
吉田昌郎(1955年~2013年)さんは、東京電力株式会社の元執行役員福島第一原子力発電所の所長です。所長在任中の2011年3月に起きた東日本大震災直後、福島第一原子力発電所事故の収集作業を指揮していた方です。
吉田昌郎さんは、2013年7月9日に食道癌のため58歳の若さでお亡くなりになりました。医師の判断では、被爆と病気の因果関係は極めて低いとの診断でした。
吉田昌郎さんは東京工業大学大学院で原子核工学を選考後、通商産業省からも内定を頂いていたが大学の先輩の勧めで東京電力に入社します。
幹部のほとんどが東京大学出身者から高生される東京電力の中、東京工業大学出身であったため、入社後は各地の原子力発電所の現場作業を転々とし、本店勤務は数えるほどだったそうです。
現在の東京電力株式会社代表取締役会長の下河辺和彦さんは、京都大学出身です。代表執行役社長の廣瀬直己さんは、一橋大学出身です。
吉田昌郎さんは、福島第一原子力発電所→福島第二原子力発電所→両原発の発電部保護課→ユニット管理課などを経て、福島第一原子力発電所1.2.3.4号ユニット所長を務めました。
社内の評価は「豪快」「親分肌」、部下思いのため現場の信望は厚く性格はおおらかだったそうです。また、部下の社員のみならず、外部業者の作業員からも人望があったそうです。
東日本大震災による福島第一原子力発電所事故当時、吉田昌郎さんは現場で指揮をとっていました。東京電力本店からの命令を無視し、独断で海水注入作業を続けました。
当時原子力安全委員会の委員長を務めていた班目春樹東京大学大学院教授は、「所長の吉田が東京電力本店の命令に反して注水作業を続けていなければ、東北・関東は住めない地域になっていただろう」と言っています。
吉田昌郎さんの死去に際し、安倍晋三内閣総理大臣からは、「大変な努力をされた。ご冥福をお祈りしたい。」とのコメントが出され、震災当時総理大臣を務めていた菅直人さんからも、「協力なリーダーシップを発揮し、事故がさらに拡大するのを押しとどめるのに大変な役割を果たした。大学の後輩でもあり、ある意味、戦友とも言える人だった。」と語っています。
班目春樹教授の言うように東北、関東が住めない地域になった場合、日本は立ち直ることができなかったかもしれません。
東京電力では、現在中途採用は募集しておらず、新卒採用は平成26年度から退職者の欠員補充および技術・技能の伝承の観点を理由に再開する予定だそうです。
吉田昌郎さんおご冥福をお祈りいたします。
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福井祐平