タフでなければ生きていけない。
優しくなければ生きていく資格がない。
-チャンドラー(プレイバッグ)
古本屋日記。
村上智彦三冊を読む。妻とともに。
五木寛之ではないけれど。
死ぬまで考え続け、死ぬまで自分のできることを続け、どんなジャンルであれ、日本のために戦った人たちの記録を読みたい。
短絡的に相手を決めつけるのではなくて。
柔らかい脳みそを意識して、ユーモアで生き抜きたい。坂口安吾のように。
村上智彦先生。
2007年に353億円もの巨額な赤字を抱えて破綻した夕張市に伴い、経営危機に陥った夕張市民病院の再生のために、乗り込まれました。
炭鉱の最盛時の1960年には人口10.7万人だったのが、当時は1.3万人まで減少、現在は1万人を切っています。
この夕張地域のために残すべき医療とそうでない医療を切り分け、100床以上あった病院から19床の診療所と介護施設にスケールダウンさせ、その分、訪問診療などに力を入れ、地域医療をきちんと実践されたことです。
この10年は多くのことがありました、特に
1 福島県の大野病院で一人で地域の産科診療に当たっていた産科医が帝王切開の患者さんが死亡したためにに業務上過失致死罪にて2006年2月に逮捕されたり(のちに無罪判決)。
2 2006年8月に奈良県の町立大淀病院で出産中だった32歳の女性が脳出血の搬送をめぐって「救急車のたらい回し」のような報道がされたり(奈良県警の判断で刑事事件とはならず、民事事件でも棄却されました)。
こういう「医療崩壊」とも言われるような過酷な医療現場が報道される中で、夕張市民病院の再建に当たった村上先生は最初の1年目は孤軍奮闘でしたが、その後多くの医師に支えられ、先生が始められた医療法人財団 「夕張希望の杜」は10年にわたり運営されていました(その後、村上先生は「ささえるクリニック」に移られましたが)。
今後、日本ではいたるところで、夕張市のように高齢者が増えていく。そして高齢者が必要とするのは救急車が出動するような心筋梗塞や脳梗塞のような急性期の医療ばかりではなく、誤嚥性肺炎や認知症など慢性疾患であったりします。高度な救急医療かそうでないものを仕分けを総合診療で仕分け、薬剤師や看護師によってチームを組んだ在宅医療によって看取りをするなど先進的なモデルを実践されたことがとても印象的でしたし、大都市を除くとこういったことがこの10年で広がり、まさに在宅医療ブームが広がりました。