10年ブログをやっていると、様々なことが起きます。
最大の事件といえば2007年6月21日から8月4日までの入院でしょう。
この件で死生観が変わったのですが…。
仕事上で大きかったのは「講師としての仕事が断たれた。」ということでした。
超安値で講師業を続けてきて、ようやく柱になりそうになってきた矢先に、病気になってしまいましたから…。
その後、行政協力を立て続けに外されてしまい…。
特に試験官を外されたときに、もう会から何を言われても協力は出来ないな…と思いました。
金銭的にキツイ時代だったのですが、あっさりと紙1枚で外されたから…。
また、以前は試験官としては難しい教室ばかりを持たせておいて…。
何とか体が戻ったから、申し込んだのに、今度は外すのか…と…。
この時期、きつい思いをさせられことから役員の話は断っています。
三流高校の出身者が2人も目立つ必要はない…というのもありますが…。
あの時代…。
心停止センサーを体にぶら下げていた時代は、私には「目の前の死」と闘った時代でした。
ただ、後から考えると、駅前病院には集中治療室はなく…。
高度治療室はありましたが…。そこにも入らなかったので…。
心停止の確率は低かったのかも知れません。
ただ、医師からは「心臓が、いつ止まってもおかしくない。」とは言われていたんですけどね。
最大の事件といえば2007年6月21日から8月4日までの入院でしょう。
この件で死生観が変わったのですが…。
仕事上で大きかったのは「講師としての仕事が断たれた。」ということでした。
超安値で講師業を続けてきて、ようやく柱になりそうになってきた矢先に、病気になってしまいましたから…。
その後、行政協力を立て続けに外されてしまい…。
特に試験官を外されたときに、もう会から何を言われても協力は出来ないな…と思いました。
金銭的にキツイ時代だったのですが、あっさりと紙1枚で外されたから…。
また、以前は試験官としては難しい教室ばかりを持たせておいて…。
何とか体が戻ったから、申し込んだのに、今度は外すのか…と…。
この時期、きつい思いをさせられことから役員の話は断っています。
三流高校の出身者が2人も目立つ必要はない…というのもありますが…。
あの時代…。
心停止センサーを体にぶら下げていた時代は、私には「目の前の死」と闘った時代でした。
ただ、後から考えると、駅前病院には集中治療室はなく…。
高度治療室はありましたが…。そこにも入らなかったので…。
心停止の確率は低かったのかも知れません。
ただ、医師からは「心臓が、いつ止まってもおかしくない。」とは言われていたんですけどね。