新しい通知を確認したりすると、脳の「報酬系」が活性化され、この時に快楽物質とされる脳内神経伝達物質が分泌されます。
SNSからの反応やスマホの通知は脳にとって「報酬」となり、ドーパミンを放出させます。ドーパミンは快楽物質と言われ、スマホ使用で高揚感や快感を得ると脳内に分泌されるため、依存症に関係すると考えられます。
これはドーパミンに関する脳科学者からの説明文書です。この文書で医者を含めて多くの人が間違いやすいことを指摘しておきます。
>新しい通知を確認したりすると、脳の「報酬系」が活性化され、この時に快楽物質とされる脳内神経伝達物質が分泌されます。
この文書を読むとドーパミンがあたかも成長ホルモンや甲状腺ホルモンのように、血液の中に分泌されるように理解されます。血液の中には分泌されません。シナプス以外の脳内にも分泌されません。神経伝達物質はシナプス間隙内に分泌されて、シナプス後膜にある受容体と結合をして、神経伝達を終了し、分解されます。またシナプス間隙に分泌された神経伝達物質はシナプス前膜から再吸収されるといわれています。いずれにしても基本的に神経伝達物質は血液中に漏れてきませんので、血液を調べることでどのような神経伝達物質が機能をしているのかを知ることはできません。
ただ何かの理由で神経伝達物質が神経伝達に必要以上にシナプス内に分泌された場合、シナプス内で神経伝達物質の分解が間に合わない時、神経伝達物質がシナプス外に漏れ出して、脳内に、血液内に漏れ出してしまいます。この時は血液を調べることで脳内のシナプス内でどのような伝達物質が過剰に分泌されたかを知ることができます。これは特別なばあいで、ドーパミンがならドーパミンの過剰分泌は、統合失調症や依存症(ギャンブル、買い物、過食など)といった精神疾患や行動障害と深く関連していると書いたものもあります。ただし、これらのドーパミンによる症状が、シナプス内の過剰のドーパミンによるものか、それともシナプス内に過剰にドーパミンが分泌された結果、神経細胞内でのドーパミンの生産が間に合わなくて、シナプス内のドーパミンに枯渇を生じたせいなのか、はっきりと示した研究はありません。
SNSからの反応やスマホの通知は脳にとって「報酬(接近系)」となり、(ドーパミンを伝達物質とするシナプス内に)ドーパミンを放出させます。ドーパミンは快楽物質と言われ、スマホ使用で高揚感や快感を得ます。シナプス内に過剰にドーパミンが脳内のシナプス内に過剰に分泌されるため、血液内にもドーパミンが漏れ出して、血液を調べることでドーパミンの存在を知ることができます。それと同時に、神経内でのドーパミンの生産が間に合わなくて、それまでと逆にシナプス間隙間にドーパミンの不足状態を生じて、依存症に関係すると考えられます。
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I guess it's not easy to understand about what the word of qualia mean. And also its difficult to explain it objectively. Because it shoud be internal , subjecitive senses arising from stimulus.
大脳は意識の心、習慣の心、情動の心、の三つに分けられます。意識の心や習慣の心に医学な病変があったとしても、情動は必ず生じます。そしてクオリアとは情動の心の機能です。情動の一種です。感情を生じる情動とqualiaを生じる情動との違いは次のようです。
感情を生じる情動は、その情動の体内への表現が強いために、その体内の臓器の表現が強く、その臓器への情動表現を、臓器に存在する感覚器で感じ取り、その情報は意識の心に送られて、感情と理解されます。
詳しいことを省略しますが、体外からの刺激を受けると、脳はそれまでの経験に基づいて、習慣行動、情動活動、そして記憶などの意識活動を生じます。ualiaの場合には、情動として内臓表現が弱いために、意識の心ではそれを感情として理解しないで、その受けた刺激(例えば赤いリンゴを見た)に対して、その刺激の実態(赤いリンゴ)を記憶しますし、内臓に表現された情動に気づかなくても、祖の情動を情動記憶記憶します。
それ以後リンゴを見た時に、記憶の中のリンゴを思い出すとともに、リンゴを記憶した時に生じた弱い情動が体の臓器に表現されて、リンゴらしさを意識することが可能になります。それを既視感「デジャヴ(déjà vu)」として感じるのだと思います。
The cerebrum is divided into three parts: the conscious mind, the habitual mind, and the emotional mind. Even if there is a medical disorder in the conscious mind or the habitual mind, emotions will always arise. Qualia are a function of the emotional mind. They are a type of emotion. The difference between emotions that give rise to feelings and emotions that give rise to qualia is as follows:
Emotions that give rise to feelings are strongly expressed within the body. Emotions are strongly expressed in the organs within the body. The emotional expression of those organs is sensed by the sensory organs in the organs, and this information is sent to the conscious mind, where it is understood as an emotion.
