>「お母さんが忘れる忘れないじゃない」と、言われましたがでも、子どもも忘れていくんですね。

あくまでも私が対応をした経験例についてです。

自分の子供のこととなると母親は細かいことまでよく覚えています。さすが母親だなあと感じています。

こころが元気な子供は、自分が興味を持ったことはとてもよく覚えています。興味がないことは忘れやすいので、親として覚えてほしいことは繰り返しおしえる必要があります。またはご褒美を与えて覚えてもらうという方法があります。ご褒美で覚えてもらう場合、ご褒美に依存を生じますから、依存を生じても良いようなものをご褒美にする必要があります。

こころがつらい子供は辛さから逃げる行動しかしません。心がつらい子供がしていることは、つらさから逃げる行動だと考えてもほぼ間違いありません。ですから心がつらい子供が繰り返ししている知識や行動は身に付きますが、本当に不思議なことに、子供の心が元気になって、その知識を使わなくなったり、その行動をしなくなった時には、その知識をわすれ、その行動を自分からしようとしなくなります。心が元気になってきても心がつらかった時のことをしきりと訴える子供ま、まだ十分に心が元気になっていないと判断して対応をしたほうが良いように感じています。

本当に不思議ななことなのですが、不登校であれだけ辛い思いをして荒れまくった子供がそのことを忘れてしまう事実です。不登校だった子供が自分から不登校でない子供の成長の仕方に近づこうとすることです。不登校だったことを意識しない傾向があることです。それ故に不登校だった子供の親は、不登校だったことによる子供に不登校時代の勉学の遅れを取り戻そうとしなくてよいと私は判断しています。不登校の子供には登校刺激与えないだけで、自分の不登校問題をその子供なりの解決法で解決して、学校に戻ったり、大人社会に出ていこうとします。それが不登校の子供の一番良い不登校問題の解決法だと私は考えています。

先生がバカにしているというより、ご自身の研究を述べるにあたり、それを理解できないことに、失望しているし、切り捨てていると感じています。トラウマを持った子どもは、今どんどん増えています。先生の理論でいう不登校分類2,3のお子さんもおられたら、ここまでしぶとく、社会と切り離す治療が必要でしょうか。子どもが前を向き、進みたいという願いが親が壁となり阻まれていたら、辛いです

>先生がバカにしているというより、ご自身の研究を述べるにあたり、それを理解できないことに、失望しているし、切り捨てていると感じています。
私はそのようなつもりがないのですが、現実にそのように感じていらっしゃることが人がいることがわかり、びっくりしています。ただし今の私の表現方が私にとって私なりのものですから、どうかお許しください。

>トラウマを持った子どもは、今どんどん増えています。
学校に反応して子供の心を辛くするトラウマFCRを持った子どもが増えてきていることが事実です。私の感覚的な判断です。それに対して私ができることを私がしているのが、私の活動の仕方です。私が経験する限り学校の先生方はこのトラウマのことを全く知りません。多くの先生方はこのトラウマのことを知る必要がありません。しかしこどもの中に、学校に行き渋ることも、学校に行けなくなった子供が出た時には、このトラウマのことを考えていただく必要があります。そうしないと、これらの子供達の心を守ることができないからです。現実にできていないからです。

>先生の理論でいう不登校分類2,3のお子さんもおられたら、ここまでしぶとく、社会と切り離す治療が必要でしょうか。
学校に反応して子供の心を辛くするトラウマFCRを理解していただけたら、このような言葉はなくなると思います。

また、社会から切り離すのではなくて、学校から切り離すのです。もちろん社会の中にトラウマを反応させるものがある場合には、その問題が解決するまで社会に出て行ってもらうのを待ってもらいます。

>子どもが前を向き、進みたいという願いが親が壁となり阻まれていたら、辛いです
学校に反応して子供の心を辛くするトラウマFCRが機能をしている子供にとって、「子どもが前を向き、進みたいという願い」はありません。子供が動物である限り、学校に反応して子供の心を辛くするトラウマFCRが機能をしている(特別な例を除いて、日本の子供が不登校である)限り、不登校の子供は学校から逃げ出して、自分の辛し心を母親に、または母親に代わる人に、守って欲しいのです。守られてその子供なりに成長をしたいのです。

