児相担当者や復学支援などの対応法を見聞きする度に胸が痛くなります。
子供の心に沿った対応をしていると、その荒れた時は親として本当に情けない気持ちになりますが、それを耐えて子供の言いなりになったその先の子供の姿は自己肯定感が高まっていますし、母親も子供に対してありのままの子供の姿、生きていてくれたらそれだけで十分だという気持ちになります。それ以外望むことは何もありません。
そんな母親の思いが伝わるのかわかりませんが子供も母親に優しく接してくれますし、また自分のために生きようとしているようにも見てとれます。
そして問題行動など微塵もありません。
この子どもの心に沿った対応が心の辛い子供の回復には最善だということが世の中の常識になるといいな、と切に願っております。

<解説>

>児相担当者や復学支援などの対応法を見聞きする度に胸が痛くなります。
常識が先行をする母親なら、子供をどうにかして問題解決をしようとします。母性が機能をする母親なら、この筆者のように感じると思います。つまり、母性が機能をする母親は、その子供の姿だけでなく、子供の心の中で何が起こっているのか、意識できないけれど感じ取れるのです。

別の表現をすると、自走担当者や復学支援を担当する大人は、大人の持っている常識から対応法を考えます。しかしこれらの人が対応をしている子供は、大人の持っている常識で辛くなっているのですから、その子供たちの心はますます辛くなっていきます。ただし、これらの大人の前でその子供たちの素直な心から反応をしたなら、これらの大人たちはより常識的な対応を強めますから、もっとその子供達の心を辛くしてしまいますから、子供達は無意識によいこを演じてその場を回避するという傾向があるようです。

その子供たちがよいこを演じた姿を大人たちは見て、大人たちの常識的な対応が間違っていなかったと理解します。そのあと子どもたちはこれらの大人たちの目が届かないところで問題行動を強めていますが、これらの大人たちが気付かないか、気づいても子の大人たちの対応が子どもたちをこの問題行動に導いたとは考えません。子供達の心が問題だとだけしか考えません。ますます子供たちの心をどうにかしなくてはならないと考えます。

もちろんこれらの大人たちの中には、子供達の居場所を作って子供たちがこれ以上問題行動をしなくてよいようにする努力をしている人もいます。それも悪いわけではないですが、本質的な解決法ではありません。心が辛い子供たちにそのつらい心をいやす代理母がどうしても必要なのです。しかしそのような仕組みを考えてくれる人は皆無といってよいかもしれません。

>子供の心に沿った対応をしていると、その荒れた時は親として本当に情けない気持ちになりますが、
つまり親をテストしていると理解できる子供の姿です。

>それを耐えて子供の言いなりになったその先の子供の姿は自己肯定感が高まっていますし
子供からのテストに合格したという意味です。テストに合格すると子供と母親の間の信頼関係が強まります。子供が母親に信頼されていると納得できたなら、子供は誰かほかの人から指図されなくても、子供の持っている本能からその子供なりの成長と子供の周囲の社会への馴化をはじめます。

>母親も子供に対してありのままの子供の姿、生きていてくれたらそれだけで十分だという気持ちになります。それ以外望むことは何もありません。
母親の母性が機能をしている状態です。不思議なことに母親はその母性が機能をしだすと、目の前の子供をそのままそれでよいと受け入れられるようになります。本当に母性とは不思議です。

>そんな母親の思いが伝わるのかわかりませんが子供も母親に優しく接してくれますし、また自分のために生きようとしているようにも見てとれます。そして問題行動など微塵もありません。
それほど母性(具体的に示すことはできませんが)の偉大さだと思います。もちろん子供の姿に母性の機能が必要ないほど、子供の心が元気なら、このような議論は必要ありません。