先日「1分間の深イイ話」という番組を見ていました。
特に深イイのはなかったのですが考えさせられるものがひとつ。
今回は写真特集?だったようで一枚の写真にまつわる話です。
気になった一枚は十分な栄養を取れず疲れきり前のめりになる少女。
そして少女の後ろにはハゲワシ。
この写真をとった人は賞をとるのですが、非難を受けることに。
こんな写真を撮るなんて人間性を疑う!!といったようなものだったそうです。
そして、賞を手にして3ヵ月後・・・
写真家は自殺した・・・といったものでした。
写真家がその後ちゃんとハゲワシを追っ払って少女をその場から助けたそうです。
自分がこの写真を見たとき自然の摂理を感じました。
生あるものの死の直面とそこから生を得ようとしているもの。
まあ冷たいといえば冷たい考えなのかも・・・
でも人が自然の中にいるという感じがしました。
ほかの視聴者がどのような受け取られたのかわかりませんが・・・
さて特に深イイとは思わないのですが気になる点が二つ!
ひとつは写真家を非難したこと。
もうひとつは自殺したこと。
なぜ「人間性を疑う!」と非難できるのだろう?
確かにかわいそうだとも助け出したいとも思います。
そして写真家が評価のため構えていたといえばたぶん本当でしょう。
ただし・・・
非難した人はそんなこといえるのでしょうか?
その現場にいなくて一枚の写真だけを見ただけで。
もしその場にいたとして少女の一生を面倒見切れるのでしょうか?
一瞬を救えても一生はきっと無理だと思います。
そしてそんな子供たちはきっとその地域にも多くいると思います。
そしてきっと世界中のいたるところにも・・・
その子に、その家族に、その地域に、その国に何をしていますか?
貧しいといわれる国がどのような状況なのか想像できてますか?
富はどこにあり、自分はどの位置にいるのですか?
動けなくなるほど食していないときはありますか?
生活が苦しいとはいえれるけれどそこまでのことはあるのですか?
結局自分は安全なところにいて一枚の写真を評価して・・・
よく非難を出来るなあと・・・
二つ目では写真家の言葉にも耳を傾け、それをちゃんと報道したのか?
そういうイメージを作り上げたのでは?
まあまったくの推測です。
自殺の理由は知らないけれど、きっと多くの非難と人の視線ではと。
いたずらなどもあったりしたのではとも・・・
きっとその写真家の心は悩み苦しんだのだと。
その場で少女を助けた写真家は、多くの非難に殺されたようなものではと。
すぐに救えと非難した人々は一人の写真家を追い詰める・・・
ひとつの命の問題なのにひとつの命も死まで追い詰める・・・
遠く離れた少女は思いやれるのに近くの写真家には非情・・・
これのどこに人間性があるのでしょうか?
甚だ疑問だらけの話です。
自分はとても馬鹿な話だと思いました。
写真家が最後の手紙に一言残せばよかったのと・・・
「あなたたちは遠くの少女をすぐ救えという。
私はそのあと追い払い安全な場所まで送った。
あなたたちは何もしていない間に・・・
すぐに救えというあなたたちはずっと私を救えなかった。
あの写真を撮ったときのわたしとずっと苦しめてくるあなたたち。
どちらが人間性がないのでしょうか?」
ちなみにこんな発言が生きているうちに聞けたら・・・
深イイに自分はします。
死んでは何も伝えることが出来ません。
一瞬伝えれたとしても、ずっと語り合うことは出来ません。
まずは生きてください。