大人の心は 知識の心と 前頭前野の機能を含めた 意識の心です 。子供の頃は 感情の心(情動の心)です。 それゆえに 子供は その場その場で生じた感情に基づいて 行動します 。その時子どもの心に生じた感情(情動)は潜在意識ですから、子供自身も 理解できませんし それを見ている大人は その大人の持っている大人の知識(多くは日本文化。私の場合は、それに加えて脳科学)から子供の心を理解しようとします。子ども自身は感情の心(情動の心)に生じた自分の感情(情動)で無意識に行動しています。
ここで今後は感情と言う言葉を使わないで、「情動」 という言葉を使わせていただきます。 その理由は、感情という言葉は、感情の心、より正確には、情動の心が体中の組織や臓器に表現したもの=情動を感覚神経で感じ取って。意識の心で感情として理解した場合ですから。また、感情をとして理解できない場合には、情感または質感として理解します。
このように子どもの心、情動の心を理解するには、今の大人の持っている知識からでは不十分です。 どうしても脳科学的な理解が必要になります。
母親だけは 子供の心が辛い状態であることを 母親の本能、母性から知ることができます。具体的にどのようにつらいのかまでは判りませんけれど 母親だけは この子どもの心がつらい状態だと感じ取り、自分の子どもを守ろうとする 母親の本能が機能する場合があります。
不登校の子供の心を理解をするには 学校に反応をして子供の心を辛くするトラウマFCRが、 感情の心(情動の心)にあることを理解しなくてはなりません。不登校の子供は 登校刺激を受けると このトラウマが反応して 心がとてもつらい状態になります。しかしこの心の反応の仕方を理解できる大人は ほとんどいません。子供自身も、 潜在意識の感情の心(情動の心)で生じていることを知ることができません。なぜ自分がつらくなるのか 理解できません。その結果、不登校の子どもに関係する大人は、 子供の心がつらくなった状態を 大人の持っている知識から大人は理解して、子どもの心の問題を解決しようとします。
「母親が気づいた時点で、子供を母親の元で子供が納得するまで楽しい時間を過ごさせて、その後子供の学校への反応を見ながら、子供を学校へ行かせることです 」