1975年、坂本龍一は大学時代に友部正人の「誰もぼくの絵を描けないだろう」にピアノで参加。翌1976年には、スタジオ・ミュージシャンとして富岡多恵子の「物語のようにふるさとは遠い」に参加。
物語のようにふるさとは遠い
同年、土取利行+坂本龍一名で「ディスアポイントメント-ハテルマ」を発表。
音楽評論家の竹田賢一と運動体「学習団」を結成し、彼の繋がりで土取利行と制作した最初にして唯一のコラボ作。録音は前年に行われた。坂本はフリー・ミュージックという言葉で表現しており、前衛作品やノイズミュージックにも理解が深い坂本自身「手癖が出ているからまだ甘い。手癖を全部排さないとフリー・ミュージックにはならない」と振り返っている。ほとんどの人はこういった作品に意味を見いだせないと思うし、坂本繋がりで後追いで聴いてみる程度だろう。そして私を含めてまさか坂本の最初の作品がこういった音だとは思いもしなかったはずだ。この作品を知っているかどうかで、以降の坂本の作品の理解が違ってくると思う。「千のナイフ」が1stだと思っているファンの方、ここからがスタートですよ。
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音楽評論家の竹田賢一と運動体「学習団」を結成し、彼の繋がりで土取利行と制作した最初にして唯一のコラボ作。録音は前年に行われた。坂本はフリー・ミュージックという言葉で表現しており、前衛作品やノイズミュージックにも理解が深い坂本自身「手癖が出ているからまだ甘い。手癖を全部排さないとフリー・ミュージックにはならない」と振り返っている。ほとんどの人はこういった作品に意味を見いだせないと思うし、坂本繋がりで後追いで聴いてみる程度だろう。そして私を含めてまさか坂本の最初の作品がこういった音だとは思いもしなかったはずだ。この作品を知っているかどうかで、以降の坂本の作品の理解が違ってくると思う。「千のナイフ」が1stだと思っているファンの方、ここからがスタートですよ。
a&Φ musique differencielle 1#
この頃、山下達郎や大滝詠一、大貫妙子の作品に参加。1978年に細野晴臣の「はらいそ」に参加。
1978年10月、1stソロ「千のナイフ」を発表。
ムーグを始め様々なシンセサイザーを使いこなす当時としては画期的な音楽で、YMO誕生直前の重要な作品。YMOでも演奏された【千のナイフ】や【The End Of Asia】はこちらが元祖。また、ピアノの調べが美しい【Grasshoppers】や環境音楽的な【Island Of Woods】など幅広さにも特色がある。ゲストに細野晴臣(finger symbals)、渡辺香津美(g)、高橋悠治(p)、山下達郎(perc)を始め、コンピュータ担当に松武秀樹、ジャケット用のスタイリストに高橋幸宏が参加している。
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ムーグを始め様々なシンセサイザーを使いこなす当時としては画期的な音楽で、YMO誕生直前の重要な作品。YMOでも演奏された【千のナイフ】や【The End Of Asia】はこちらが元祖。また、ピアノの調べが美しい【Grasshoppers】や環境音楽的な【Island Of Woods】など幅広さにも特色がある。ゲストに細野晴臣(finger symbals)、渡辺香津美(g)、高橋悠治(p)、山下達郎(perc)を始め、コンピュータ担当に松武秀樹、ジャケット用のスタイリストに高橋幸宏が参加している。
Thousand Knives
Plastic Bamboo~The End Of Asia
同年11月、細野晴臣、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラを結成、以降、一大ブームを巻き起こす。
(2)につづく
アルバム
1 ディスアポイントメント-ハテルマ<土取利行+坂本龍一>(1976) ★★
2 千のナイフ(1978) ★★★★
1 ディスアポイントメント-ハテルマ<土取利行+坂本龍一>(1976) ★★
2 千のナイフ(1978) ★★★★