エレン・ジョンソン・サーリーフ(1938~)さんは、リベア共和国の現大統領で、アフリカ初の女性大統領で、2011年のノーベル平和賞受賞者です。
エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、リベリアの首都モンロビアで生まれます。1948年から1955年の間、カレッジオブウェストアフリカで経済学を学んだ後、17歳で結婚します。
その後、1961年にアメリカに渡り、ウィスコンシン大学に進学し、コロラド大学で経済学の学士得ます。そして、1969年から1971年までハーバード大学で経済学と公共政策を学び、修士号を得ました。
エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、リベリアに帰国後、ウィリアム・R・トルバート大統領の元で財務相になります。
しかし、1980年にサミュエル・ドゥ軍曹率いる軍事クーデターにより、トルバート大統領が暗殺され、何人かの高官も処刑されてしまいます。エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、なんとかケニアに逃亡することに成功しました。
サミュエル・ドゥは、その後リベリア共和国大統領を宣言しました。
エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、ケニアのナイロビでシティバングに勤務します。
1985年に一時帰国した際に、ドゥ政権に対する批判をした為、自宅監禁の元に置かれ、刑務所で10年の刑を宣告されました。
エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、しばらくして開放された後、再びケニアのシティバンクに勤務し、赤道銀行でも活躍します。
その後、リベリアは2003年まで内戦が続きます。和平後の2003年の選挙では、エレン・ジョンソン・サーリーフさんは有力な候補者であったものの、多くのグループの中立的立場だったジュデ・ブライアントが暫定的大統領として選ばれました。
エレン・ジョンソン・サーリーフさんは、国家再建任務のトップに就任します。そして、2005年の選挙では、元サッカー選手の対抗馬に勝利し、リベリア大統領に選出されました。
大統領就任後は、アントアネット・サイエ財務大臣のような有能な女性閣僚を何人も起用しました。
そして、2011年に「女性の安全と、平和構築活動に女性が完全参加する権利を求めた非暴力の闘い」が評価されノーベル平和賞を受賞しました。
日本では、中山マサ(1891~1976)さんが、初の女性閣僚として、厚生大臣として入閣しています。日本の女性政治家は全体の約1割です。
雇用面でも、男女雇用機会均等法があり、法的に男女の平等が整備されています。
しかし、就職選考においては性別の条件設定は行われています。これは差別ではなく、職種柄や職場環境に合わせた適性によるものです。
就職先を選ぶ際も、女性が役職につける環境なのか、出産、育児に対する会社の考え方、女性が何人働いているか、重要な要素になります。
職場の男女比や出産等に関する考え方は、人材会社のエージェント経由で確認できます。出世に関しては、本人次第の要素も大きいため、入社前に明確な回答を頂くことは難しいでしょう。
日本政府は、上場企業を対象に女性役員の割合を公表するように求めています。会社のHP等で公開されている役員情報をチェックしてみるのも良いでしょう。
最後に、エレン・ジョンソン・サーリーフさんの名言をご紹介します
【エレン・ジョンソン・サーリーフさんの名言】
夢の大きさは常に今の己の実力以上のものであるべきである。自分の夢を「怖い」と感じなければ、その夢は大きな夢であるとは言えない。