フランスの旅の思い出 モン・サン=ミシェル 人間のひとつの大きな他の動物との違いは、「思い出せ |   心のサプリ (絵のある生活) 

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フランスの旅の思い出 モン・サン=ミシェル

人間のひとつの大きな他の動物との違いは、「思い出せる」こと。

記憶です。もちろん、小動物達も学習し、小さな記憶で、獲物を獲得したり、逃避したりもできるわけですが、人間は、もっと細かなディテールまで(時には自分に都合の良いように勝手に記憶を解釈し、嫌な記憶を消すことさへして)、記憶して、のちに、思い出し、自分の楽しみとすることができます。

会社を退職してちびちび、節約して、慣れない会社で嫌々仕事をするくらいなら、いっそのこと、安吾のように、一気にそのスズメの涙ほどの退職金を使い果たしてみようと、フランスにドイツにスイスに出かけた私でした。そして、それは正解でした。

すっからピンとなりましたが、なんという爽やかさ。

お金がないという幸福。

スッキリ感。

だからこそ、帰国してからモーレツにバイトして、両親へのプレゼントでもある家のローンも27年かかりましたが、63歳の時に全額返済。旅の後でしたので、頑張れました。

あっというまの、夢のような10日間ですが、今の私を支えています。25才の時にも、懸賞論文一位で頑張って、フランスに行かせてもらったことがありますので、そのときに「オレはまたここにもどってくるぞ」と、ピカソのアポリネール像に誓ったことを、58才の時に実現したわけです。

パリの最後の日。

この旅のもうひとつの大きな愉しみである、モン・サン・ミッシェルに行ったのでした。

宮崎駿氏の「ラプュタ」のモデルになったところですし、私が学生時代に映画研究会で夢中になったフランス映画、とりわけ、フランスの女優人のなかでかの澁澤龍彦氏が彼独特の審美眼で選んだ女優がこのカトリーヌ・ドヌーブだったということをバスの中で思い出しながら、バリから往復10時間の旅にでました。

まあ、このモン・サン・ミッシェルに行くバスだから我慢できるので、私はバス嫌いなので、とても普通の日本だったら10時間も乗っていることはできなかったでしょぅね。

目的がはっきりしているということは人に力を与えるものです。がははは。

牛や馬やののんびりした、風景がえんえんと、往復10時間続く・・・

これは、もう北海道と同じですよ。酪農の風景・・・・

しかも、このモン・サン・ミッシェルに行く途中、虹が見えたんですね。嬉しい反面、モン・サン・ミッシェルは雨が多いらしいので、さあどうなることやら?

このカトリーヌ・ドヌーブのクリップをなぜ入れたかというと、皆さんも知っていますよね。あのフランスの傑作映画「シェルブールの雨傘」はここノルマンディーの小さな町で撮られたからなんです。

雨傘店の娘と、自動車整備工の男との恋愛秘話。愛し合うが、戦争がふたりをひきさき、二人とも別の道をいく運命になりますね。

このあたりは、イタリア映画の傑作の「ひまわり」とも似ていますね。

最後のシーンが、また、メリルストリープ、クリント・イーストウッド のラストシーンをも連想させますね。マディソン郡の橋でした。

時は流れて1963年の雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、ギィのガソリンスタンドにベンツが入ってきた。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には娘のフランソワーズがいた。給油に出てきたギィは運転席の人物に気づき、事務室に招き入れる。短く言葉を交わして互いの無事を確かめ、給油の終わったベンツはスタンドを出ていった。

いやあ、映画ってほんとうにいいですねえ。<淀川氏に似てきます・・がははは>

昔、自分たちが愛しあったことは間違いはない、でも目の前の現実を乗り越えるためには別々の道を歩みはじめなければいけない。気がつくと、昔愛した彼女は幸福そうだ・・・。というわけですね。

