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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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蔵書がたぶん30000冊以上はあると思う。それを介護しながら、地下で、日々、整理整頓する。

これが今の私の最高の喜びであります。

二階に置くと、家が潰れてしまいますので、地下に、ほとんど、置いています。まだまだ、片付きません。

二階の書斎は、自分のよく読む本を置いています。漫画は描く時に、参考資料になるので、漫画と、美術書は、そばに。

昨日は、介護父に付き添いつつ、安井曽太郎先生の本を、楽しんで、見ていました。彼のデッサンと絵は良いですね。

中学生の頃から本が大好きだった。当時は、こづかいが少なく、月に500円程度ならば、本を一冊か二冊買えばもうこづかいはなくなるのでした。

大学生時代からは、本格的に本を買い始めましたが、ここでも親から仕送りをしてもらう身、月に二万円の仕送りから部屋代の5000円を払い、米とミソとラーメンを買った残りをすべて本代にするしか方法はありません。

というわけで。

働くようになってからは、もう、嬉しくて自分の金で本が好きなだけ買えるわけですから、それはそれは、昼飯を抜きながら本を買ったものです。

読書方の基本は、小林秀雄氏から学んだ、とにかく乱読。

次に、好きな作家を見つけて、全集を読む。帯から、推薦分まで、日記まで、読み込む。

次に、書き込み、線引きなどをしながら、考えながら、自分に対して心の中で質問しながら、読む。

たくさん本を読むということには、ある意味、盲点 弱点もあります。考えることを忘れるからです。 

ただ読んでいるだけでは、頭をいつも忙しくしているだけですから。他のことができなくなります。だから、本はたった一つの言葉を宝石のように取り出すことだけ。それだけを楽しみに速読します。

三島由紀夫氏からは、学んだのは、「心をまず白紙にして、素直に読み始める」

「立ち読みと、集中力」「大正教養主義のような勉強ではなくて、自分の好きなものの体系の宇宙を作り上げるような読み方」をせよ、と。

最近は、「美しい星」なんかが、話題になっておりますが、ドストエフスキーを彷彿とさせる原書をまず読んでから、映画を見ることをお勧めします。

本棚に好きな作家の本が少しずつ増えて行くことがなによりの楽しみ。時間がある時に、音楽を聞きながらそれらを大切に読んでいきました。

でも、今考えておりますのは、これだけの本があってももう自分の人生ではすべては読めないということです。もちろん所有する喜びはあるのですが、せっかく、少ない小遣いから貯めたお金で買ったのです、なんとか読みたいと思うが、自分の人生さほど時間が残っておりません。

でも、また考え直すのです。

「右脳」があったと。

この方法、ひょっとして、あの「奇跡の脳」を書いた、 J Bテイラーさんかもしれませんね。(脳科学者の脳が壊れた時)

右脳のイメージコントロール。

それは膨大な資料を読むには一番の方法です。

司馬さんも、彼が本を読むときには、読むというよりも、

一ページ数秒で、次のページをめくると書いていました。

まるで写真にとるように次からつぎへと、速読します。

・・・そこにヒントがあります。

あともう本を読む時間がないと言っても、一字一句辞書を引きながら精読するわけではありません。学生の頃は三島由紀夫の豊饒の海なんかは辞書を片手にノートに難しい漢字を書き写しながら読みましたが、そのような読み方は脳細胞の若い時にぴったりの読み方です。

でも今は、「楽しく」読みたいですし、目が悪いので辞書をがんがん引きながらは辛いです。

でも、谷沢栄一先生や司馬遼太郎先生などは、私の蔵書の約10倍ほどの本を持っていた筈ですから、本の読み方のこつがあると、介護しながら、昨日は思いました。

それで、「右脳」

私の本を一冊一冊、くくるのではなくて、ぼんやり、イメージして見ると、まず古典好きと言っても、20世紀19世紀の本が中心です。

たぶん、20世紀の本が、全体の80%をしめるでしょう。古典があっても1000冊程度。3%。

しかも原書は1000冊程度。ほとんどが、日本語の本です。

だから、イメージで考えれば、私の持っている本など、地球上のありとあらゆる本の中で考えれば、もう砂の一粒みたいなもので、たいしたものではありません。

何かの「縁」があり、私の手元にまわりまわって、来た本だと思えば可愛くもなりますし、精読できなくても、手のひらにのっけて表紙をなでまわしたり、匂いをかいだり、ケネディ大統領が得意だったインデックスだけをじいっと睨んで「見当」をつけることは何歳になっても楽しい行為です。

「見当」をつけて、ピンと感じるものがあれば、またぺらぺら、読んでみます。

そして、おっと思えば深く入ればいいし、違うと思えば、また大切に書架にもどせばいいだけです。

書庫の整理の基本は、松岡正剛氏から学んだのですが、例えば、開高健の本を30冊持っていて、それを整理する場合、その本の隣には彼の親友でもある、谷沢永一氏の本を私は置きます。本には見えない「糸」が無尽に張り巡らされており、その裏の人と人、思想と思想のつながりの糸がどんどん、日々、変化します。例えば、開高健さんの葬儀で彼にお別れの挨拶をした人がわかれば、その人を隣に配置します。本をテキトーに書庫棚におけば良いというものではありません。三島由紀夫の葬式には、武田泰淳氏がお別れの挨拶をしましたから、三島の本の隣は、私は彼の本を置きますし、また彼が見つけて掘り出した異端の作家たちを置きます。森鴎外を尊敬しましたから、それは隣に置きますが、間違えても夏目漱石は全く違う場所です。

本は友達みたいなものです。

小林秀雄さんは「本がたちあがるまで読み込め」とそんなことを言われたような記憶があります。

立ち上がるというのは、その本の言葉が友人の口から発せられように感じることですね。

そのためには、繰り返し繰り返し、その友人の言葉に耳を傾ける必要がありますね。

このような「繰り返し読む本」と、さきほどの「インデックスで見当をつけて楽しむ本」は、また違う喜びをそれぞれに与えてくれます。

この「右脳」的な本の読み方は、多量の本を持っていたり読んだりすることに興味がある人向きなのかもしれませんね。

「見当」とはまさに人間だけの脳が持っている素晴らしい機能です。

コンピューターやロボットでは、いちいち、すべての行動を計算してから予測しますが、人間の脳は、「直感」とこの「見当」で、いちばん近道の予測をしてしまうのですね。

「仮説」がよく大事だといいますが、仮説などは皆「直感」ではありませんか。<まあ、その仮説を立証しようとして外れることもありますが>

その直感をではのばす方法はあるのでしょうかね。

たぶん、私の直感ですが、<直感を科学的に証明しようとする本もありますがここでははずします>それは、自然の中で考えることでしょうね。

それらは昔の時代から世界中の賢者達がやってきたことです。瞑想や、孤独に耐える力、祈り、圧倒的な好奇心などなどでしょう。