川端の本。「美しい日本のわたし」
ノーヴェル賞をもらったときの講演の時の本。
西行と言えば桜の詩人
明恵と言えば月の歌人といわれている。
「春は花
夏はほととぎす
秋は月
冬雪さえてすずしかりけり」
道元の「本来の面目」
In the spring ,cherry blossoms ,
in the summer the cuckoo.
In autumn the moon ,and in
winter the snow, clear ,cold .
英語だと、雪さえてすずしかりかりけり のところが、
合理的な訳なんだ。
冬は雪、目にさえて、冷たい。 というところか。
日本語のさえてすずしかりけりは、韻を楽しく感じる感じか。
「隈もなく澄める心の輝けば
我が光とや月思ふらむ」
明恵
この訳は、サイデンステッカーさんは、こう訳す。
My heart shines, a pure expanse
of light ,
And no doubt the moon will think
the light its own.
川端康成のこの「美しい日本の私」の中で、ボッティチェリーの研究が世界に知られ、古今東西の美術に博識の矢代幸雄博士も「日本美術の特質」として、「雪月花の時、最も友を思う」と書かれている。
この場合の友は親友という意味だけではなくて、広く、「人間」と理解しても良いらしい。
美の感動が人なつかしい思いやりを強く誘い出す、そう川端は書いている。
なんという繊細な表現なのか。
美の感動が人なつかしい思いやりを強く誘い出す。
雪月花という言葉もこの場合は、日本の山川草木、網羅万象、自然のすべて、人間感情を含めての美を表す言葉でしょう。
日本の茶道の根本の心もこれである。
「雪月花のとき、最も友を思ふ」
ただ、現実の茶道の伝統は俗化がすすんでいて、その批判として川端の「千羽鶴」は書かれたのだ、ということはあまり知られていない。
「形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみじ葉」
良寛の辞世 1758--1831
自分が死んだ後も自然は美しいだろう、私は死んだときに形見として何も残せないが、
この自然の美しさだけはこの世に残す形見になってくれるだろう。
そう川端は書いている。というよりも、18世紀の良寛という天才を川端の天才が見つけ反応し美の伝統を意識して引き継ぎしている、そのこと自体が日本人の美のこころだなとも思う。
良寛には愛の詩もあると川端は紹介している。
スウェーデンの講演での席でこの歌を披露したわけだ。
「いついつと
待ちにし人はきにけり
今は相見てなにか思はん」
良寛
老衰の加はった68歳の良寛は29歳の若い尼、貞心とめぐりあい愛し合う。
愛人と会った時のよろこびが新鮮だ。やるじゃあないか、良寛さん。
I wondered and wonderd when
she would come.
And now we are together
What thoughts need I have ?
英語訳は笑えるほどに、こころのときめきが、合理的に歌われている。
見事な訳だ。
川端さんはもういないし、サイデンステッカーさんも逝ってしまわれた。キーンさんもまた。・・・・
そうして日本の美をほんとうに肌でつかんでいる人々が絶滅しつつある。
窓から今夜は月は見えない。
オスカーワイルドの「サロメ」の冒頭には「ほんに死んだおなごのような月じゃ」とある。
さすが、イギリス。
プラトンは「月は死滅の彼方にある」
ハンス・アルプは「月は死の形式」だと言う。
梶井基次郎は「月から死亡通知が来そうだ」と、書いている。
だが、私は、やはり明恵が好きだ。
普通に月を観て人寂しくなる、そんな月。
最後に、
「あかあかや
あかあかあかや
あかあかや
あかやあかあかあかあかや月」
サイデンステッカーさんの訳もおもしろい
O bright, bright,
O bright, bright, bright,
O bright, bright.
Bright,O bright, bright,
Bright,O bright moon.
あか という響きが、 O bright, に 訳される。
それが正しいかどうかはよくわからないが、日本を愛し日本で死した
ひとりの天才翻訳家の言葉の移植手術、そんな緊張した手さばきを感じる。
写真は、五年前に撮ったのだが、どこで撮ったのか記憶曖昧。ひょっとしたら雑誌からの撮影かも。
一番最後の、家の屋根から少し見えた星は、金星だと思うのですが、この夜もまた月は見えず。
子供達はみんな、元気ですから。
それで、月や星はみたいですが、我慢します。^^