>(トラウマの反応で心がつらい)子供の歩みに選択肢がなくなる、道が狭められる恐れがあるからです。

学校に反応をして子供の心を辛くするトラウマFCRがある子供では、”トラウマが反応をしている限り、トラウマゲン=登校刺激から逃げるしか選択肢はありません”。子供特有の心身の成長ですらトラウマによる辛さで阻害されてしまいます。中には命すらうしなってしまう子供もでてきます。子供の歩みに選択肢がなくなる、道が狭められる恐れがあるといっていられる段階ではありません。

「子供の歩みに選択肢を考える」、「子供の将来についての道が狭められる恐れ」を不登校の子供に、トラウマを持っている子供に考えたなら、其れだけで不登校の子供のトラウマが反応をしてしまうのです。

”不登校の子供に許される選択肢は、まず第一に、トラウマゲンの学校から不登校の子供を守ってあげることと、それができたら、トラウマゲンがないところでその子供なりに成長をさせてあげて、心のエネルギーを高めて、学校や大人社会に挑戦させてあげることしかありません。

「子供の歩みに選択肢がなくなる、道が狭められる恐れがある」と考えなくてはならない時とは、子供がトラウマゲンに反応をしなくなった段階の子供についてなら、考えることができます。
 

うつ病について勉強したとき、つらい状態になるのは、「選択肢がない」からだそうです。思い込んで、追い詰められて、辛くなっていきます
「学校へ行け」「学校に行くな」どちらも逃げ道はないように、感じます。どうしてこの強制的な言葉が、逃げ道になるのか、理解できないです
いくら先生のブログを読んでも、親御さんの話を聞いても、私には響かなくて、何でそのような思考し、結論にいくのか、意味が分からない。常識が邪魔しているのだとは、思いますが、やっぱりインストールしている内容が、こちらでは偏っているのだろうなとは、思います
経験談、成功談、人に頼るって、そんなバカにして、何にも知らないと切り捨てるものではないと思います

<解説>

>うつ病について勉強したとき、つらい状態になるのは、「選択肢がない」からだそうです。思い込んで、追い詰められて、辛くなっていきます
恐怖=情動が回避系に機能している状態を知るには、人間の意場合その人が無意識に発する言葉と、その人の行動から知ることができます。人の場合、心がつらい=恐怖を感じているときには、
1)辛くする原因から逃げる
2)逃げられないときには、辛くする原因に対して良い子を演じる
3)良い子を演じられない甥には、辛くす居る原因に対して、荒れる、問題行動をする
4)1)~3)の行動が取れない時には、心の病の症状を出す
うつ病とはその人の心が上記の4)の状態です。うつ病と考えられる人には、その人がつらく感じている物から逃がしてあげれば良いです。現在診療内科の医療処置はこれを行ていて、患者さんから感謝されています。

>「学校へ行け」「学校に行くな」どちらも逃げ道はないように、感じます。どうしてこの強制的な言葉が、逃げ道になるのか、理解できないです
上記の辛さの1)~4)の表現法を考えてて見てください。「学校へ行け」は  ”不登校の子供” のトラウマが反応をするトラウマゲンを与えることになりますから、”不登校の子供” の心の辛さを強めることになります。「学校に行くな」の母親からの言葉は、 ”不登校の子供” のトラウマゲンを ”不登校の子供” の心から取り除くことになります。トラウマゲンを ”不登校の子供” から取り除くとトラウマがあっても、そのトラウマが反応をしませんから、 ”不登校の子供は” 2)~4)の反応をしません。 ”不登校の子供”は学校に行っていないけれど、勉強をしないけれど、それ以外は母親から見たら一般の子供と同じ姿を感じます。

