子供の心に添う
子どもの心と大人の心と異なります。子どもの心の基本は 感情の心(情動の心)です。 それに対して大人の心の基本は 記憶の心= 意識の心=理性の心=知識の心 です。子供は言葉で 自分の知識を言葉にしますが、その言葉に基づいた行動は 基本的にできません。それに対して大人は 大人の持ってる知識を 言葉にして、 その言葉から行動が可能です。感情の心は、一時的な感情表現という意味での行動にはしますけれど、その人の基本的な行動にしません、なりません。
大人が間違えやすい子どもの姿として 子供が良い子を演じている時の姿です 。 その際に 子供は 子どもの言葉に沿った行動をしますけれど、 それは決して子供の知識にある言葉から行動したのではなくて 、 その言葉が持つ 感情の心の 働きから 行動しているからです 。 別の表現の仕方をすれば その言葉を使って行動をすれば 子供は 親から大きな喜びを得られるという 過去の経験から 行っている行動です。 その見かけと異なって、 その子どもの行動を感情の心(情動の心)からの 行動なのです。その子供の 言葉からの行動を 多くの大人 子供の知識からの行動だと 誤解をしているのです その結果として 子供の心を 間違って理解している 大人が多いし そのことにより現実に 多くの子供が 苦しむことがあります。
それゆえに大人が子供について考えたことが間違えていることが多いです。特に不登校などの心の辛い子供の心を常識的な大人の知識から大人が考えた時には、ほぼ間違いなく子供の心を正しく理解できていないようです。
子供の発する言葉は子供の持っている知識ですから、子供の本心ではありません 。また 子どもの行動から子どもの心を 理解しようとする場合 、 子供の本心からの行動なのか 子供のよい子を演じている姿の行動なのか、 それを見分けてあげる必要があります。 あくまでも基本的にですが 母親の前では子供は 子供の本心からの行動をし、それ以外の場所では 子供が良い子を演じているのではないかということを念頭において 子どもの行動を考える必要があります 。すなわち他人が見ている子供の心姿は 子供が良い子を演じてる 時の姿と考えた方が良い場合が多いようです。 このように子供の本心を知るためには脳科学的なアプローチが必要です。
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16歳息子木曜日に突発的に荒れたあと、その後丸一日私を避けてましたが息子は落ち着きました。昨日は息子とぬいぐるみごっこしたり電車の話したりたくさん遊びました。
ただここ最近、いつもより気持ちに軽い波があるように感じます。昨日のぬいぐるみごっこの中で、息子が操るぬいぐるみの医者が息子の頭や体を検査し「こいつは中3から勉強してない、空っぽだ。食生活もひどい」と言いましたので、「それで良いです、息子の好きなようにさせて下さい」と、母親はぬいぐるみで 返しました。
秋ごろからずっと落ち着いていたので、木曜日の突発的な取り乱したような荒れについては息子がやりたいこと(鉄道の混雑調査)が自分の計画通りに行かないことによる自己否定と思いましたが、時節柄、登校刺激ような気がしてきました。ここ最近、学校がらみの話や友達では一時的に元気なくなることがたまにあるくらいで大きく荒れることなかったので、登校刺激を考えませんでした。
>木曜日に突発的に荒れた
その時の息子さんが置かれた状況、息子さんの様子を詳しく教えてください。そのあとの対応はとても良かったです。
>最近、いつもより気持ちに軽い波がある
息子さん自身が自分を許せない、それはきっと不登校していることではないかと推測されますが、そのようなものがありそうです。それはきっとこの2月3月と言う時期的なものではないかと思います、お母様の対応が悪いのではないと思います。
>息子がやりたいこと(鉄道の混雑調査)が自分の計画通りに行かないことによる自己否定
今のお母様の対応ならそうではなくて
>時節柄、登校刺激ような気がしてきました
私もそのように考えます。
不登校の子どもを持つ母親からの質問にお答えします
>登校拒否を生まないために少々の事では傷つかない子どもに育てるには親はどうしたら良いのでしょうか?
不登校の子どもは 「心に学校に反応して子どもの心を辛くするトラウマ」 を持っています。トラウマの本体は恐怖の条件反射です。子供が死ぬほどつらい恐怖を経験するか、周囲の大人が恐怖だと気づかないような軽い恐怖を長い時間または頻繁に経験していた子供がこのトラウマを持つことになります。そしてこのトラウマが反応することによって子供は学校へ行くことを拒否するようになります。この事実から子供が恐怖に遭遇しないような生活の仕方を学校内でさせてあげれば不登校になりません。
しかし子供の実生活の中ではそれは不可能なことなのです。ここではその理由を述べません。子供が死ぬほどつらい恐怖を経験した場合には、その辛い経験した場所から子供を母親の元に逃がしてあげて、母親の元で そのトラウマが消失するまで 楽しいことに没頭させてあげると良いです しかし 不登校のことを知らない親にとっては その判断は大変難しいことです。また周囲の大人が恐怖だと気づかないような軽い恐怖を長い時間待たは頻繁に経験していた子供では、母親が気づいた時点で、子供を母親の元で子供が納得するまで楽しい時間を過ごさせて、その後子供の学校への反応を見ながら、子供を学校へ行かせることです
>親の育て方によって、いかようにも子どもの性格は変わる事が出来るのでしょうか?
