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神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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丹後の局と地神  富山市楡原

 

 

楡原の住吉氏邸内に、地神という社がある。

 

鎌倉時代のこと、源頼朝の妾であった丹後の局はまことに容姿端麗で、頼朝から寵愛を受けていた。

 

懐妊のことから暇を与えられ、故郷の京都へ帰る途中、住吉神社の畔で男子を出産した。

 

丹後の局は、両親に会うのも面白ないと京に行かず、あちこちさまよい、ついに北国に来てこの屋敷に住み着いて、子どもを育てた。

 

しかし、その後病気にかかり、さびしく世を去っていった。

 

その子どもこそ、住吉家の先祖にあたり、母親の丹後の局を祭神にしている。

 

 

しかし、この屋敷で出産すると神の怒りにふれると言い伝えられ、現に同家の人が妊娠すると必ず他人の家を借りて出産したという。

 

越中伝説集

(続き)

郷土に素晴らしい民話が残っていることを知ると、それに関連して取り組んでみたいことが二つ浮かんで来ました。

 

一つは、伝えられて来た郷土民話の再興です。

 

既にかなり以前から顧みられなくなってしまっている郷土民話を再び子供達や大人にも読んでもらい、その良さや楽しさを味わってもらうことです。

 

もう一つは、これを基にして新たな民話の展開・創造を試みるということです。

 

魅力的なアニメや好奇心そそられるコンピューターゲームで溢れている世の中で、民話や物語が子供達の興味を惹くことはなかなか難しいことだと思うのですが、価値ある表現内容の選択や新たな創作方法でそれらの復活を図ることはやり甲斐のある仕事だと思います。

 

一つ目に関してですが、

民話の中には今でも目にしたりそこに行って触れたりすることが出来る山や川、地名などがたくさん出て来ます。

 

そんな身近にある具体的な場所で展開されていく物語を読むことは、その地に住んでいる者だけが味わえる贅沢とも云えるものではないでしょうか?

 

民話の再興によって、あの山、この川、その村角が再び人々の心の中に蘇り、そこに住む者がそれらに愛着を感じるようになればこの地から離れがたくなり、先祖が暮らしたこの土地に残りここでの生活を楽しんでみようとする人が現れるかもしれません。

 

また、他の地に住む人の中にこの物語の良さや楽しさを感じる人がいれば、その人はこの地を訪ねたり移り住んでみたりしてみたいと思うかもしれません。

 

これまで民話の再興に具体的に色々なやり方で取り組んで来られたのは、この昔話集の企画・編集者の佐田保氏です。

 

文献を調べたり聴き取りをしたりして集めた昔話111話を、一話ごとの小冊子を作ったり、集落ごとの冊子にまとめたり、一巻の分厚い本にしたり、絵本のように広げて眺めることの出来るブックレットの分冊に組み直したりと、どうしたら多くの人に手軽に手にとって読んでもらえるかと、様々に工夫し試して来られました。

 

地域内や周辺の学校や図書館などに寄贈されたそれらの本は、専門のコーナーが設けられている所もあります。

 

地域内で行われるイベントでコーナーを設けて販売したり、商店に置いて販売を依頼したりもされて来たようです。

 

今後は会として、幼稚園や小学校などに出向いて出前朗読をしたり、地域案内巡りのイベント等で民話の舞台その場所で臨場感ある朗読をする機会を持つこと等を考えています。

 

また、このブログによる民話掲載を継続し、2巡目からは民話の後に、民話に出てくる岩や木、遺跡等を取材し映像と共に現在の姿を掲載するということも考えています。

 

このように民話・昔話の再興のために出来ることはまだ結構残されているようです。

 

大永寺の幼女   富山市大久保

 

 

大久保の塩の大永寺に、七歳の子どもがあった。

ほうそうをわずらって養生していたが、病気は悪くなるいっぽう。

 

母は死期も近づいたと、

「おまえが死んだらどこへいくだろう」

 

というと、その子どもは目を開き、

「死ねば極楽へ行く。阿弥陀様がごちそうして待ちかねておられる」

 

といったので母が、

「その極楽へどうして行くのだ」

 

「阿弥陀様に負われて行く」

 

「どうして阿弥陀様が負うて行かれる」

 

というと、その子どもは、

「わしはわからんが、阿弥陀様は、わしが可愛ゆうてならんそうな」

 

というと、皆は涙を流してその心に感心したということだ。

 

大沢野町誌

塩壁のお告げ   富山市大沢野下夕

 

 

下夕地区の芦生の南、村はずれに塩壁(カベは岩壁のこと)といわれる砂岩層が露出していた。

 

昔、白髪の老翁が川下から上ってきて、

「この砂を水で洗い、その洗い水を釜で煮れば、よい塩がとれるであろう」

と、村人に教えて姿が消えた。

 

その後、この砂を舟で大久保の塩村へ運んで塩を煮たという。

 

この層も、神通第二ダムができたとき、その姿を消した。

 

大沢野町誌

 

現在、ブログの掲載は第50話まで進んでいます。

 

全話が111なので、半分近くまで来たといったところでしょうか?

 

 

最近はお話をアップするだけで、コメントをやり取りしたり感想を書いたりしている余裕はないのですが、アップする際に全文を読み返したり読み易く整えたりする作業は続けています。

 

それだけでも自分にとって学ぶところや気づくところが多くあり、有意義な時間となっています。

 

 

以前、企画・編集者の佐田さんの当「昔話集」とは異なる形の昔話集「ブック・レット」全6冊の校正を担当した際、生まれて初めて郷土の全民話を読破した訳です。

 

そうして今回こうしてブログに掲載することで、再び全話を読む機会を得ることとなっています。

 

 

世の中が移り変わっていくスピードは予想外に速く、民話や昔話集が子供達の生活の中にしっかりと根付き息づいていた時代は、はるか過去のものとなってしまいました。

 

昭和に育った自分たちの世代と云えども、郷土の民話や昔話に触れる機会はもう殆どありませんでした。

 

校正作業として全話を読んだ時が、郷土の民話・昔話に触れる初めての機会だったのです。

 

第一読後感は

「郷土にもこんなに素晴らしい民話の世界があったのか。」

ということでした。