なにも日本の古き良き日が 全て良いとは思わない。
でも。私のようにコッキーが近づくと、ふと、いや いつも思ふ。
私も、みんなと同じように、結婚したいけれども、自分のことを好きになってくれる異性が現れるか、高校生の頃は毎日心配で夢見ていた。
もう毎日のように。それは、今から思えば、心配なのか性欲なのかわからないくらいに混沌としていて。夢に出てきた。
深夜放送。好きな女の子に、カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」をプレゼントしては、自己満足していた。
違う高校だったので。たまに、ハガキが来てありがとうと言われて、嬉しかった日々。
大学に行く時には。当時はやった、pen palの東京に住んでいる女の子と、確か、神田あたりで、喫茶店に入り、お茶を飲んだ。
「 もうちょっと大人になったらわかるよ」と言われたのは。
彼女がすでに恋をしていたから。私はその意味がわからず。なにをこの人は言っているのだろうかと思ってたけれど。今なら、男として見られていなかったということが、よくわかる。
大家族。
私の父の家系は、岩手県。一関。
昔ながらの、藁葺き屋根に、牛を飼い、乳を搾っては、生活していたことを小学生の頃に、父の母親が死んだ時の葬式に北海道から行って、初めて体験。
父が言うには。
「お前は、コメの中に石が入っていると米を食わなかったんだ」と 言われたことを思い出す。
大家族だった。
13人兄弟。
父は上から三番目。二番目の兄はアルコール中毒で死す。
その藁葺き屋根の形態は確か、遺産に指定されていて、食事中に、どこかの学校の生徒たちが、見学に来ていたことを今思い出す。
二階の部屋に繭を飼ってた。
搾ったばかりの乳は、臭くて、飲めず。
父の兄弟の嫁さんたちが、全員来ていて、葬式が一週間くらい続く風習なので、台所に全員が立って、料理をしていた。
はっきり記憶はないけれども。
玄米ご飯。
わらび餅。栗餅。たくさんの種類の餅。
でかい鍋が囲炉裏にあり。そこで、野菜を煮ていた。
くるみ。
搾ったばかりの乳。
おそらく。豆腐やら、こんにゃくやら、ひじきやら、肉やら、野菜やら、
それぞれの嫁さんが得意な料理を、一番上の嫁さんはいなかったけれど なぜか 、つまり父の兄弟の中の父の妹がリーダーだったので、その彼女が指揮して、笑いながら、みんなで、ほとんど料理を作っていたことを思い出す。
続く
資料 何か思い出すことはないか