新元号が決まる寸前まで「鉄板焼屋A」に居たんですけど。

11時30分になっても記者会見が始まらずで…。

「11時40分になったら帰りますわ。」と言ったら40分になったので車に乗って帰ったんですけどね。

帰る途中でラジオを付けたら「令和」に決まったとかでした。

ただ、ラジオでは「年齢の『齢』に、昭和の『和』。」と言ったため…。家に帰るまで「齢和」だと思っていましたよ。

「年齢」でなく「年令」のつもりだったんだね。


このブログは2004年の9月から始めましたんで…。平成16年からの開始…ということになります。

ということは、平成後半からの記録なんですね。


その前は、会社時代ということになります。

まあ、平成初期の岡山時代が暗黒だったことは何回も書いていますし…。

岡山⇒松江への転勤も、高梁市の某医師とのケンカというか…。法違反の強制があったのを毅然と断ったからなんですけど…。

それでも責任を取らされたのが私1人というね。(そのときの責任者がガ〇ロンN売上不振で左遷されたため、岡山に居なかったこともある。)

ま、会社なんかどうでもよくなって、松江では会社の金で美味しいものを食いまくったですけどね。


平成後半。松江時代からは、私にとっては良い時代だったような気がします。

心臓が逝くまでは…。