学生時代のある日、大洋漁業から届いたもの | 日本橋でニャンと暮らす

日本橋でニャンと暮らす

里親募集で、うちに来た猫ちゃん2匹。お兄ちゃんの“しんげん”、弟分の“はりま”。
この2匹の猫たちと日本橋のマンションで一緒に暮らしていくうちに感じたことを中心に、
趣味のあれこれについて綴っていきます。

いつも、ご覧いただきありがとうございます。

 

 

ニャンの話が続いたので、

きょうは、違った話を少し。

 

 

はるか昔の大学生の時。

私宛に、大洋漁業株式会社(現マルハ)から小包が届いた。
「?」
まったく、心当たりがなく、何かプレゼントに応募したのを忘れていて、
当選品が届いたのかも、と思った。


だが、小包の中に入っていたのは一冊の本。

『私の海』という詩集だった。

そういえば、応募した記憶が!
なんと、入選作の中に私の書いたものも入っており、
その詩が活字になっていたのだった。
びっくらこいた。

選者は小椋桂さんと小椋さんの義兄の塚原将さん。
優秀作は小椋さんが曲をつけ、ドーナツ盤のレコードに。
そのレコードも合わせて梱包されていた。


その後、ニッポン放送青春文芸賞の一次選考通過したりしていたが、
そうしたしょぼい戦果は、
それを職業として成立させていくことが

至難の業であることを教えていた。
 

結果的にいえば、当時、成長し始めていた情報会社に

運よくコピーライターとして採用されたのだ。

これは考えてみれば、奇跡だったような気がする。
筆記試験もそれほどできたと思えず、
面接では「うちの雑誌見てどう思う?」なんて聞かれ、
まったく、その雑誌を手に取ったこともなかった(!)私は、

「いや、みなさん、胃をきりきりさせながらつくってる感じがしますね~」なんて、

適当かまして……こりゃ、落ちたな、と。

なんとか道を切り開きたかったので、

面接後に切々とした手紙を総務に送ったりして、
たぶん、お情けで採用してもらえたんだと思う。

 

紆余曲折ありながらも
フリーランサーになって20年。

これまでやってこられたのは、

まわりのみなさんのおかげです。

感謝しかありません!

みんなありがとう!