人財に学ぶ 服部良一 | キャリアコンサルタント福井祐平の『What's人財』

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企業や社会が求める『What's人財』をテーマに、キャリアコンサルタント福井祐平の視点で書いています。


服部良一(はっとりりょういち、1907~1993年)さんは、作曲家、編曲家、作詞家で、数多くの歌謡曲を作り、国民に希望と潤いを与えたことが評価され、1993年に国民栄誉賞を受賞した方です。



服部良一さんは、小学生のころから音楽の才能を発揮していたそうですが、学校を卒業後は商人になるためと決めていたため、昼は働き夜は商業学校に通う生活を送っていました。



しかしそんな日々の生活に嫌気がさし、姉の勧めで好きな音楽をしながら給料をもらえるの出雲屋少年音楽隊に入隊します。その2年後、第一次大戦後の不景気もあって音楽隊は解散してしまいます。


1936年、コロムビア(現日本コロムビア株式会社)の専属作曲家となり、ジャズ、ブルース、タンゴなど和製ポピュラー物を作曲します。



太平洋戦争が始まると服部良一さんの音楽個性であるジャズ音楽は敵性音楽として排除されてしまいました。



服部良一さんは、軍歌の作曲に対して消極的だったそうです。



1944年には、軍歌作曲の依頼から逃げるために上海に渡り、ジャズの活動の場を求めます。



第二次世界大戦後、笠置シヅ子さんが歌った「東京ブギウギ」を作曲し、大ヒットをとばします。



笠置シヅ子さんの歌唱力は、敗戦に打ちひしがれた日本の国民の虚脱感を吹き飛ばす声だったそうです。



服部良一さんが作曲した「東京ブギウギ」の動画をご紹介します。


私も今年29歳になりましたが、最近になってようやくジャズ音楽が心地よく聞けるようになりました。



服部良一さんの「東京ブギウギ」は今聞いても楽しい気分にさせてくれる音楽だと感じました。



戦時中、自分の作曲したい音楽のため上海に移り住んだ行動力はすごいと思います。



先日知り合った私と同い年の女性は、お金を貯めて来年勉強のためニューヨークに行くと言っていました。



私の元に転職相談に来る方にも、海外勤務を希望される方もいます。今後、海外勤務を希望される方も増えてくるでしょう。



自分のやりたいことがどこでできるか、世界規模で考えてみるのもよいかもしれません。

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