五木寛之氏とモハメド・アリ |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 クリントンや、タイガーウッズの話を出すまでもなく、公の場での芸能人や政治家のアノ手の話は最近とみに聞けなくなった。
 昔は有名な話で吉田茂氏だったか、愛人をあなたは一人もっているそうだがと質問されて、馬鹿野郎二人だと言ったとか言わなかったとか。
 フランスの大統領なんかは、妻以外の女性の存在を問われて「それがどうしたの?」と答えたことが新聞なんかにのりましたネ。
 日本は会田雄次先生なんかに言わせると戦後はいわばある意味でのヒステリー社会みたいなものになってしまい、常に「正しいことばかり」が求められる偽善的な国になってしまって、平安時代以降の日本独特の美学よりも、経済的な拝金美学が横行してしまっている。
 そこでは金があって健康だということだけが求められて、皆、人から愛されようと必死に頑張っている社会だ。年間に30000人もの人間が自殺する事実がこの国の本音で生きてはいない無理する体質がにじみ出ている。
 
 五木寛之氏の旅の幻燈という傑作自伝本を読んでいて、彼とともに麻布のレストランの二階で食事ををした時に五木がプロボクサーのモハメド・アリにこうたずねる。
 「ボクサーにとって女はどのような存在なんですか」と。
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 五木氏はアリのイメージから、頑丈でマッチョな荒々しい男を想像していたようだが、反してアリはその時には白身魚をたのんでフォークを使わずに指だけで白身をほぐしていたらしい。
 その静かな気配を漂わすアリに当然作家の五木氏は良いイメージを持った。

 イスラム教のスンナ派だったアリは、戦いの一年前からは禁欲していたと言われているが、公の言に対しては慎重なるアメリカ人であるアリに配慮し、次にこんなふうに聞いた。


 「もっとちがった意味での質問なんです」

 彼は骨だけになったヒラメをそっと皿の上にもどしてうなずいた。
「私は女性はミニスカートをはくべきではないと思います」

 この言葉の裏には「ぼくは公の人間である以上、どんなことをしゃべっていいか、悪いかとうぜんあなたはそれをわかっていてくれるでしょうね」というメッセージがふくまれる。

 そこで、五木氏は執拗に作家として次のように質問をする。もちろん伏線として、ひどく道徳的な女性論をぶちかました後で・・・

「ミスター・アリ。あなたの記憶の最初の場面について話してください」
 
 「最初の記憶?」   「わたしの?」

 彼はあっけにとられたように私を眺めた。
 そして、それまでの応答とはまったく違う口調で、ひとりごとのようにしきりに何かつぶやきはじめた。


 「さあ、なんだろう、最初の記憶か。うん、そうだ、あれかな? いやちがう。ちがう、それはたぶん・・・」

 彼は困惑し、なんとかほんとうのところを喋りたいと必死に額に汗をかかんばかりの表情で考えていたのである。

 「なんでもいいんです」と五木氏が言うと、「いや、そうはいかない。うーん」

 突然、彼は両手をぽんと叩いて、そうだ、と短く叫んだ。

 「あれは何歳くらいの時だったろう。引っ越しだ、引っ越しをしてどこかへ移った。あたらしい家だ。私がそこへまっすぐはいっていくと、母親がいた。それから私はすたすた部屋を横切って庭へ出たんだったっけ。庭、そう庭だ。そこにリンゴの気が一本うわさっていた。そのことを母親に話すと、母がなにかを言ったんだ。」


 アリの目の奥に一種の喜びに似た色が浮かんだという。
 彼は皿の上でヒラメの骨をいじりながら、
「そうあれがたぶん、五歳か、六歳の頃だと思う」


 「あなたの母親はあなたになんといったんですか」

 「うーん」
 「よく覚えていないです。しかし、私は子供心に、なにか妙にセクシュアルな印象をうけたことを記憶しています」

 質問を終え、ふたりがレストランを出る時にアリは嬉しそうにこんな質問をされたのは初めてだと、二度繰り返して言い、こんどあなたとあった時には、あんたが最初に記憶していることをうかがいますよ、とアリは言ったと。


 五木氏は記憶というものは皆こころの中で再構築されるものだと考えている。
 したがって脳やらがこれは記憶しよう、これは記憶しないほうがいいと選択しているのだと、書いている。
 私も当然その考え方に賛成だ。
 そこでは裸の真実は虚偽であり、つくられた虚偽は真実に少し近づくという構造になっているのかもしれない。
 その意味では人は作家でなくても、皆自分の人生を記憶の再構築によって何回も何回も他人に語ったりしているうちにそこに「物語」を作り上げているものだと思う。

 そして、いつも書いているようにそのパターンがおもしろいのであり、物語のタネ=シードみたいな原型は必ずあるのだと私は思っている。

 このエピソードの中の「セクシュアル」というアリの言葉もまた、男子のこの世に生まれて出たからはじめての脳による、身体全体による、sexual 体験なのであり、皆こころの奥の奥にひそやかに眠っているものなのだと思う。

 もちろんこの場合、私も五木氏もアリも男なので、女性にとっての意味ありげな「最初の記憶」というもののセクシュアリティについては私はまるっきしわからない。