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神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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池の原の大蛇と怪力和尚   富山市寺家

 



 むかし、むかし、船くらの寺家というところに、京の都から帝の命によって建てられた気品のあるそれはそれは大きなお寺がありました。


その頃大きなお寺は「帝立寺さま」と呼ばれ、何百とあるお寺の本山として栄えていました。
毎日お参りする人や旅人でにぎわい、たくさんのお店や宿屋もありました。


 その寺家の山奥に大きな池がありました。その池にはむかしから大蛇が住んでいましたが、なにすることなくのんびりと日暮らしをしていました。


 ところが、寺家がたくさんの人でさわがしくなったせいでしょうか、大蛇は怒って人を襲うようになりました。


 人間の味を知った大蛇は寺家にあらわれ、人間だろうが馬だろうが、かたっぱしから食い散らすようになりました。


帝立寺の和尚さんは、力持ちでやさしい方でしたが、

「村人や旅人の命とはかえられない」

とお思いになり、ある時暴れている大蛇を見つけて、寺の本堂にある大きな鬼瓦を

「よいしょ」

と持ち上げ、大蛇の頭に命中させました。


 もう片方の鬼瓦も

「よいしょ」

と持ち上げて、大蛇の尾に命中させました。


 さすがの大蛇ものたうちまわり、やがて力がつき、ながながとその死体を横たえたのでした。


 村人はこの力の強い和尚さんを「怪力和尚」と呼ぶようになりました。


 大蛇の死がいは山奥の池に沈め、このようなことが再び起こらないようにしようと、ねんごろにとむらいました。そして、この池を埋め立ててしまいました。それが今の池の原ということです。


 帝立寺さまはそんなことがあってから帝龍寺と改名されました。


 帝龍寺さまは長い間法灯が続いて、今の和尚さまは、七十五代目にあたられるそうです。県の文化財指定の十一面千手観音さまや虚空藏菩薩(姉倉姫)さまがあります。

吉田律子
「たずね歩いた民話 大沢野」

きつねの嫁入り   富山市二松

 



 むかし、二松が二本松といわれた頃、たくさんの狐が住んでいた。

山が近くにあって、二本松からは細い道が続いていた。


 二本松のまんなかにひっそりとお寺が建っていて、そのまわりには古くて大きな木がうっそうとしげり、ときどき「コンコン」と、狐の鳴き声が聞かれた。


 湿っぽい梅雨の晩のことだった。


 山すその方に豆つぶのようなあかりが一つ見えた。つづいてまた一つ、また一つ、やがて五十くらい見えたころであろうか。そのあかりが並んで二本松に向かって動いて来る。まるでちょうちん行列のようだった。


 その行列はお寺の森深く入って行った。村人はおそれてその行列に近づかなかったけれど、だれいうとなく「きつねの嫁入り」といったと。

吉田律子
「たずね歩いた民話 大沢野」

猿倉城あとにのこるとんち話   富山市猿倉

 



 むかしむかしのはなしや。


 となりの国のとのさまが、たくさんの家来をつれて猿倉の城をせめてきたと。
とのさまは

「こんな小さな城はひょうろうぜめにしたがよかろう。みなのもの、まわりをとりかこんでひょうろうはこびをとりおさえ」

と命令したと。


 しかし、いくにちたってもいくにちたっても、小さな城はこうさんするけはいがなかったと。
それは、この城はいっぽうはだんがいぜっぺきで、みおろすと、底には大きくて深い川がながれていたし、川のよこては、高い高い山にかこまれていたと。高い山のつづきには、低い山がいくつもかさなっていて、ひとびとは道にまよって、なかなか高い山にのぼれなかったと。


 ところがこの山のところどころにほらあながあって、お城にいく秘密のつうろがいくつもあったと。敵がせめてきても、この秘密の通路から、水やお米をはこんでいたと。


 しびれをきらしてまっていたとのさまや家来たちは、じっと城をみていると、お城のてっぺんから「ゴー。ゴー」とてっぽう水がながれだしたと。家来たちは、「大水だ。大水だ」といって、いっせいにたいさんしたと。

 

 とのさまも

「あんなに水がほうふにあるのなら、ひょうろうぜめはできないぞ」

といって、となりのお城にかえったと。


 この小さなお城には、もうひょうろうがわずかしかのこっていなかったと。みんなでいい知恵はないものかと相談したと。そしたら、めしたきのばあさまが

「みずいろの長い長いきれをするするとたらして、その上からのこった米をながしたらどうかの」
みんなはさんせいしたと。


 みずいろのきれは、おりからの風にふかれていかにも滝のように見えたと。
また、ながされたお米は「ゴー。ゴー 」と、大きくひびき、まるで、てっぽう水のようだったと。

話 横内友次郎 採話 吉田律子
「たずねあるいた民話 大沢野」

首なしじそう   富山市市場

 



