>「娘の心がこれ以上壊れないようにするためにはどうすればよいかを考えて行動を選択していた」という。
この思いは、標準的な大人なら、そして両親を含めて子供に対応をしている大人なら、必ず考えることです。ところが未だに多くの大人が知らないことに

「大人の心と子どもの心と異なる」

と言う事実があります。つまり大人はその大人の持っている知識から考えて、その考えに基づいて子どもへの対応をします。勿論状況に応じては子どものように、その大人の持っている性格から反応をして行動をすることもまりますが、多くの大人は理性的に自分の性格を調節して、その大人の持っている子供への知識から考えて行動をします。

ところが子どもは、子供の持っている知識を言葉にして表現しますが、その知識からの行動は大変に難しいです。できないと表現した方が間違いないです。つまり大人が一生懸命子どもに知識を教えて、その知識から行動をすることを求めますが、基本的にそれが出来ないのです。子どもはその時の状況から受ける物に子供の持つ性格から反射的に反応をして行動をします。

子供が大人の与えた知識から行動した場合は、子供がよい子を演じたと考えて間違いありません。つまりその行動をすることで親から、主として母親から褒められるなどのご褒美が得られることを期待(このことは既に子どもの性格からの行動です)して大人の与えた知識から行動をした場合です。別の表現をすれば、子どもが大人から与えられた知識から行動したときに、子どもが大きな喜びを感じる必要があります。

子どもの本能に母親が大好きという本能があります。ですから母親から子どもが喜ばれることは、子どもにとても大きな喜びを与え、その喜びを与えてくれる母親を無条件で信頼していきます。ここで信頼という言葉の意味を説明しません。ところが同じことを父親がした場合、子どもは確かに喜びを感じますが、その喜びは母親から感じる喜びほど強くありません。それでも父親から受ける喜びの頻度が多ければ、子どもは父親にも信頼感を強めていきます。しかしその程度は母親への信頼感ほど強くありません。

 

瑠奈被告が長年、精神的に不安定だった経緯を詳しく説明し、「娘の心がこれ以上壊れないようにするためにはどうすればよいかを考えて行動を選択していた」という。
 浩子被告は、涙を流しながら夫の証言を聞いていた。

<解説>

>瑠奈被告が長年、精神的に不安定だった経緯を詳しく説明し
この一行から、瑠奈被告が幼いときから精神的に不安定になっていたという意味です。今の時代子供が精神的に不安定になるとは、家庭内暴力か、心が不登校状態にあった場合が考えられます。前者はまずないでしょうから、後者だと思います。

不登校で瑠奈被告の精神が不安定になるとは、登校刺激が加わり続けていたと考えて良いと思います。つまり父親は瑠奈被告の精神が不安的になっていた理由を登校刺激と気づかないで、心の病の症状と理解していたと推測されます。そこで精神科医の医学的知識を用いて瑠奈被告の心の問題を解決しようとし続けたと推測されます。きっと母親も瑠奈被告に関わろうとしたと推測されますが、医者である父親に対して口出しできなかったのではないかと推測します。

>「娘の心がこれ以上壊れないようにするためにはどうすればよいかを考えて行動を選択していた」という。
大人の心と子どもの心と異なることをこの精神科医は知らなかったようです。勿論どの精神科医も知りません。精神科の論理も大人の心で大人や子どもの心を観た物ですから、それ自体がある意味で間違っているのです。ある意味という言葉を今は説明しません。ですから父親の考えたことは全て瑠奈被告の心に沿っていなかったのです。

それ故に父親の対応は全て瑠奈被告の心を苦しめ続けていたはずです。そして父親はその苦しんでいる瑠奈被告の姿を問題だから解決しようとして、瑠奈被告への対応を母親にさせないで、父親自身で行ったと推測されます。

ここで不思議に思われる人が多いと思いますが、父親の対応が瑠奈被告の心に沿っていなければ、父親に向かって父親の対応が違っているよと、瑠奈被告がこと場にしたり、荒れたり、問題行動をしたはずです。しかし父親の力の大きさから、父親に押さえつけられたり、薬で押さえつけられたりして、瑠奈被告は直接父親に父親の対応が瑠奈被告の心に沿っていないと、伝えることができなかった、伝えても父親に理解されなかったのだと思われます。それ故に、里奈被告の問題行動がより強まり、父親は瑠奈被告の問題行動をそのまま満たすことで、その瑠奈被告の問題行動を解決しようとしたと考えられます。