この映画のことをいろいろ思い出しながら、私はバスの中で、ガイドさんの説明を聞いていました。まあ、詳しい事詳しいこと。いろいろ教えてもらいました。

ノルマンディーの美しさ。

ノルマンディ地方は、ワイン用の葡萄の栽培には適していませんが、代わりに上質なりんごを使ったシードル造りが盛んです。カルバドゥスですね。また、どの町にも必ず一種類は特産のチーズがあると言われるほどチーズの種類も豊富で、日本人が大好きなカマンベールチーズも、もともとはこの地方の特産品だったものです。

そんなガイドさんの、熱弁を聞きながらiPodも聞かずに五時間の間、車窓を楽しみました。

とにかく、牛と羊がたくさんいましたねえ。

頭の黒い羊が・・・

美味しいらしいです。

コタンタン半島にあるシェルブールは、海軍基地がある港町です。1964年にカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画、『シェルブールの雨傘』の舞台にもなりました。町の外れにはトゥル-ビル城など、中世を偲ぶ建物も残っています。と、ガイドさんから説明があった時には、おっこの人もやはり同じ時代を生きたんだなと、ひとりにやり。50代過ぎの男性ガイドさんでしたね。

あと発見は、映画の「男と女」、そして、「地上最大の 作戦」。ガイドさんにこれらもここで作られたと・・・

現代の作品では、「プライベート・ライアン」ですね。

これらの作品がつくられた場所に向かって、ノルマンディーの自然の美しさの中で、バスは必死に時速100キロほどで飛ばしてます。

   ちょっと、書いても、「地上最大の 作戦」。こんなすごい人ばかり。<若い人はわからんでしょうが・・とにかく凄いんです>

ベンジャミン・バンダーボルト中佐(アメリカ陸軍第82空挺師団第505空挺歩兵連隊第2大隊長):ジョン・ウェイン

ノーマン・コータ准将(アメリカ陸軍第29歩兵師団副師団長):ロバート・ミッチャム

セオドア・ルーズベルト准将(アメリカ陸軍第4歩兵師団副師団長、第26代大統領セオドア・ルーズベルトの子息):ヘンリー・フォンダ

ジェームズ・M・ギャビン准将(アメリカ陸軍第82空挺師団副師団長):ロバート・ライアン

ビーア中佐(アメリカ軍駆逐艦艦長):ロッド・スタイガー

フラー軍曹(アメリカ陸軍第29歩兵師団所属):ジェフリー・ハンター

レンジャー隊隊員(アメリカ陸軍第2特別遊撃大隊所属):ロバート・ワグナー

レンジャー隊隊員:ポール・アンカ

そして、ショーン・コネリーも、ちらりと。

コーネリアス・ライアンによるノンフィクション「The Longest Day」(邦題:「史上最大の作戦」)を元に映画化されたんですね。第二次世界大戦における連合国軍のフランス・ノルマンディー海岸への上陸作戦「オーバーロード作戦」を取り扱った戦争映画です。この映画のことを、ガイドさんが、大好きらしく、30分程熱弁ふるってましたね。

こんな素晴らしい映画見ない人は、アホだとまで。

そして、三回もトイレタイムを取り、バスの中で個性的な男性ガイドさんのマニアックな熱弁にもそろそろ疲れ果てたころに、それは、突然に、雨の中に、現れ始めたんです。

このときの、感動。

来たー!!! ですね。

くっきり遠くから見えた時には、昔の聖職者の方々がはるか遠方から歩いてここまで来た気持ちがすこしは理解できました。昔は、このへんの海で、満潮になって死んだ人がたくさんいたらしいです。

じーん。

  ただ、ひたすら、バスの車窓をにらみ続ける私でした。

◎六時間まるまるかけて、二時間のみの滞在。そして、また、まるまる六時間かけて、パリにもどりました。こんどは、是非、滞在したいと思った旅でした。

◎資料

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。

708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。

966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。

利用変遷と堤防造成

堤防造成による鉄道・道路(1905年)

百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン=サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。

18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。

堤防の造成

19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。

世界遺産への登録

1979年にはユネスコの世界遺産に登録された。2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。