長尾和宏(著)『胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?「平穏死」10の条件』(詳細目次) | ウッカリカサゴのブログ

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胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?
「平穏死」10の条件


2012年7月 初版
長尾和宏 著

1958年香川県善通寺市生まれ、1984年東京医科大学卒業、大阪大学第二内科に入局。 1995年兵庫県尼崎市で開業。複数医師による365日年中無休の外来診療と24時間体制での在宅医療に従事。医療法人裕和会理事長、長尾クリニック院長。

以下、「はじめに 平穏死が叶わない時代に生きている」から抜粋。

80歳代、90歳代の在宅患者さんが毎日のように異口同音に仰るのは「早くお迎えに来てほしい」と「延命治療は絶対にイヤ」という言葉。

ところが、そうした残り少ない寿命でも、思わぬ転倒・骨折で入院すると、短期間で認知症が進み、食事もままならなくなって、胃ろうを造って帰ってこられます。

あるいは、住み慣れた我が家で死にたいと強く願っていたにもかかわらず、自宅に帰ることは許されずに結局、施設や病院で最期を迎えられる人も多くいます。

病院にお見舞いに行くと、元気なときに本人が望んでいた最期の迎え方とは全く違う状態。虚ろな目でボーッと寝ている姿に言葉をなくしたことが何度もありました。

いくら平穏死を強く望んでも、簡単には叶わない時代に我々は生きている--それが、医者になって28年になる私の偽らざる実感です。


第一章 平穏死、自然死、尊厳死

・がんの名医や介護スタッフでも、「死」は遠い存在である
・町医者が見て感じた、下町の普通の人の、500人の死とは?
・望んだように死ぬことができないのが現実だ!
・「最期」を想定していない、がん医療の最前線
・在宅での「平穏死」は、昔は当たり前だった!
・「尊厳死」と「安楽死」は全く違うものである
・最期を苦しめていた犯人は私だった!
・突然の父の死が、全ての始まりだった
・研修医時代の、数え切れない「延命死」
・今でも忘れられない、26歳の壮絶な延命死
・日常にある平穏死①~がん終末期の場合
・日常にある平穏死②~老衰の場合
・日常にある平穏死③~臓器不全症の場合
・日常にある平穏死④~認知症終末期の場合
・そもそも延命治療とは何か?
・人工透析と人工呼吸
・死の外注化と平穏死
・日本のがん患者は子供っぽ過ぎる!?

第二章 忘れられない平穏死

・自宅は世界最高の特別室
・在宅療養でも痛みのコントロールはできる!
・趣味三昧の果ての旅立ちでいいじゃないか!
・本人が人工透析を拒否。そのとき家族は・・・
・「畳の上で死にたい」と父親は言っていたけれど・・・
・生きることは食べること!
・好きなものを好きなだけ食べて「満足死」
・1年間口から食べていなかった人でも、食べられる!
・友人たちに囲まれて自宅で旅立った、末期がんの若者の死

第三章「平穏死」10の条件

〔第1の条件〕平穏死できない現実を知ろう
〔第2の条件〕看取りの実績がある在宅医を探そう
〔第3の条件〕勇気を出して葬儀屋さんと話してみよう
〔第4の条件〕平穏死させてくれる施設を選ぼう
〔第5の条件〕年金が多い人こそ、リビング・ウィルを表明しよう
〔第6の条件〕転倒→骨折→寝たきりを予防しよう
〔第7の条件〕救急車を呼ぶ意味を考えよう
〔第8の条件〕脱水は友。胸水・腹水は安易に抜いてはいけない
〔第9の条件〕24時間ルールを誤解するな!
                      自宅で死んでも警察沙汰にはならない!

〔第10の条件〕緩和医療の恩恵にあずかろう

第四章 人を幸福にする胃ろうとは?

