人財に学ぶ 田澤純一 | キャリアコンサルタント福井祐平の『What's人財』

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現在、アメリアメジャーリーグで上原浩治選手と田澤純一選手が所属するレッドソックスがリーグ優勝決定をかけてワールドシリーズを戦っています。



田澤純一(1986~)さんは、神奈川県横浜市に生まれます。



田澤純一さんは、小学校3年生から野球を初めます。高校2年次に甲子園に出場するも登板期間はありませんでした。高校3年次は、県大会準決勝で敗退してしまいます。



高校を卒業後、新日本石油に入社します。入団4年目のJABA東京スポニチ大会の準決勝では、18奪三振をとり大会新記録を樹立する活躍を見せます。また都市対抗野球大会では、投球回数28回1/3で4失点、脱三振36、防御率1.27という成績で大会MVPに当たる橋戸賞を受賞します。



田澤純一さんは、2008年9月の記者会見でメジャーリーグを表明します。同時に日本プロ野球の12球団にドラフト指名を見送る文章を送付しました。



従来、日本とアメリカの間では、各国のドラフト候補選手とは交渉しない紳士協定がありました。しかし、田澤純一さんのようにメジャー挑戦を表明している選手のメジャー行きを阻害するのは、職業選択の自由に反するとして、この例外となりました。



そして2009年に3年総額400万ドルでメジャー契約しました。



田澤純一さんのメジャー行きの後、有力アマチュア選手が直接メジャーに行くようになることを危惧し、日本野球機構は、「日本のプロ野球球団のドラフトを拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、契約した球団を退団した後も一定期間(大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)はNPB所属球団と契約できない」とするルールが設けられました。



田澤純一さんは、2009年8月7日に先発初勝利し、23歳66日でメジャーリーグ最年少記録を樹立します。



2010年シーズンは、右ひじの手術を受けシーズンを全休します。




2011年にはメジーリーグに復帰し、今年は上原浩治選手とともにセットアッパーとして活躍し、開幕から閉幕まで一度も離脱することなく投げきりました。



職業選択の自由とは、日本国憲法で定められている自由権の1つです。



職業選択の自由は、あくまで「職業の選択」であり、希望の会社に入社できる訳ではなく、またプロ野球団から必ずドラフトで指名される訳ではありません。



中途採用の求人サイトやハローワーク経由で応募する求人も、年齢や性別の制限が設定されておらず、どの求人にも応募できるようになっています。



スキルや経験があまりにもかけ離れている求人に応募しても不採用になる場合がほとんどです。



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