どんな本を読んでいるかが、いざという時にその人の振る舞いに出てくる
私は、まず自分の先祖を愛する立場、先祖に誇りを持つ立場から日本史を見てみたい。愛と誇りのないところに、どうして自分の主体性を洞察できるだろうか
- 渡部昇一
この文庫ももはや、本屋にはありません。
私も過去いろいろな本に影響を受けてきましたが。
心からこれは良し、と思った本は数冊。
この本は、そのうちの一冊です。
記憶力、クワイティイズム、日々の少しの時間の使い方、食べ物と飲み物のエピソード、歌詞の記憶、名曲喫茶、ふたつの知性、鷲とダチョウ、哲学者と農夫、沈黙のすすめ、知と智
とにかく、すべてが驚くようなヒントに満ちあふれていて、私はそれを20代で読んでいてどんなに会社で役に立った事か、感謝の気持ちを素直に持てる本。69歳の今でも、読み直す。
この本のおかげで、以前の会社で、日本一のグロスの池袋パルコ店の店長、マネージャー、部長、統括部長になったようなもの。
そして、その白眉。
私の今でもこころの核になっているのは、ふたつ。
ひとつは、「智というものはもともと受動的なるものである」という言葉です。
五木寛之の「他力」にもつながる言葉かもしれない。
写真家の野町かずよしさんではないが「今の日本人は宗教から一番遠ざかっているのではないか」という言葉も思い出します。
ニュートンも人類最初の科学者とも言うし最後の魔術師とも言われていた。
彼が世界的な重力の発見をはじめとしてほとんどの有名なる彼の発見は、20-23歳ぐらいに集中しているのだが、彼はガツガツと科学の勉強を積み重ねをしていたわけではないのです。
それよりも、日々、たしかペストか何かがはやっていたので、<今で言えばコロナ>
そこから逃避してのんびり田舎で暮らしていたのです。
そしてある日、彼はこころの内側からの声を聴くのです。
智はむこうからやってくる、それがインテレクトである、そう彼は分析しております。
そしてこの言葉は私の座右の銘だと言ってもいいぐらいです。
沈黙。
何もしないこと。
こころの内なる声に耳をすます。
極端に言うと、「瞑想」までそれは努力の一種なので否定するヨーロッパの宗教団体の一派があったそうですから。
それと比較すると。
現代の我々がやっていることは、すべて、ほとんどが、インテリジェンスの働きですよね。
能動的に、ガンガンと、これまでの人類の知恵や知識を吸収しようと日々頑張っているわけです。
渡辺昇一さんは、このふたつの知。
つまり、知性というものは、実はふたつあって、知はインテリジェンスで、智はインテレクトなんだと、若い私に教えてくれたんです。
だから私は、会社が営業畑ですから、昼間はインテリジェンスで必死にガリガリ働きました。
夜ともなれば、なるたけ、身体をリラックスさせて音楽でも聴く時間をつくりましたね。もちろん、どちらの知と智、ふたつとも大切なのですが、ともすると現代人はインテレクトの智を忘れがちですよね。
だから、何もしない日々のことを私は稲垣足穂の言葉から「無為の時間」と命名しました。
友達に、休みの前の日に、「明日は無為にすごすんだ」と、言うと
彼は、 「なんだ? 無為って」と聞き返します。
そこで私は、 「だから、無為だよ」「なんにもしないんだヨ」
すると彼は「怠け者」と笑います。変人と思われたでしょうが。
思われた方が生きやすかったです。
また、あいつのことだから、しょうがない、そう思わせればこっちのものですから。
そうすると、誰からも、誘いがこなくなるわけですから、一日、のんびりすることができました。
車も乗らず。
ゴルフもせず。
変人と思ってもらう。
だから休みの日は本が読める。
「何もやらない」ということの大切さをこの本は教えてくれました。
ただ、黙っているのです。何時間も何日も。
20代の頃。
懐かしや。
日本の昔の天才歌人達の歌。
なんと、星やら山やら海やら雪やら、自然の何かを歌っていることでしょうか。
皆、平安時代などは、真夜中でもずーと朝まで星を見ているなんていうことが
あたりまえの時代なんですよ。
これは日本だけではなくて、西洋でも同じです。
人は自然とともにいたのですから。
ソローの森の生活もそれです。
『僕が森に行ったのは、思慮深く生き、人生で最も大事なことだけに向き合い、人生が僕に教えようとするものを僕が学びとれるかどうか、また死に臨んだときに、自分が本当に生きたと言えるのかどうかを、確かめるためだった。』- ソロー 森の生活
もうひとつのヒントは、女性特に母のインテレクト、として、昔の女性が、キルトをつくったり、刺繍をしたり、編み物をしたりすること。世界のどこの国の女性たちが。
「無意識」の時間、がいかに昔の女性が皆知識はなかったが、知恵すなわち、インテレクトがあったか。!!!
これは私は膝をたたいて、感銘したことを今でも懐かしく思い出します。
何時間も何時間もストーブの横で子猫と一緒に、何も考えずに編み物に没頭する。もちろん絵を静かに描くこともよし。
この受動性が彼女たち 昔の女性たちの脳の働き、直感の働き、智慧、インテレクトを高めたのではないか?
そう書いております。
確かに私の父、母。
父は大工仕事。母は刺繍をやっとりました。
おばあちゃんも、おじいちゃんも、本も読まなかったですし。
静かに農作業。
いつも庭でぼんやり草花や夕日を見ておりました。
そして。
知識もないのに。
大学を出た頭でっかちの連中が、びっくりするようなことを。
ふと。口にする。
そして。
インテレクトの生活をしていると。
最後は、何者かに生かされている自分を発見。
感謝の気持ちを深く大きく抱くようになる。
そんな風にわたしは考えました。
情報の海に溺れそうな時、私はこの「クオリティライフの発想」をいつも読み返してきました。
とはいえ。
50年前にポケットに入れて、バスに揺られながら、満員電車で、読んでた本ですから。
今の自分があるのも、この本のおかげだなあ、とふと今日感じた次第です。