神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等 -2ページ目

神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

▪ツイッター(公式):https://twitter.com/jinzusosei2017
▪ブログ2:http://jinzu2016.blog.fc2.com/ 
▪ホームページ(HP):https://jinzu2016.jimdo.com/

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

6 神通川第一発電所(P9)

 

 
 昭和二七年(一九五二)に庵谷発電所の改造計画に着手し、片掛に高さ四二・三メートル、長さ三三二メートルのダムをつくり、昭和二九年(一九五四)二月に完成した。サージタンクの水圧、フランシス型水車で八万キロワットの発電を誇り、神通川第一発電所とした。
 この工事では建設工事機器のブルドーザー、ショベルカーなど最新鋭の重機が使われ、工費一六・六億円、延べ一六〇万人の大事業であった。
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

5 庵谷発電所(P8)

 



 明治四一年(一九〇八)発電工事を開始し水の取入口を猪谷と蟹寺とし、トンネル水路で落差五〇メートル二六〇〇キロワットの発電を、明治四四年(一九一一)一月に完成させ、北陸最大の発電所ができた。
 大正三年(一九一四)の洪水で導水路が埋没したため、大正五年(一九一六)に第二発電所の工事を開始した。片掛から水を取り入れ、落差八五メートル、九五〇〇キロワットの発電所が大正八年(一九一九)六月に完成した。                
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

4 神通川発電所建設で殉職された人を慰める観音像(P7)

 



 この観音像は、神通峡に建設された神通川第一、第二、第三発電所の工事で殉職された二十七名の霊を慰めるために、当時の北陸電力、山田昌作社長によって建立されたものである。
 ここに描かれている観音像は三十三観音のうちの一つである衆宝観音像で十徳を備えた尊い観音である。
 発電所は科学であり水であり、又生命の源泉は光であり水である。その水を配する光の慈悲門たる観音を、ここに表現し発電工事の犠牲となられた人々の霊を慰めている。
北陸電力「観音像のいわれ」より

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

3 庵谷館跡(P6)

 

  
 一六世紀に上杉謙信が飛騨の江馬氏、武田方の来攻に備えてとりでを築いた時にここができたようだが、今は何も残っていない。庵谷館は集落の中程に「館」の小字があり、旧飛騨街道の道の付近にあったものと思われる。
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

 旧庵谷橋(P5)

 

 



 大正十一年(一九二二)から開始された蟹寺発電所工事のために、富山方面からの資材が荷車によって運ばれることになったために、より堅牢な庵谷橋が架けられた。
 その橋詰めに料理屋があり、美しい遊女がいたため「花魁橋」と呼ばれていた。
 現在は、取り壊され、太谷川橋の横に橋の基礎部分が残っている。
「細入村史」参照