経験を伴わないと身につかないというのは本当にその通りだと思いました。
ここでもやはり先回りはしない方が良いのですね。
うちには不登校の子供と不登校でない子供の両方いますが、不登校でない子供にはつい常識的な対応をしがちで、先回りしないことはとても難しいと日々感じています。(ここでの不登校の子供への対応を学んでいるので一般的なお宅よりはかなり非常識だとは思いますが)
<解説>
>経験を伴わないと身につかないというのは本当にその通りだと思いました。
大人では、イメージトレーニングのように、言葉だけで状況をイメージして、それを経験として身につけることができます。しかし子どもではそれが出来ません。ある言葉について現実にそれを経験することで、言葉の意味が理解できるようになります。理解できるとは、その言葉に関する反応ができるようになります。それでも大人でするような状況のイメージを作る(状況を記憶する)ことは大人ほど上手にできないようです。
>ここでもやはり先回りはしない方が良いのですね。
上記の様に大人の心と子供の心と異なります。大人の心からの対応は、大人の心に当てはまりますが、大人の心と異なる子どもの心を持った子供には、その子供なりの性格を持っていて、その性格から反応をしますから、多くの場合子どもの心を否定することになります。
>うちには不登校の子供と不登校でない子供の両方いますが、不登校でない子供にはつい常識的な対応をしがちで、先回りしないことはとても難しいと日々感じています。
大人の心では平等という概念が働きます。しかし子どもの心からなら、その子供なりと言う対応が、子どもの心を楽にします。母親と不登校の子供との間に信頼関係があるなら、不登校の子供はその子供なりの対応を母親に求めます。母親の他の子どもへの対応を無視します。他の子どもに登校刺激があっても、不登校の子供は、母親の他の子どもへの対応を無視することができます。
ただ問題は母親が不登校の子供との間に信頼関係ができているつもりでもできていなかったときには、不登校の子供も、母親の他の子どもへの対応に影響を受けてしまいます。
見方を変えると、母親の他の子どもへの対応に、不登校の子供が影響を受けてしまう場合には、母親と不登校の子供との間に信頼関係ができていないと判断できます。母親と不登校で無い子どもとの間の信頼関係は、その母親なりでよいと思いますし、その信頼関係は不登校の子供との間の信頼関係と異なっていても良い場合が多いです。
>(ここでの不登校の子供への対応を学んでいるので一般的なお宅よりはかなり非常識だとは思いますが)
子どもの心に辛い物があるときには、それは子どもにとってとてもありがたい母親です。辛い心を元気にしてくれます。子どもの心に辛い物がないなら、子供の方でその子供なりに修正して、子どもなりに大人の反応の仕方に合わせた反応の仕方をしてくれます。