I will skip the details, but when we get stimulation from sometiong outside our body, the brain generates conscious activity such as habitual behavior, emotional activity, and memory based on previous experiences. In the case of qualia, because the visceral representation is weak, the conscious mind does not understand it as an emotion.
From then on, whenever you see an apple, you will recall the apple from your memory, and the same and weak emotion that has arisen when you memorize the apple will be expressed in your bodily organs, and you will be able to become aware of its apple-like nature. I think this is what you know as déjà vu.
>先生のやり方が合わなかった方に対しては厳しいです。
ありがとうございます。今までのコメントの中で初めて「やり方」という言葉を使ってくださいました。あくまでも私の記憶の範囲ですが、これまで私の小児心理学について「教え」という言葉が使われてきていたように思います。
>最終的に子供の責任は親しか取れません。
責任の意味を私が誤解しているかもしれませんが、子育てはすべて親の責任ではないでしょうか?親に育てられている子供はすべて医療をふくめて親に依存(責任を求めて)しています。カウンセリングという他人がする対応は、親が子育てに迷ってアドバイスを求めてきたときに、他人がヒントを与えるものだと理解していますし、カウンセラーはそれを踏まえてカウンセラーなりの回答を与え判断対応を親にゆだねているやり方だと信じています。
ただしカウンセラーがある目的をもって、脅迫を含めて親を洗脳することはカウンセリングに含まれていません。もちろん親も切羽詰まってカウンセラーを選択していることも事実です。でもそれだからといって、親がどのカウンセラーを選ぶのかという点は親の責任であり、カウンセラーは選ばれたことにどこまで責任を持つべきなのか、私には答えはありません。ただ私としては、親が私に責任を取ってくれと訴えてきたときには、相談を受けたものとして”それなりの責任”を取る覚悟です。
>ご自分のアドバイスが、押しつけや強制になっていないかよく考えてほしいです。
もし私のアドバイスが”押し付けや強制”と理解なさるなら、今の医学、医療はすべて”押し付けや強制”になります。私は医者ですが、医者としての良心から働いて医療からは収入を得ていますが、今まだ皆さんに理解されていない”今私が確立しようとしている小児脳科学心理学”からボランティアでカウンセリングを行っています。そのことによる責任を取る覚悟で行っています。
>教えを受けている人は、自由に選べていると思っていますが、本当にそうなのかと疑問に思います
>↑この部分、そうかもしれませんね。医師であり、長年不登校問題に取り組んできた先生の言葉はそれだけ重いのでしょうね。
教えという言葉を使われましたが、私は教える、洗脳しようとしているつもりはありません。今まで私が習得したものを利用して、相談に来られた人の納得がいく、納得がいくまでカウンセリングを行っていますが、相談に来られた方がそれを”教え”と理解なさる、”洗脳”と理解なさらないようにカウンセリングを行っていても、それでも私の小児脳科学心理学を教えと理解なさるなら、私として今以上の対応はありません。今の医療が現在の姿になるまでいく世紀もかかっています。今の私の小児心理学が皆さんに受け入れられるまで、努力を続けます。
不登校引きこもりの子が、外出や家族との触れ合いなど、今までやらなかったことをやり出した時についてです。(勉強や登校はのぞく)
A.良い子の反応をしたが、その後荒れなどは無し
B.良い子の反応をして、その後荒れた
C.挑戦をして成功した
D.挑戦をして失敗した
これらの区別が大変難しいなと思いますが先生のご経験上、どのように見分けたら良いか、そしてCDでも結果にかかわらず多少の荒れ(疲れや身体症状など)があるものでしょうか。
【解説】