子供の性格とは 子供の感情の心の反応の仕方と、習慣の心の反応の仕方で決まります これらは 長い年月の間にその反応の仕方が決まっていますから、そう簡単に変えられません。 日々の生活の中で 子供が 問題を行動を起こさないような 環境を提供して、子供が 母親の希望するような行動をするような環境を提供して、 子供の成長を待つしかありません 不登校と子供の性格と 細かいところでは関係していますけれど、根本的な問題ではありません。
心の進化論 (4)
生まれてきたばかりの子供は、ほかの哺乳類の子供と同じように、機能として感情の心がほぼ完成した段階で生まれてきていて、習慣の心や知識の心は機能としてまだ完成していませんが機能はし始めてます。成長の段階で習慣の心の情報を増やし、知識の心の情報も増やして行きます。その速度は予想外に早く、乳児期終わるころにはほかの哺乳類、人間についで進化の頂点にいる類人猿の心を遙かに凌駕しています 。
子供はその子供なりに知識の心と習慣の心を発展させて、大人知識の心や習慣の心に近づいていきます。けれど大人と根本的に違うところは、大人のように知識の心からの行動、すなわち意識行動ができできない点です。子どもの行動の全ては感情の心からの行動と習慣の心からの行動です。それに対して大人は人間の社会生活を維持するために、知識の心で意識的に習慣的に感情の心を調節して、あたかも感情の心がないような行動の仕方をします(前頭前野の機能)。その結果として子供は大人から褒められるような行動の仕方をして成長して行きます (感情の心の機能、正確には情動の心の機能)。それに対して大人は知識の世界でその大人なりの生き方を続けきます。
大人は子供時代に経験したことを参考にして、大人の知識の心で観察した結果からの子供の心の理解ですから、そこは子供が今現在何を感じているかという事実と異なっています。それでも心の元気な子どもは、子供の方で大人に合わせてくれますから 、その合わせてくれた子供の姿から大人の考え方が、対応が 正しかったと、大人は判断してしまいます。
進化の頂点に居る人間では、その行動に関して大人の心と子供の心とが異なります。それゆえに大人が持っている知識から子供の心を判断すると、理解しようとすると、ほぼ間違いなく間違えてしまいます。 しかし大人は、子どもの心の理解を間違っていることに気づかないのです。子供の心を間違って理解した場合、その原因を子供に求めてしまっています。
中学一年から登校引きこもりの19歳の娘です。母親の対応が変わることで娘の姿が大きく変わってきました。娘は母親の反対を押し切ってアルバイトを始めましたし、通信制の学校にも行き出しました。それでも娘の部屋の中はめちゃくちゃですし。スマホばかりをしていて母親を手伝おうともしません。この姿についてカウンセラーから母親の理解が違うとの指摘を受けました。そこで母親は娘への理解が違うという点を、 いろいろと母親なりに考えてみました 。母親の考えたことを解説してみます。
>学校のことが始まり、心に余裕がないのでしょうか?
この娘の姿は娘なりの世界への挑戦の仕方であり、母親にとって不満でも、母親だけはこの娘の姿を認めていく必要があります。娘は今の自分の姿が母親が求めるものって違っていることを知っています。けれど今は自分なりに社会に向かって動くしか方法がないのです。娘なりに精一杯世界に向かって挑戦しているのですから、仕方がないです。そのお嬢さんの挑戦が終わったら、お嬢さんはお母様の希望をかなえてくれるようになります。そのような時期が来ることをお母様は信じて待ってあげてください。
>私に対する批判はあるが、それほど強いものではなく、自室でゆっくり娘のペースで過ごたいだけなのでしょうか?
それもあるかもしれません。今のお嬢様の姿はお嬢様なりということを考えてあげてください。つまり今のお嬢さんにとって今のお嬢様に一番良いように行動しているという意味です。それがお母様の常識的な発想と異なっているという意味です。そしてお嬢さんのお母様が持っている常識とは異なるお嬢さんの姿をお母様が許していると、お母様を信頼し切ったお嬢さんの姿なのです。
>今回を振り返って、いつも玄関の靴が揃えていたのができなくなっていたり、洗濯物に名札が紛れていたり、、がありました。
お母様には問題行動と生かされているのでしょう。私から見ればお嬢さんなり、またお嬢さんの失敗の一つだと思います。
>ただ私には優しいと思います。食器を台所へ持ってきてくれたり、夜中猫が騒いで私が眠れないでいると一匹の猫を自室にいれてくれたり、、私を気遣ってくれているように思います。
このような事実からお嬢さんはお母様をとことん信頼している、お嬢さんの味方であると反応していると思います。
>娘はできないことがあるのはわかった上で、私に願いを叶えてほしいのでしょうか?と、、いうことは、テストされていたのでしょうか?
お母様はそこまで考えなくて良いと思います。お嬢さんはお嬢さんなりに挑戦を続けているだけです。その挑戦のしわよせがこのような姿になっています。ですからお嬢さんの挑戦がうまくいったなら、もっとお母さんのことに配慮してくれるようになると思います。
>テスト、、だとすれば、娘の今の状態がわかっていない、、共感やハグ、スキンシップ不足だったのかな。思い当たることがあります。
テストと考えても失敗はしませんが、あえて考える必要はありません。お嬢さんなりの挑戦だと考えて、それも必ずお嬢さんなりに成功してくれると考えて、お嬢さんを信頼して出す結果を待ってあげてくださいください。