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神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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『加賀沢の史跡・見学ポイント』

 

9 不動滝(P 17)

 

 
 

 東加賀沢、宮川右岸の渓谷にかかる垂直の瀑布のことをいい、幅五メートル、直下五十五メートル余。水は流れて直ちに宮川に注いでいる。この滝へ続く道は、今は閉ざされてしまった。
 不動滝は、西加賀沢地内水上橋から、越中西街道を蟹寺方向へ二十分ほど歩いた所から眺めることができる。
 屹立した付近の山容と相まって美観を呈し、特に夏秋の眺めがよいので知られている。高山本線の窓から対岸にその全容が眺められ、奥飛騨の旅情をそそるのもまた一興である。
 明治・大正の頃、この滝の上に、建坪九坪余の拝殿があり、不動尊を安置していた。昔より、眼病の霊験著しく、また養蚕守護の神として参詣者も多かった。しかし、その後、二回の火災に見舞われ、かつ交通も不便なため、本尊は巣納谷の久昌寺へ移し、現在に至っている。
 「宮川村誌」

『加賀沢の史跡・見学ポイント』

 

8 東加賀沢集落跡記念碑(P15)

 

 

 加賀沢橋を渡り、加賀沢トンネル手前の道を上っていくと東加賀沢集落跡(岐阜県飛騨市宮川町)に着く。
 現在、東加賀沢集落があった所には、記念碑が建てられ、小さな公園になっている。記念碑には、「ふるさとに想う」という題で、次のように刻まれている。
 「先人達がいつごろからか、この人里離れた小さな斜面の土地を切り開き、家族同様に住民が寄り添い、永住の地として生活していた。しかし冬期間、交通が遮断され孤立状態となり、病院、学校その他あらゆる面で不便を痛感した。
 昭和三十年から四十年代にかけて不安と動揺を感じながらも子供の将来を考え、住民それぞれが離村を決断した。 
 平成十二年( 二〇〇〇) に国道三百六十号 小豆澤~蟹寺間が改修され、加賀澤の地形が大きく様変わりした。このため、人々の記憶から忘れられることがないよう加賀澤住居跡地に石碑を建て後世に申し伝えることにする。 平成十二年( 二〇〇〇) 八月建立」
 

 東加賀沢に住んでいた人たちは、「加賀沢会」を組織し、年に一度、富山市に集まり、故郷を偲んでいる。

 

「細入村史」

『加賀沢の史跡・見学ポイント』

 

7 国道360号線バイパス道路(P13)


 国道41号線が通る神岡~数河高原~古川のコースは、高低差が大で急坂が多い。一方、国道360号線は、県境付近では急坂はないが、宮川の深いV字谷に沿って屈曲し、しかも道幅はきわめて狭く、車がすれ違えない所も数多くある。
 このような宮川沿いの交通難所を解消するための努力は、平成元年(1989)から本格的に進められた。富山県側の加賀沢~猪谷間4・5キロメートルは富山県が細入トンネル建設と道路改修を、岐阜県側の加賀沢~小豆沢間2・3キロメートルは国が直轄事業として、改修工事を進めた。平成12年(2000)8月26日、「国道360号バイパス 細入バイパス・宮川細入道路」が完成し、開通式が行われた。

 新しくできたバイパス道路は、要所をトンネルでつなぎ、橋は冬期間でも安心して通行できるシェルター構造になっている。北から越路・加賀沢・飛越と3つのトンネル、その他6つの橋が新設された。道路はほぼ直線状となった。
「細入村史」

『加賀沢の史跡・見学ポイント』

 

6 加賀沢橋(P11 )

   

     【初代加賀沢橋(右下方)】

 飛越国境にある飛騨加賀沢と越中加賀沢は、幕政時代から、宮川を舟で往復していた。昭和の初めごろ、初めて歩道橋が架かった。これが初代の加賀沢橋で、幅一メートルの木吊橋で、風の吹くたびに大きく揺れるので、番線を張って振り止めをし、安全を保った。しかし、昭和二十年( 一九四五) 九月の大風で墜落した。その後もかろうじて橋を架け替えて利用していた。

 

      【二代目加賀沢橋】

 昭和四十七年( 一九七二)、関西電力株式会社が新しく橋を架け替え、電力関係や山行きの人々が利用するようになった。これが二代目の加賀沢橋である。橋の幅員一メートル、延長六十メートル余、歩道橋鋼吊橋で、振り止めの番線を張ってはあるが、宮川の激流を下に見れば、目もくらむばかりであった。

     

     【現在の三代目加賀沢橋】

 現在の加賀沢橋は、平成十二年( 二〇〇〇)、国道三六〇号線の小豆沢~蟹寺間が大きく改修された際に、加賀沢トンネル入口に、鉄筋コンクリートの立派な橋として生まれ変わった。


「宮川村誌」 「細入村史」参照

 

 

 

『加賀沢の史跡・見学ポイント』

 

5 加賀沢の石仏群(P10)

 


 
 加賀沢集落南端の道路脇に、小さなコンクリートの建物があり、その中にお地蔵さんが九体並んでいる。
 明治四十五年( 一九一二) の分教場の建設時に、白山社の境内にあった地蔵堂を整理し、谷向いの地蔵様を含めて、この場所にお堂を建て直し、集められたとのことだ。
 どのお地蔵さんも、新調したばかりの赤い帽子と前掛けを身に着けて、仲良く鎮座している。今も欠かさずお世話をしている人がいるようだ。