
バレーボールの日本代表で世界最小・最強セッターとしてロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した竹下佳江(1978~)さんが、2013年7月25日に現役引退を表明しました。
竹下佳江さんは、3歳上の姉の影響で小学校3年生よりバレーを始めます。竹下佳江さんの身長は159cmしかなく、現在日本代表選手として活躍している松浦寛子さん(身長180cm)と比べうと、21cmもの差があります。
竹下佳江さんは、高校時代はチームでの全国大会の経験はありませんでした。高校卒業後、NECレッドロケッツに入団します。
2000年度全日本代表では、正セッターの板橋恵が不調だった為、第2セッターの竹下佳江さんが正セッターを務めました。しかし、シドニーオリンピック世界最終予選で敗退してしまいます。日本女子バレー初となる五輪出場権を逃がしたことにより、責任追及の矛先として身長が159cmしかない竹下佳江さんに批判が集中しました。
2001年のワールドグランドチャンピオンズカップに出場し銅メダルを獲得しますが、シドニーオリンピックの出場権を逃した責任を感じ続けていたそうです。
2002年、所属していたNECを退社し、一時期バレーボールから離れます。その後、体力を活かして介護の仕事をしようと考え、ハローワークに通っていました。
しかし、当時のJT監督から、「一緒にVリーグ昇格、そして制覇という夢に挑戦してほしい。楽しいバレーをしよう」と誘いを受けて復帰します。
監督の熱意に応えた竹下佳江さんは、チームをVリーグ昇格に導き、2003年ワールドカップで最優秀敢闘賞を受賞。2004年アテネオリンピックにも出場し、5位入賞を果たします。
2004年、当時現役日本人女子選手唯一のプロ選手契約を結びました。2005年からは、全日本代表キャプテンに指名されます。
竹下佳江さんは、「私はチームの中の怖い存在でいい。そう思ってやっている。」と言っていました。
その後の活躍は素晴らしく、2006年の世界選手権では大会MVPを受賞、2007年のアジア選手権では24年ぶりの優勝を果たします。2011年には、ワールドカップでベストセッター賞を受賞。そして、昨年自身3大会連続出場となったロンドンオリンピックで銅メダルを獲得しました。
2012年9月、竹下佳江さんは所属チームを退団し、休養に入ることを発表しました。2013年5月、現役登録競技者として異例となる日本バレーボール協会理事に就任しました。
竹下佳江さんの引退記者会見動画をご紹介します。
竹下佳江さんは動画の中で、「自分の中で、やっぱりオリンピックでやりきったっていう想いが強かったので、そこからもう一度バレーボールがやりたいかって自分と向き合った時に、そこまでの気持ちにならなかったのが大きっかたですね。」と語っています。
竹下佳江さんは、「苦しいことをやりきってきた人間って、こころの真がしっかりしていると思うんですね。」と言っています。竹下佳江さんも、負けをたくさん経験しながらオリンピックという大会で勝利することを目標に頑張ってきた方だと思います。
現役を引退後も、バレーボール協会の理事として、バレーボール普及活動を行うそうです。今後の活躍に注目です。
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福井祐平