『庵谷の史跡・見学ポイント』
1 バイパス道路と庵谷町長大橋の完成(P4)

庵谷地区には最大の難所がある。松ケ谷地内の崖崩れの心配がある場所である。大雨で心配がある時は、国道四一号線は通行止めになる。この場所は距離も長いし山腹なのでこれを避けるため、国土交通省北陸整備局は、富山高山連絡道路の建設の一つとして対岸を経由するバイパス建設に着工し、平成二二年(二〇一〇)十一月二十日にバイパスが完成した。庵谷と町長を結ぶ大橋は、全長三六九メートルで、庵谷町長大橋と命名された。
「細入村史」
『片掛の史跡・見学ポイント』
21 片掛の紹介(P26)
国道四十一号線「道の駅 細入」の周辺に広がる集落が片掛である。集落は、高山本線から山方の旧飛騨街道沿いに連なる家並みと、国道から神通川へ下る吉野道に連なる家並みがある。
「片掛」という地名は、東野と呼ばれる火山砂がたまった土地があり、神通川沿いの土地がえぐり取られたような地形になっているところから、「片方が掛けている」という説と、片津という武士が、お寺を建て、それを「片津のお掛け所」と呼んだことからの説がある。
片掛は、旧飛騨街道の峠下の宿場町として発展した集落である。また、片掛には、銀が産出する鉱山があり、室町時代から江戸時代頃まで採掘された歴史がある。銀が採掘されていた時代には、飯場や精錬場があり、三百戸ほどの家が建ち並び、吹き屋かまどの煙が絶えなかったという話が残っている。採掘された鉱山跡の記念碑が、庵谷峠へ上る旧街道沿いに立っている。
大正時代の地図を見ると、街道沿いに商店街があり、旅館三、馬車宿一、飲食店七、食料品店等五、馬車屋四、酒屋二、理髪店二、運送問屋三、人力車三、鍛冶屋三、大工四、女郎屋二、木羽板屋、下駄屋、石屋、左官、警察署、医院など賑わっている様子が記されている。この頃が、片掛の戸数・人口のピークで、昭和五年(一九三〇)、飛越線が猪谷まで開通し、猪谷駅前が賑わうようになると、商いをしている家々が猪谷へ移って行った。
昭和二十七年(一九五二)神通川の電源開発事業が始まり、片掛と吉野を結ぶ地点に神通川第一ダムを建設し、下流の庵谷に発電所を建設するという工事が始まった。工事は急ピッチで進み、第一発電所は、昭和二十九年(一九五四)に完成し、送電を開始した。工事期間中、片掛には、北陸電力の工事事務所や合宿所、大工事の本部などが置かれた。旧街道沿いには、魚店、とうふ店、飲食店、パチンコ店などができ、一時的ではあったが、昔を偲ばせる賑わいが片掛に戻った。
昭和三十年代になると、新しくできた神通湖(第一ダム湖)に、貸しボートや遊覧船が走り、湖畔には三階建ての料亭が建ち、神通峡は、富山からの日帰りハイキングの場所として、にわかに脚光を浴びるようになった。たくさんの人が、列車やバスに乗って、神通湖へやって来た。しかし、昭和四十年代に入り、観光が広域化する中で、こういう風景は、衰退していった。
細入村史「片掛」の巻頭詞には、次のように紹介されている。
片掛
富山・船津へは共に七里
峠の峻険の南にあって
飛騨からの人と荷、
足を停めるを常とする
かね山と宿場の賑わいで
町と呼ばれるも
七寺四社の勢い今はなく
古き坑道に栄華を想う
ダム工事をひと花として
静かな畑作の村に還る
「細入村史」