>子供本人はどう感じ、何を思い、考えているか、そこが抜けていないかということです。
これはいろいろと経験を積んだ大人の心についての考え方です。これを子供に当てはめようとすると、子供の心を誤解することになります。また現実になされていますから、母親以外の大人には子供の心を誤解する原因になります。大人ではこれから申し上げることは、個人差という概念ででも、成り立ちません。子供特有の、特に母親とその子供との間で成り立つ心の関係です。
子供の感じ方は基本的に母親と同じ(その理由を後程ミラーシステムで説明します)です。母親も子供時代に自分の子供と似た経験をしてきていますから、母親なら子供が感じたことから、母親がいないところを含めて、子供が何を経験してきているか、何を思っているか、何を考えているかをかなりの範囲で推測可能です。
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この対応を勧める**、この対応をしている保護者さんは、これで良いと思っているが、子供本人はどう感じ、何を思い、考えているか、そこが抜けていないかということです。
この対応をされて、苦しんだ子供。後悔した保護者さんがいること。忘れてはいけないと思います。
>この対応を勧める**
この**はきっと私のことだと思います。私のこととしてお話を何回かに分けてお話しします。私は数学物理を専攻しました。それはあまりにも素晴らしくて、雄大で、この世界で生きて研究するには、私の能力の限界以上だと判断しました。大学を卒業する段階で、これは自分の生き方ではないと感じるようになり、直に生命を扱える仕事をしたいと考えました。運よく医学部に再入学できて、学生時代から強引に市中の総合病院にお願いして、法律に違反しない範囲で医療にかかわらせていただきました。医者としては直接命にかかわれる外科を専攻しましたが、私が持って生まれた集団作業を苦手とする性格から、医局を飛び出し開業医として一人一人の患者の苦しみに向かい合い続けました。特に子供は説得が効きません。子供の心を肯定しながら、子供が嫌がる治療をする方法を考えて、私なりに作り上げました。噂が噂を呼んで県外からの患者が来るようになり、寝ずの診療も行ったこともあります。
私が患者に行った治療=医療上の対応は医療という(応用)科学に沿っています。治療を受けた大人や子供の患者は皆さんこれで良いと思って通院なさいました。けれど不登校の問題になると、親御さんは親御さんなりに意見を持っていらっしゃいます。科学的にその親御さんの意見を否定すると、親御さんの 人格のひいていになりますから、奥さんの心を守る場合はその場ですぐに否定は致しません。お子さんの心に沿っていなくても、親御さんの話を傾聴し、共感して、けれどお子さんはこう感じているんですよというような形で説明をしております。けれどその説明に納得できない親御さんはそれ以後当院を受診しなくなってしまいます 。そして私の脳科学からの(医療においては 医学からの)対応が親御さんの持っている知識と異なっているために、また一般的な常識と異なるために、私の説明が間違っていると判断なさることが多いのではないかと推測しています
>この対応をしている保護者さんは、これで良いと思っている
不登校で心がつらい子供の多くは 親子さんの受け売りの対応に納得しません。私が経験する限り、親が子どもの心に沿って対応すると 不登校で心がつらい子供はそのまま心が元気になって行く場合と 親の対応が 俺の本心からかどうかをテストすることが あります その 子供から親へのテストが 船によっては 上の対応が間違っていると考えてしまうのではないかと推測します。相談する意味がないと判断してしまうのではないかと推測します。
>子供本人はどう感じ、何を思い、考えているか、そこが抜けていないかということです。
これは大人の心の考え方です。子供はそのようには感じません。このことは次回に脳科学的に説明いたします。
>この対応をされて、苦しんだ子供。後悔した保護者さんがいること。
そのような情報が私たちの方に報告されていません。あったとしたら上記のように、子供から親へのテストを、テストと理解をしないで、子供の状況が悪化した、不登校問題が悪化したと考えられたのかもしれません。そのような例の報告はいくつもありますけれど、親御さんの理解を変えてもらうことによって問題は解決しています。
>忘れてはいけないと思います。
このように言葉で言うのは簡単ですけれど、間違った対応がなされたかどうかの判断をするには具体例が必要です。上記のように不登校で心がつらい子供が親の対応の変化により、親御さんの対応の変化が 親御さんの本心かどうかを子供がテストしている場合を考えていらっしゃる例だったのかもしれません。 脳科学的な対応が間違っていると言われるのなら 、そのような例の具体例を詳細に教えてください。どこかで見落としがあるはずです。
当ブログについて、
子育てにも、不登校の子への対応でも大切な基本の部分が、こちらではどんどんスルーされていきますね。
とありました。きっと良い意味でこのような指摘をしてくださったのだと思います。
