私は絵が好きなので、自分の好きな心象画を描いております。好みですが、正統派の花鳥風月の純粋な絵はあまり好みではありません。背景に花鳥風月をシンボルとして、少し入れるだけで、やはり人間がメインに描きたいです。
純粋な「和」よりも少し「洋」の隠し味がある方が日本を感じます。←あくまでも自分の考え方です。
小林秀雄氏は、骨董の売り買いで晩年有名なエッセイをたくさん残しています。頭でっかちで、美術を批評する人を批判しています。
絵は繰り返し繰り返し見ているうちに好き嫌いがわかってくるもの。
絵の本当に好きな人は、自分でも描きますが、他人様の絵も買います。私も、掛け軸と日本画を五人。二紀の宮田先生の絵。非水。宮本三郎氏の絵を退職金で買
いました。
お金の問題ではありません。
小林秀雄氏が晩年骨董の売り買いをして感じたことはなんだったのか。美とは語るものではなくて、どうしようもなく欲しくなるものなのかもしれません。
以前の会社で、若い10代の少女がバイトしながら、本物の大島をどうしても欲しいと分割ですが、買っていただきました。食事を抜いても欲しいと。私は感銘して米を10キロ自腹でお送りしました。
昔。
帯一本で家が一軒買えたという明治大正の龍村平蔵氏の帯。
倉庫で伝統柄を5時間くらい見ていたと言われています。
見る。
見る。
見る。
訓練ですね。野球の川上監督はピッチャーが投げる玉の糸が見えたて言いますし、今でも野球選手は訓練の結果、動体視力が発達して、レコードの回転する円盤の曲名や歌手名も読めるのです。
絵はわかる わからない ものではなくて、楽しむものです。
そして欲しくなるものです。←無理して買うものではありませんが。美に対する気持ちは理屈ではないということです。見続けることで、訓練で、発達してきて、見るのが楽しくなるのだと自分では考えています。
題名「至高体験illusion」
油彩F10
imagemusic
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