村木 厚子 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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村木 厚子(むらき あつこ、1955年昭和30年〉12月28日[1] - )は、日本労働厚労官僚津田塾大学客員教授旧姓西村(にしむら)[2]

2008年に厚生労働省4人目の女性局長として厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を務めた後、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)、厚生労働省社会・援護局長を歴任し、2013年7月から2015年9月まで厚生労働事務次官を務めた。

厚生労働省退官後は、内閣官房孤独・孤立対策担当室政策参与、伊藤忠商事取締役、住友化学取締役、SOMPOホールディングス監査役コニカミノルタアドバイザー、大妻学院理事、土佐中学校・高等学校理事、若草プロジェクト代表呼びかけ人、NPO法人抱樸希望のまちプロジェクト顧問など。

経歴[編集]

前史[編集]

村木(左)とダイアナ・ディゲット英語版)アメリカ合衆国下院議員、次官時代の2013年にディゲットの事務所で

高知県出身。幼い頃は人見知りで対人恐怖症(本人談)の読書好きな少女だった。自由な校風に憧れ、土佐中学校・高等学校に入学する[2]。同校を卒業し[3]高知大学文理学部経済学科に進学した[2][4]社会保険労務士の父の背中を見て育ち、大学卒業後の1978年に、労働行政を所管する労働省に入省した[4]。なお、その際の国家公務員採用上級甲種試験では、高知大学からの合格者は村木1名だけであった[4]

官僚として[編集]

東京大学出身者の男性キャリアが多い霞が関中央省庁幹部の中では、珍しい地方国立大学出身の女性で、さらに厚生労働省では少数派の旧労働省出身であった。事務処理能力や、頭の良さ、法令知識などが特に目立つような存在ではなく、誰もが認める次官候補や、エースと呼ばれるタイプではなかった。

しかし、障害者問題を自身のライフワークと述べ、人事異動で担当を離れた後も、福祉団体への視察を続けるといった仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができる、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていた。そのため、女性としては松原亘子に続き2人目となる事務次官就任の可能性もささやかれていた[5]

2008年には、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長に就任した。

冤罪被害[編集]

障害者郵便制度悪用事件」も参照

2009年6月、社会・援護局障害保健福祉部 企画課長時代に、自称障害者団体「凛(りん)の会」に偽の障害者団体証明書を発行し、不正に郵便料金を安くダイレクトメールを発送させたとして、大阪地方検察庁 特別捜査部長大坪弘道や副部長の佐賀元明の捜査方針のもと、虚偽公文書作成・同行使の容疑で、同部主任検事の前田恒彦により逮捕された。

村木の逮捕を受けて、舛添要一厚生労働大臣(当時)は「大変有能な局長で省内の期待を集めていた。同じように働く女性にとっても希望の星だった」と、容疑者となった村木へ賛辞ともとれる異例のコメントを発表した[5]

翌7月、大阪地方検察庁は虚偽有印公文書作成・同行使の罪で村木を大阪地方裁判所に起訴した。取調べの中で担当検察官の國井弘樹は村木に向かって、和歌山毒物カレー事件を例に挙げ「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」といい、否認を続けることで冤罪で罪が重くなることを暗示し自白を迫ったという[6]

逮捕から5ヶ月が経過した2009年11月、保釈請求が認められ、村木の身柄が解放された。保釈後の記者会見では弁護士の弘中惇一郎と厚労官僚の夫も同席して容疑事実を強く否定し、改めて無罪を主張した[7]