ここで今一度当学会の対応法を記しておきます。
1)登校刺激を取り除く
2)(母親だけは、どのような子どもの姿でも)ありのままの子どもを認める
3)傾聴(時間制限をつけない。相槌は入れる、オーム返しはして良い。決してアドバイスや説明をしないこと))
4)共感とスキンシップ(大好きだよ、お母さんの子どもで有り難う、今のあなたで良いよ、と言う言葉を忘れないように)
5)子どもの要求を100%だけ、即座に、笑顔で叶える(非常識でも、危険でも、法律に反していても、母親だけは叶えようとする姿勢を見せる。その場合には必ず叶えることを意味していない。)
6)(子どもが荒れなくなっり、問題行動がなくなって、子どもが楽しみに没頭できるようになったら)母親は子どもを見ない、言わない、母親の笑顔、だけにする
7)其れ以後、子どもの動きを後追いするだけにする。決して先回りをしない
8)子どもが社会に向かって動き出したとき、母親だけは必ず逃げ道を作る(社会に向かって出て行くことを否定して上げる)
現在の不登校の子供の心には、学校に反応をして子供の心を辛くするトラウマFCRがあります。ですからこのブログでは必要以上に不登校の子供を登校刺激から守る対応をいろいろな角度から述べてきています。しかし登校刺激から不登校で心が辛い子供の心を守ることは、今以上にこのトラウマを悪化させないことと、即効性はありませんが、時間をかけて不登校で心が辛い子供を元気にする方法を記載しています。この不登校で心が辛い子供の心を元気にする方法が、不登校で心が辛い子供の子育てになっていることを、気づかれていない方からのMSGだったのですね。
確かに常識的な不登校の子供への対応法を主としてなさっていらっしゃる方には、とてもまどろっこしい対応かもしれません。けれど子供の心の仕組み、成長を考えると、このようにじっくりと時間をかけて、子供自身が自分の心身を成長させるのが、子供の将来を見据えた方法だと私は信じていますし、またその様にしたほうが子供の性格として、大人になった時に納得がいく人生が送れると思います。
確かに不登校で心が辛い子供を学校に戻した対応は、一般の親や大人には好ましく理解できます。親の手助けで、親の思いに沿って大人になり、それが子供の性格として確立してくれればよいのですが、経験的に多くの場合、その場限りであり、子供の外見上は学校に戻っていても、子供の能力の発展性という点では発展性がみられていません。それでも親はそれでよい、進学し、就職し、家庭を持ちさえすれば、親の役目は終わりだと理解なさっていらっしゃるなら、それでも良いと思います。
新しい通知を確認したりすると、脳の「報酬系」が活性化され、この時に快楽物質とされる脳内神経伝達物質が分泌されます。
SNSからの反応やスマホの通知は脳にとって「報酬」となり、ドーパミンを放出させます。ドーパミンは快楽物質と言われ、スマホ使用で高揚感や快感を得ると脳内に分泌されるため、依存症に関係すると考えられます。
これはドーパミンに関する脳科学者からの説明文書です。この文書で医者を含めて多くの人が間違いやすいことを指摘しておきます。
>新しい通知を確認したりすると、脳の「報酬系」が活性化され、この時に快楽物質とされる脳内神経伝達物質が分泌されます。
この文書を読むとドーパミンがあたかも成長ホルモンや甲状腺ホルモンのように、血液の中に分泌されるように理解されます。血液の中には分泌されません。シナプス以外の脳内にも分泌されません。神経伝達物質はシナプス間隙内に分泌されて、シナプス後膜にある受容体と結合をして、神経伝達を終了し、分解されます。またシナプス間隙に分泌された神経伝達物質はシナプス前膜から再吸収されるといわれています。いずれにしても基本的に神経伝達物質は血液中に漏れてきませんので、血液を調べることでどのような神経伝達物質が機能をしているのかを知ることはできません。
ただ何かの理由で神経伝達物質が神経伝達に必要以上にシナプス内に分泌された場合、シナプス内で神経伝達物質の分解が間に合わない時、神経伝達物質がシナプス外に漏れ出して、脳内に、血液内に漏れ出してしまいます。この時は血液を調べることで脳内のシナプス内でどのような伝達物質が過剰に分泌されたかを知ることができます。これは特別なばあいで、ドーパミンがならドーパミンの過剰分泌は、統合失調症や依存症(ギャンブル、買い物、過食など)といった精神疾患や行動障害と深く関連していると書いたものもあります。ただし、これらのドーパミンによる症状が、シナプス内の過剰のドーパミンによるものか、それともシナプス内に過剰にドーパミンが分泌された結果、神経細胞内でのドーパミンの生産が間に合わなくて、シナプス内のドーパミンに枯渇を生じたせいなのか、はっきりと示した研究はありません。
SNSからの反応やスマホの通知は脳にとって「報酬(接近系)」となり、(ドーパミンを伝達物質とするシナプス内に)ドーパミンを放出させます。ドーパミンは快楽物質と言われ、スマホ使用で高揚感や快感を得ます。シナプス内に過剰にドーパミンが脳内のシナプス内に過剰に分泌されるため、血液内にもドーパミンが漏れ出して、血液を調べることでドーパミンの存在を知ることができます。それと同時に、神経内でのドーパミンの生産が間に合わなくて、それまでと逆にシナプス間隙間にドーパミンの不足状態を生じて、依存症に関係すると考えられます。