>不登校引きこもりの子が、外出や家族との触れ合いなど、今までやらなかったことをやり出した時についてです。(勉強や登校はのぞく)
この状態の子供の心の状態は、子供の心のエネルギーが大きくなってプラスになってきています。不登校問題の解決という場合には、どのような登校刺激を受けても心のエネルギーがマイナスにならないことを確かめる必要があります。
1)子どもの周囲にある登校刺激に反応しなくなっています。子供の周囲にある登校刺激に反応しないだけの場合(学校そのものを与えるとトラウマが反応してしまう場合には、再度不登校の心になってしまう場合があります)と、
2)どのような登校刺激にも反応しない場合(親から登校刺激を与えて、どんどん勉強をさせてよい)があります。
1)と2)と、その境目は はっきりしません。子供の後追いをして、子供の方から登校刺激に相当するものを求めた時、その時の子供の反応から判断します。子供の方から登校刺激を求めた(挑戦した)時、1)だった時にトラウマの悪化を避けるために、母親は逃げ道を作っておいてあげる必要があります。2)だった時には子供はその逃げ道を無視しますし、それで子供の本心を否定したと反応しません。
1)も2)も、一応この子供は不登校の子供でないと考えていいと思います。
>A.良い子の反応をしが、その後荒れなどは無し
2)であってほしいですが、まずは1)を考えて、子供の後追いをするのが良いです。
>B.良い子の反応をして、その後荒れた
子どもの心はまた不登校です。
>C.挑戦をして成功した
挑戦を学校に行こうとしてが反応することがなかったという意味でしたら、この子供は不登校の子供と考える必要がありません。普通に学校に行っている子供としての子育てが可能です。
>D.挑戦をして失敗した
挑戦を学校に行こうとして学校に行けなかったという意味でしたら、トラウマをより悪化させます。その分不登校問題の解決が遅れます。
>これらの区別が大変難しいなと思いますが先生のご経験上、どのように見分けたら良いか
母親に学校からの逃げ道を作ってもらって、その逃げ道に子供が逃げてくるかどうかで判断をします。
>そしてCDでも結果にかかわらず多少の荒れ(疲れや身体症状など)があるものでしょうか。
C.でも多少の荒れ(疲れや身体症状など)がある場合があります。それがないと挑戦といわなくても良い心の状態です。
D.ではこれらがあることで挑戦が失敗します。
子供が不登校になる前にも、不登校になったばかりでも、子供が学校に行こうとした、学校に行ったなら、母親が喜んだという知識が子供の知識の心にあり、習慣の心に学校に行くための反応の仕方が記憶されています。
その不登校の子供が何時もなら学校に行く状況(例えば学校に行く時間)になった時、その子供の知識から学校に行きたい、学校に行くという言葉が発せられます。
それとは独立して子供の言葉より先に、習慣の心から学校に行こうとする動作が生じます。情動の心からの学校に行こうという子供発の意思からの行動ではありません。けれど学校に行こうとする動作、習慣行動が生じるとすぐにそれが登校刺激となり、トラウマがより強く機能をして、子供の心はよりつらくなって、学校を回避する情動行動、学校に行こうとする習慣行動を情動から抑制して、この子供として学校に行こうとする行動にならないことが多いです。言葉と行動と伴わなくなります。
この良い子の反応を情動の心でみると、情動の心では、トラウマに反応して回避行動を選択する神経回路が機能をし始めても、その瞬間には習慣の心では学校に行く動作の神経回路が機能(皮質反射と言ってよいと思います)をしていますが、情動の心からの情報が優先しますから、すぐに学校に行こうとする行動は抑制されて、意欲(情動の接近系で学校に行こうとする行動を習慣の心からさせようとする)に相当する神経回路は機能をすることができません。本能的な回避行動(習慣の心は関与しないけれど、運動野だけが関与する)や、習慣の心にある学校を回避する行動が選択されます。良い子の反応をするとは、情動から習慣の心の情報を用いて回避行動をする場合です。ですからあたかも自分の意思からの行動に見える、回避行動です。
習慣の心を利用しない回避行動ではなくて、よい子の反応をするという習慣の心を利用した回避行動を考えるにはqualiaの概念が必要です。習慣の心を利用しない回避行動、あれや問題行動には それぞれの行動にはqualiaがあります。良い子の反応をした時に学習した良い子の反応についてのqualiaが、それ以外の回避行動が持っているqualiaより大きいと考えられます。そのために、不登校の子供が登校刺激を受けた時にする回避行動として、良い子の反応をする反応の仕方が選択されるのではないかと推測されます。