>浩子被告は、涙を流しながら夫の証言を聞いていた。
弘子被告からの情報が無いので、母親である弘子被告の心を推測できません。きっと弘子被告は精神科医である父親に逆らえなかった、瑠奈被告を守ろうとしても、父親から許されなかったのではないかと推測します。

弁護側から、警察に通報せず、ビデオ撮影の際に瑠奈被告を止めなかった理由を問われると、「止めてもやるだろうなと思った」「とがめることで本人の(精神的な)症状が悪化するのを避けたかった」と説明。瑠奈被告が家族の中で圧倒的な上位者だったとする検察側の主張を否定し、「娘が怖かったというわけではない」と話した。

<解説>

>弁護側から、警察に通報せず、ビデオ撮影の際に瑠奈被告を止めなかった理由を問われると
瑠奈被告がこのような問題行動をすることが、瑠奈被告の心が極めて辛い状態にあった、辛くて問題行動をしたという意味です。しかし父親は、瑠奈被告の心がこのような問題行動を起こす子ほど辛かったと理解していなかったようです。つまり父親は瑠奈被告の心が辛かったと理解していなくて、瑠奈被告の心が所謂精神疾患の患者の心と理解していたと推測します。それ故に精神科医の父親は精神科疾患の瑠奈被告を、自分の精神科の知識から治療をし続けてきたのだと推測されます。又それに自信があったからこそ、瑠奈被告に薬を飲ませないで、瑠奈被告への対応という方法で治療を続けていたのだと推測します。その理由は次の一行から推測されます(勿論精神科医の父親は娘の心の状態を薬では治せないことを、他の精神疾患の患者の治療から知っていたし、娘の認知異常と言うより、荒れるという行動以上に注目していたのではないかと推測します)

>「止めてもやるだろうなと思った」「とがめることで本人の(精神的な)症状が悪化するのを避けたかった」と説明。
つまり父親がおこなっていた、対応により瑠奈被告の認知を変化させる=認知行動療法は効果が無かったけれど、それでも(瑠奈被告の本心を信頼しないで)認知行動療法を信頼して、瑠奈被告への対応を続けたのだと思います。そこには患者と医師の関係しかなく、父親と言う存在を瑠奈被告に感じさせていなかったと思います。

瑠奈被告が父親を精神科医と意識しないで、父親と意識していても、(あくまでもネットからのMSGの範囲ですが)、瑠奈被告の心に沿った対応をしない父親を、実際に瑠奈被告は父親を父親と意識しないで、自分の治療を置くなう精神科医としてしか意識していなかったと思います。瑠奈被告の心を苦しめる、瑠奈被告の心を否定し続ける精神科医として、その辛さを問題行動として表現して、父親は精神科医として、まず患者である瑠奈被告の要求を叶えて、それにより瑠奈被告の認地行動方を変えようと対応をし続けたのだと推測されます。それは次のMSGから推測されます。

>瑠奈被告が家族の中で圧倒的な上位者だったとする検察側の主張を否定し、「娘が怖かったというわけではない」と話した。
その言葉には、精神科医として瑠奈被告への認知療法を成功させたい、娘という父親に極めて近いところにいる患者で精神科医である父親は、精神科医としての成功例を作りたかったのだと推測します。

不登校、引きこもりの子どもを育てている母親からのMSGです。

カウンセラーは、不登校の子どもへの対応法を教えるのではなくて、不登校の子供の心を母親に教えるのが本来の役割です。そこで母親はそれをヒントにして我が子に対応する、対応していくうちに子供から感じ取れるようになります。目の前の子供のテストやふとした時の表情、とっさの行動から母親は我が子のメッセージ、サインを受け取ることができるのだと思います。それに答えてあげられるのは、母親しかできません。
 

「第百三十九回子どもの心検討会」
日時 2024年7月21日(第3日曜日)14時~17時まで
場所 赤沼外科内科医院
参加費 無料

Zoom参加の招待状 以下のURLをクリックして待合室でお待ちください。

Zoom ミーティングに参加する
https://us02web.zoom.us/j/7201410613?pwd=SmJYN1oxTVZnc2RTVFNhMSs4eWVvUT09

ミーティング ID: 720 141 0613
パスコード: 130618