 むかし、むかしのはなしや。


 三方山にかこまれた平和な村があったと。そして、村のはずれに、草むらの中にかくれるようにたっているおじぞうさまがあったと。そのちかくに、長者どん夫婦がすんでいたと。長者どん夫婦には、かわいいむすめさんがいたと。


 むすめは村いちばんのはたらきもので、朝早くからうら山にのぼり、そこにあるたくさんの薬草をとるのがしごとになっていたと。そして、病気でねているとしよりたちに、薬草をせんじてのませてあげたと。その薬草は、ふしぎなくらいよくきいたと。


 ある秋のはれた日のこと、むすめはふと足もとのたにまをみると、みたこともきいたこともない薬草があったと。ぐーんと手をのばしたら、やっととどいたと。


 そのとき、あしもとのどろがくずれはじめて、むすめのからだは、くらい谷そこにおちたと。やっとうちにたどりついたむすめのすがたをみた長者どんはびっくりしたと。むすめの首が横にかっくんとまがったきり、元にもどらなかったと。


 長者どんもむすめもそれを気にして、どっとやまいのとこについてしまったと。


 さあー、これをきいていちばんこまったのは、村のとしよりたちだったと。あしたから、薬草が飲めなくなってしまう。そこで、だれがさそうともなく村はずれにあるおじぞうさまに、願をかけることになったと。うちでとれた野菜やくだものや、色のかわったろうそくなどを持って、雨の日も風の日もみな、二十一日間の願かけまいりがつづいたと。


 そして、満願の日、みんなはぞろぞろと長者どんの家にいったと。きっとむすめの首がなおっているだろうと思ってやってきたと。


 ところが、むすめの首はなおってなかったと。村のとしよりたちは、かんかんになっておこってしまったと。


「これだけお願いしても、ちょっとも、いうことをきいてくださらねえ。こんなおじぞうさまは、こうしてしまえ」

というので、みんなでぐいぐいゆさぶったと。

 

 すると、おじそうさまが台座から「コロン」ところがりおちたひょうしに、首がゴロゴロとはなれてしまったと。

「わあー、おらあ、知らねえぞ」

と、みんなはクモの子を散らすようににげたと。そのあとには、首のおちたおじそうさまだけが、さびしそうによこたわっていたと。


 そのばんのこと、ぐっすりねている長者どんのまくらもとでだれかが、

「長者どん長者どん」

とゆりおこしたと。はっとおもっておきてみると、おちた首をしっかりかかえたおじぞうさまが立っていたと。そして、こういったと。

「長者どんよ、わしは首がないとこまるんじゃよ。だれかになおしてもらえんだろうか。わしの首をなおしてくれた者には、代々いしゃとして栄えるようにめんどうをみましょうぞ」

といって、すーと消えてしまったと。


 長者どんは、よるのあけるのもまちきれず、村いちばんの正直ものといわれている茂平どんところへきてたのむと、きもちよくひきうけてくれたと。そして、おじぞうさまの首をなおすと、あれやふしぎや、むすめの首もぴょこんとなおってしまったと。


 村の人たちはほんとうによろこんだと。また、むすめのとってくる薬草がのめるからだと。そして、村の人たちは、「市場の薬師様」といったり「首なしじぞう様」といって、だいじにしていると。首をなおした茂平どんの子孫も、代々りっぱないしゃとして栄えていると。
 
話 悟道伊三郎

採話 吉田律子  
「たずねあるいた民話 大沢野」

下伏の大蛇  富山市黒瀬谷

 



 むかし、黒瀬谷下伏に大きな池があり、年老い大蛇がいた。


 あるとき、大蛇は城生城の殿さまの愛馬をまちがってのみこんでしまった。おこった殿さまはあやまる大蛇を射殺し、湖をうめてしまった。


 その年、城は佐々成政の軍に囲まれた。

 

 するととつぜん城は真っ黒な雲につつまれ、だれ一人からだを動かすこともできなくなった。

 

 そして火薬庫が爆発し、城が燃え上がったとき、わらい声のような音がひろがり、大蛇の白骨が空から落ちてきた。

 

 白骨はやがて貝がらにかわったという。
 

吉田律子「たずねあるいた民話 大沢野」