強い力が
その人を幸福に
するとは
かぎらないわ…
-サイボーグ003 フランソワーズ
龍神沼。大事に今も持っています。
この石森章太郎氏の作品。この初期の作品は、当時の「少女クラブ」の編集長である丸山氏が、石森氏に最初は普通の少女漫画を書かせていましたが、石森氏がまったく新しい少女マンガを描きたいとあんまり粘るので、年二回だけの特別臨時号に、描かせた作品群です。
私は特に、「龍神沼」と、「きりとばらとほしと」、そして、「昨日はもうこない、そして明日もまた」が好きですね。
「龍神沼」は漫画家入門のなかにもありますが、この「きりとばらとほしと」は、なかなか見ることのできない作品です。
今ならば珍しくもない題材でしょうが、当時の少女マンガのなかに、こんなSFマンガがある事自体がすごいことです。
私も、13歳。中学生の頃ですが、この「きりとばらとほしと」を読んで、ドイツの詩人たち、リルケや、ヘッセや、ゲーテらの詩人たちを知るようになりました。
当時道徳の時間に、東光中学の担任の先生が、20分やるから好きなことをめいめいがしゃべれ、と。
そんな ルールをひき、一年間つづけたことがありました。
私の番が、きたので、私は「マンガとは何か」という題目で、手塚治虫から、石森章太郎、永島慎二、白土三平、水野英子、などなどトキワ荘の話を必死でしました。
あんまり真面目に必死に話したので、先生と仲間からは大笑いされました。
漫画とは元々は、そんなものであり。
でも、私と漫画もまた、そんな関係でした。
マンガで文学を語るとか、マンガが今のように世界や、世間から認められ、大人が読むようになり、世界の日本のクール文化となるずっと前ですから、笑われてもしょうがありませんね。50年前のことです。
なつかしき思い出です。
きたがわ翔が、龍神沼がいかに当時事件だったのか、感動したと書いていますが。
私も年に一度しか家族で札幌には行けず、丸井の本屋でこの石森章太郎の龍神沼の作品の解説を読んでびっくりしたのです。
この少女のイメージは、サイボーグ009のフランソワーズです。
その他、009の1や、幻魔大戦や、7p ワイルドキャットなどなど、このフランソワーズのイメージが使われました。
石森は、手塚治虫の「バルボラ」「人間昆虫記」「地球をのむ」などに登場する女性たちのイメージをさらに、美しく妖艶でありながら、キリリ、と少年ぽさも加えました。
石森の少女美学です。
日本中の少年たちを熱狂させたのでした。
リルケ 資料
1901年にパリに出たリルケはリュクサンブール博物館で葛飾北斎や鈴木春信の浮世絵を見、またゴンクールの浮世絵研究『北斎』に触れて深い感銘を受けている。1904年にスウェーデン旅行を行なった際には、その途上のデュッセルドルフで北斎や喜多川歌麿、鳥居清長らの浮世絵を研究し、スウェーデンには北斎の『漫画』を携えていった。1907年の『新詩集 別巻』には北斎を主題にした詩「山」が収録されている。また1920年にフランスの文芸誌『新フランス評論』で日本の俳句が特集されるとリルケはこの独特の詩形に興味を持ち、「ハイカイ」と題するフランス語による3行詩を三度制作している。
日本においてリルケはまず森鴎外によって断片的に訳されたのち茅野蕭々『リルケ詩抄』(1927年)によって本格的に紹介され、とりわけ堀辰雄、立原道造、伊藤静雄ら「四季」派の詩人に影響を与えた。
リルケはよく手紙を書いたことでも知られ、知人や文学者、出版者、パトロンなどに宛てた膨大な数の手紙が刊行されている。なかでもセザンヌの絵画への感銘を綴った妻クララへの一連の手紙(「セザンヌ書簡」)や、詩人志望の青年フランツ・カプスからの手紙に答えて文通の始まった『若き詩人への手紙』、子供との二人暮しを支えるために働きながらリルケの詩を読んでいた女性リーザ・ハイゼとの文通の集成である『若き女性への手紙』は、リルケの誠実な返答や芸術についての鋭い考察などによってよく知られている。