I guess it's not easy to understand about what the word of qualia mean. And also its difficult to explain it objectively. Because it shoud be internal , subjecitive senses arising from stimulus.
大脳は意識の心、習慣の心、情動の心、の三つに分けられます。意識の心や習慣の心に医学な病変があったとしても、情動は必ず生じます。そしてクオリアとは情動の心の機能です。情動の一種です。感情を生じる情動とqualiaを生じる情動との違いは次のようです。
感情を生じる情動は、その情動の体内への表現が強いために、その体内の臓器の表現が強く、その臓器への情動表現を、臓器に存在する感覚器で感じ取り、その情報は意識の心に送られて、感情と理解されます。
詳しいことを省略しますが、体外からの刺激を受けると、脳はそれまでの経験に基づいて、習慣行動、情動活動、そして記憶などの意識活動を生じます。ualiaの場合には、情動として内臓表現が弱いために、意識の心ではそれを感情として理解しないで、その受けた刺激(例えば赤いリンゴを見た)に対して、その刺激の実態(赤いリンゴ)を記憶しますし、内臓に表現された情動に気づかなくても、祖の情動を情動記憶記憶します。
それ以後リンゴを見た時に、記憶の中のリンゴを思い出すとともに、リンゴを記憶した時に生じた弱い情動が体の臓器に表現されて、リンゴらしさを意識することが可能になります。それを既視感「デジャヴ(déjà vu)」として感じるのだと思います。
The cerebrum is divided into three parts: the conscious mind, the habitual mind, and the emotional mind. Even if there is a medical disorder in the conscious mind or the habitual mind, emotions will always arise. Qualia are a function of the emotional mind. They are a type of emotion. The difference between emotions that give rise to feelings and emotions that give rise to qualia is as follows:
Emotions that give rise to feelings are strongly expressed within the body. Emotions are strongly expressed in the organs within the body. The emotional expression of those organs is sensed by the sensory organs in the organs, and this information is sent to the conscious mind, where it is understood as an emotion.
I will skip the details, but when we get stimulation from sometiong outside our body, the brain generates conscious activity such as habitual behavior, emotional activity, and memory based on previous experiences. In the case of qualia, because the visceral representation is weak, the conscious mind does not understand it as an emotion.
From then on, whenever you see an apple, you will recall the apple from your memory, and the same and weak emotion that has arisen when you memorize the apple will be expressed in your bodily organs, and you will be able to become aware of its apple-like nature. I think this is what you know as déjà vu.