11歳の不登校引きこもりの子どもについてです。さきほど今日は風呂に入らないと言って来たのでうん、分かったよと笑顔で言いました。そのほんの少し後、風呂に入った方がいいよねぇ?」と聞いてきました。
わたしのなかでは風呂に入らないことを許可したのに、何度も聞かれると、風呂に入って清潔にした方が良いに決まっている、だから風呂に入ったら?と常識で考える自分がどうしても出てきて、口にこそしませんが心で思ってしまい、笑顔で風呂に入らなくていいよ、と言えなくなってしまいました。わたしは息子が風呂に入らないと決めたならそれでいいよ、と笑顔なく言ってしまったのですが、子どもは「うん」と言って、そのまま寝るために自分の布団へ行ってしまいました。わたしが心から風呂に入らなくてもいいよとどこかで思えていないからきっと子どもはお見通しなんですよね。。
もう何が何でも「いいよ」と何度でも笑顔で言ってあげると心に決めて、言うようにしたいと思います。「学校へ行かなくていい」という言葉もそうだったのですが、子どもが変わる姿を見たら自然と心から言えるようになるのではないかと思います。子どもの心の回復を今すぐのぞんでいるつもりはないのですが、控えめな子どもに、いい加減わたしを信じてよと思ってしまうときがあります。
わたしが子どもを信じて、そのままの子どもをすべて認めて、対応を続けていかないとですね。

<解説>

>そのほんの少し後、風呂に入った方がいいよねぇ?」と聞いてきました。
子どものしつけの結果毎日風呂に入っている子どもですから、このしつけが嫌だという意味で風呂に入らないと言ったのです。風呂に入らないことを母親から許可されても、未だしつけの結果の毎日風呂に入るという習慣が思い出されたので、母親にこのような聴き方になっています。しつけ通りに生活をしなくて良いかどうか、母親がどう思っているのかを、子どもは母親をテストしました。この子どもは結果的に風呂に入らなかったようですが、母親が笑顔で「風呂に入らなくて良いよ」と言ってあげたら、逆に自分から風呂に入ったかも知れません。

>わたしのなかでは風呂に入らないことを許可したのに、何度も聞かれると、風呂に入って清潔にした方が良いに決まっている、だから風呂に入ったら?と常識で考える自分がどうしても出てきて、口にこそしませんが心で思ってしまい、
不登校引きこもりの子どもは常識の外にいます。ですから子どもは毎日風呂に入ることをしつけされていても、風呂に入りたくないのです。しかししつけから、風呂に入るという知識を思い出してしまい、常識の外にいる子どもは風呂に入りたくなくなったのです。それを母親が許可するかどうかを母親にテストしたのですが、母親の知識の中では風呂に入るという知識が優先しているのです。
けれど母親は子どもの心も元気にしたい、そのためには風呂に入ることよりも子どもの意思を尊重する必要があると言う知識との間で、板挟みになっていたのでしょう。その結果として

>笑顔で風呂に入らなくていいよ、と言えなくなってしまいました。
母親はそのように自分を見つめていたのでしょうが、子どもには、母親が子どもの意思を認めてくれたという事実だけは伝わったようです。

>わたしは息子が風呂に入らないと決めたならそれでいいよ、と笑顔なく言ってしまったのですが、子どもは「うん」と言って、そのまま寝るために自分の布団へ行ってしまいました。
これが母親の笑顔と一緒に伝わったらもっと良かっただけです。でも子どもは母親が子どもの意思を認めてくれたという事実が伝わって良かったです。

>わたしが心から風呂に入らなくてもいいよとどこかで思えていないからきっと子どもはお見通しなんですよね。。
子どもは母親が子どもの意思を認めてくれるかどうかをテストしただけです。一般に子どもは母親の心をテストすることが多いですが、大人のように見通すと言う言葉は当てはまりません。

>もう何が何でも「いいよ」と何度でも笑顔で言ってあげると心に決めて、言うようにしたいと思います。
御願いします。
不登校などの心が辛い子殿の場合、母親だけは子どもの意思を「良いよ」とまず認めて、その後で母親の都合や思いを伝えることは可能な場合があります。子どもの心が元気になってきている場合です。

>「学校へ行かなくていい」という言葉もそうだったのですが、子どもが変わる姿を見たら自然と心から言えるようになるのではないかと思います。
それまでの母親は地獄に居る思いかも知れません。でも子どものためなら耐えられるのが母性です。子どもの心が元気になったらこのような思いをしなくても良くなりますから。

>子どもの心の回復を今すぐのぞんでいるつもりはないのですが、控えめな子どもに、いい加減わたしを信じてよと思ってしまうときがあります。
お母さまが地獄にいらっしゃるという意味ですね。辛いでしょうが、今は耐えてあげてください。

>わたしが子どもを信じて、そのままの子どもをすべて認めて、対応を続けていかないとですね。
母親と子どもとの間の信頼関係をもっと強めていく必要があるという意味ですね。子どもは本能的に母親を信頼しようとします。ですから母親が子どもを信頼しようと努力する必要があるのです。その過程で母親が辛い思い、地獄の思いをしなくてはならない場合があるのです。