・胃ろうコントで理解を深める!
・胃ろうは単なる人工栄養の一道具。問題は、それをどう使うか。
・胃ろうを勧める医師の本心はどこに?
・胃ろう生活って本当に簡単なの?
・ハッピーな胃ろうとアンハッピーな胃ろうとは?
・「とりあえず胃ろう」の前に
・リビング・ウィルの表明のしかたとは?
・胃ろうはお金がかかるのか?
・私の胃ろう中止経験

・第五章 その日を迎える前に―ここが知りたい―

・「平穏死」は理想論ではありませんか?
・在宅療養や在宅で死ぬことは、家族に負担をかけませんか?
・病院ではどうして延命治療がよく行われるのでしょうか?
・認知症終末期の患者さんが平穏死できる場所はどこでしょうか?
・死ぬとき、人はどうなりますか?
・自宅での平穏死にはどのような覚悟が必要ですか?
・そうは言っても、仲間がいないと看取りまでは不安ですが・・・
・平穏死という前に、在宅現場での虐待はありませんか?
・もし認知症介護が十数年間も続いたらと考えると不安になります。
    長く介護を続ける秘訣は、なんでしょうか?
・家族内で療養方針が異なるときはどうすればいいですか?
・在宅看取りを終えたご家族は、どんなお気持ちでしょうか?

おわりに 尊厳「死」から尊厳「生」へ


■参照

石飛 幸三 (2015) 
平穏死のすすめ -老衰に医療どこまで-, in 特集:人生の最期をどう生きるか,どう支えるか,どう迎えるか. 
医療と社会, 25(1): 59-69. 

PDFをダウンロード (1576K)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/iken/25/1/25_59/_article/-char/ja

抄録
われわれは人生最期の迎え方について,今までになく考えなければならなくなっています。
延命治療法は次々と開発されます。医療制度は国民皆保険です。平和な日本は世界一の長寿社会になりました。自分の最期の迎え方を選べるはずなのに,どこまで医療をしなければならないのかわからなくなっています。

われわれ人間は自然の生き物です。いずれ老いて衰えて,最期は自分の口で食べなくなります。それは身体が生きることを終えようとしているからです。必要な水分や栄養の量はどんどん減っていきます。死ぬのだからもう要らないのです。「入れない方がむしろ穏やかに逝ける」のです。

昔から老衰での最期は,死のうちで最も穏やかなものであることを人類は知っていました。しかし現代人は死をタブー視して,目の前の事態を回避することだけに拘って,点滴や胃瘻をつけておけばまだ生きられると思って,反って苦しむことになっていたのです。

医療は本来人のための科学です。今こそわれわれは,人生の最終章における医療のあり方を検討する時が来ました。私が作った「平穏死」という言葉は,単なる延命治療が意味をなさないのであれば,それをしなくても責任を問われるべきでないという主張の旗印です。

「生きて死ぬ」は自然の摂理,老衰における医療を加減できてこそ,現代の医療が完成するのです。

引用文献
石井映禧(1998a)「老人への医療は無意味か」」『社会保険旬報』No.1973
石井映禧(1998b)「みなし末期という現実 上」『社会保険旬報』No.1978
石井映禧(1998c)「みなし末期という現実 下」『社会保険旬報』No.1985
広井良典(1997a)「福祉主体のターミナルケア PART1」『社会保険旬報』No.1943
広井良典(1997b)「福祉主体のターミナルケア PART2-1」『社会保険旬報』No.1946
広井良典(1997c)「福祉主体のターミナルケア PART2-2」『社会保険旬報』No.1947
広井良典(1997d)『ケアを問いなおす』ちくま新書
広井良典(1998a)「ターミナルケア論議において真に求められる視点は何か」『社会保険旬報』No.1975
広井良典(1998b)「これからのターミナルケアに求められる視点」『社会保険旬報』No.1994
横井正利(1998a)「高齢者の終末期とその周辺」社会保険旬報No.1976
横井正利(1998b)「高齢者の自己決定権とみなし末期 上」『社会保険旬報』No.1991
横井正利(1998c)「高齢者の自己決定権とみなし末期 下」『社会保険旬報』No.1992
横井正利(1998d)「高齢者の自己決定権とみなし末期 続報」『社会保険旬報』No.2004