>経験談、成功談、人に頼るって、そんなバカにして、何にも知らないと切り捨てるものではないと思います
私の表現法が悪くてそのように感じる人が多いことも知っています。すべての不登校の子供を持つ母親に納得してもらえるように書いているつもりですが、 ”不登校の子供” の心に沿わな対応法に迎合することは、不登校問題の解決に好ましくはないと考えています。そこでブログでは基本的に ”不登校の子供” の心に沿わない、世間一般での考え方や対応法は、”不登校の子供” の心には好ましくないと申し上げていますが、その表現法がバカにしていると理解されたことがわかりました。

経験談、成功談、人に頼るので、御自分の ”不登校の子供” の問題が母親に解決できたのなら、それでよいのです。また御自分の経験から、私の脳科学をもとにした対応法、私の二千を超える経験例に反論のために、このブログに来られた方も、私は大切にしたいと思います。

私のMSGは、現在 ”不登校の子供”への対応で悩んでいらっしゃる母親へのヒントになればと思い、ブログを維持しています。

娘は10歳、半年間の不登校ののち再登校を続けています。今の娘は算数の授業が不安になるようで、算数の時間は保健室にいます。担任はそれを許してくれています。母親は先回りが私の癖なので、気をつけて堪えています。笑顔は忘れないようにしています。
娘の算数の授業が受けられるようにした方が良いでしょうか?強迫性がまだあるため、絶対に無理をしない様にしています。強迫性の治し方があれば教えてください。
母親は娘の話はしっかり聞くようにしている為か、不登校前より、学校の話を良い事も悪い事も、よく話してくれるようになりました。今は家族にとって不登校は大切な時間であったと心から思えます。

<解説>

>娘は10歳、半年間の不登校ののち再登校を続けています。
娘は不登校分類2か3でもトラウマの反応が弱かった場合を考えます。
MSGから、母親からの登校刺激が無かったか弱かったのでしょう。母親の登校刺激を取り除く対応で娘が娘なりに登校できるようになっています。娘なりとは、娘が無理をして登校をしているという意味です。

>今の娘は算数の授業が不安になるようで算数の時間は保健室にいます。
この一行は算数だけに注目していますが、娘の登校の無理が算数だけに表面化していると私には考えられます。それを連想させる要因は以下に書かれていうお母様の強迫性という言葉です。具体的に書かれていませんが、母親が強迫性という言葉を使う意味が娘の姿にあるのだと思います。

>担任はそれを許してくれています。
それは娘にとってありがたいことです。ただしこれだけでは不住運ですが、今の学校制度では、仕方がないと思います。その不十分なところを母親が補う必要があります。

>母親は先回りが私の癖なので、気をつけて堪えています。笑顔は忘れないようにしています。
母親が心のエネルギーの意味を知らないのは仕方がありません。その範囲で母親の対応はこれでよいです。

>娘の算数の授業が受けられるようにした方が良いでしょうか?強迫性がまだあるため、絶対に無理をしない様にしています。
娘の心の立場から言うなら、もう少し不登校をさせておいたほうが良いです。そのために母親は娘に学校からの逃げ道を作ってあげたほうが、良いと思います。
この先学校側が娘の心に沿った対応ができないことが推測されます。少なくとも今の担任は不登校から再登校しだした子供に妥協をしているだけ(目の前の不登校の子供を不登校としてカウントされないため)で、不登校問題の解決法に沿っていないし、今の学校制度度では、将来も期待できないからです。

>強迫性の治し方があれば教えてください。
もう一度不登校の子供になることを恐れないで、娘に学校からの逃げ道を造ってあげてください。それが最優先します。今の娘なら、母親の娘を学校に生かさない対応をしても、それを押し切って娘が学校に行くようになる必要があります。それだけの心のエネルギーが娘の心にたまってから登校する必要があります。

今の娘は学校の辛さを言葉にしないで、無意識に脅迫症状として表現しています。

>母親は娘の話はしっかり聞くようにしている為か、不登校前より、学校の話を良い事も悪い事も、よく話してくれるようになりました。今は家族にとって不登校は大切な時間であったと心から思えます。
不登校問題解決の第一歩を踏み出していますが、まだ不十分です。次の一歩は娘が学校内に何も問題がないと感じられるような心になって登校するようになる必要があります。