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『蟹寺の史跡・見学ポイント』

 

17 越路トンネル(P22) 
 
 地方の主街道であった古川―猪谷線は峡谷を縫うようにして建設された道路であったため、昭和五十年代に入り国道三六〇号に昇格したものの、冬期間の県境は閉鎖され通行はまったく出来なかった。
 平成七年( 一九九五) にようやくトンネルの掘削に着手し、一億二千万年前と推定される草食恐竜「イグアノドン」の足跡の化石が発掘されるなどして、平成十二年( 二〇〇〇) 八月に二千六百二十メートルのトンネルが竣工した。福井県の博物館にその化
石が保存してある。
 「越路」という名称は、江戸時代初期の僧、円空が飛騨街道から越中に入った時に詠んだ歌に、「越路」の言葉が使われていたことから命名された。
「細入村史」

 

『蟹寺の史跡・見学ポイント』

 

16 慈眼院と石仏群(P20)
 
 蟹の妖怪の伝説があった旧慈眼院は西の山裾にあった。当時富山の「海岸寺」からの月庵光瑛和尚が退治したもので、慈眼院は鎌倉期から江戸期に曹洞宗の別院であったと思われる。その後片掛大渕寺の末寺になった。戸数、人口などが増加したので現在地に移築された。
 慈眼院横の広場には丸彫地蔵立像、丸彫阿弥陀如来坐像、延命地蔵を含む六地蔵があり、御堂内には有名な立像円空仏や千手観音像が安置されている。

 また昭和の戦前戦後、村歌舞伎が盛んだった頃は慈眼院で催され、柱や梁などが外せるようになっていた。現在は老朽に伴う改築等によって見ることは出来ない。慈眼院は、現在、地区公民館になっている。
「細入村史」

 

 

現慈眼院

 

 

丸彫地蔵立像

 

延命地蔵および六地蔵

『蟹寺の史跡・見学ポイント』

 

15 五輪塔(P19) 
   
 昭和六十三年( 一九八八) 五月、故山口昌則氏の浄財で慈眼院住職の墓地を新しく整えた。その脇に、籠の渡し場における悲話として語継がれている悪源太義平の妻と妹の八重菊、八重牡丹姉妹の五輪塔が二基安置されている。
「細入村史」

 

 

『蟹寺の史跡・見学ポイント』

 

14 庚申様と納経塔(P18) 
 
 以前は村の南端に建てられていた庚申様は、人々が西国の霊場めぐりに旅立つときの道中の無事を祈願し、無事に満願成就して帰着した時などにお参りしたと伝えられている。
 また、納経塔は大渕寺二十七世の弟子の了宗尼が西国、秩父、坂東の百観音と西国八十八ヶ所巡礼を全うした証に建てられたものである。現在は、白山社脇に建てられている。
「細入村史」

 

庚申様

 

納経塔

『蟹寺の史跡・見学ポイント』

 

13 白山社(P17)
 
 鳥居をくぐると、慶応三年作の狛犬、天保十年( 一八三九)、安政四年( 一八五七) 作の石灯篭がある。神殿には、石川県にある白山比咩神社を総本山とする神様が祀られている。
 向って左には山の神、その後方に五重塔があり、これは太平洋戦争当時疎開していた高田鶴次郎が献上したものである。
 また、右には蟹寺間兵衛、五郎兵衛のいずれかが村の生計の糧としていた養蚕の女神を寄進したものが、祀ってある。昭和四十八年、円空仏二体が、神殿の中から発見された。神社境内には「アサダ」の木があり、県内では珍しい。
 「細入村史」