りはせず、自分の意見も言わないで要求されたら100%叶える事」は、辛さを癒す事と同時に、今から息子の自立を始めてゆく意味もあるのでしょうか?

【解説】

>今は薬が効かないと言って受診も止めています。
自分発の意思で通院や服薬を止めています。自分発の意思を出せると言うことは、息子の不登校問題を御母様だけで解決できると考えられます。

>「昔はお母さんに相談すれば全て解決できていたのに、今はそれが出来なくなってしまった。
この言葉の内容が事実かどうかわかりません。今の息子がこのように理解しているという意味です。その息子からの理解から、この言葉を言うことで、母親の反応を無意識にテストしています。子の息子の言葉が事実でも、事実でなくても、母親は息子の言葉を尊重して、謝るだけで良いです。この内容は忘れてください。

>不安だし凄く大変で辛い、一生この生活を続けて行くのは辛すぎるから、早く死ぬ準備をしなくちゃいけないんだ。
今の息子は自己否定で苦しんでいます。息子の自己否定について母親がどのような反応をするのか、息子は見ています。テストしていると表現しても良いでしょう。

>「冬になったらこの衣服じゃ寒いからもっと厚手の暖かい衣服を買って。」と言っています。
これが息子発の意思です。是非実現をしてあげてください。

>この息子の心の理解として、死ぬ準備をしなくてはならないくらい辛いと思う
その理解で良いですが、その息子の思いを用いて、息子は母親の反応をテストしています。
母親は傾聴をしてくれているようですが、母親がどのような共感とスキンシップをしたのか書かれていません。きっと母親なりにしてくれたと推測します。

>一方で、生きている事実も考えての言葉でしょうか?
きっと考えての言葉でなくて、息子さんなりの生きたいという本能からの表現だと私は判断します。

>それと「昔はお母さんに相談すれば全て解決できていたのに」と言う言葉は、私が小さい頃からずっと過干渉で先回りをして、息子の心が自立できず、今の辛さが有るという事でしょうか?
前記の通りです。忘れてください。

>いつも言われている、「母親は先回りはせず、自分の意見も言わないで要求されたら100%叶える事」は、辛さを癒す事と同時に、今から息子の自立を始めて意味もあるのでしょうか?
辛さを癒やすだけでなく、信頼関係を高めます。信頼関係が高まって、自己否定も弱まっていきます。それは最終的に息子を自立させますが、そのためには未だ長い時間が必要です。もっともっと母親の息子の心の理解または息子との信頼関係が必要です。