jazz喫茶が、私の大学だった。
わが青春時代。1948年から。
講義も学生運動の余波で、休講ばかり。
二年間も誰とも口を聞かずに、自律神経失調症になった私は、とにかく、本が友達だった。
めまい、吐き気、生あくび、不眠、視線恐怖、対人恐怖と戦いながら、二年間を過ごしたことは今となっては良き体験です。
三年目に少しずつ、声をかけてくれる友達が出てきてくれて、助けられました。
部屋にまで、遊びに来てくれて、きっと変人なんで、気になったんでしょうか。^^
(もうここまで、ひどい青春を送れば、あとは落ちるところまで落ちましたから、何をやっても楽しく感じることを、会社に入ってからは、感じました。
番頭はんと丁稚どん。そろばんからスタートの就職時代でした。
三島由紀夫が「反時代的なことをやれ」、という言葉に打たれ。
要は、時代遅れのことをやれ、ということですね。)
それに、私は「一夜漬け」とかテストにでるところに山をかけることが本当に苦手でした。
だから高校生の時から勉強は下の下。
くらい青春。
大学の講座にも、全く興味が持てずに、澁澤龍彦、三島由紀夫、小林秀雄、坂口安吾、開高健、吉行淳之介、サド、コクトー、ラディゲ、オスカー・ワイルド、シェークスピア、ばかり読んでいました。苦手な、統計とか経済とか、比較なんとか論とかの学期末テストには、全部、小林秀雄の文章を暗記して、真っ黒に埋めました。その頃は先生も、ユーモアやウィットがあったのでしょう。満点をくれました。おかげで、好きなことだけを答案用紙に書く作戦で、優を48個とりました。それは何にも意味のないことですが、懐かしい思い出です。
そして、jazz喫茶にそれらの本を持ち込んではタバコを吸う日々。
金もなかったので、ハイライトです。
バイトは、あえてしませんでした。就職したら本は読めなくなるだろうと考えました。それは的中しました。最初の一年間は、朝の5時から6時まで。それからディスコ。それも仕事仲間たちと。真夜中まで働きました。^^月の休みは、二日くらいです。多い時で三日。
旭川から札幌に転勤した後も。最高で、展示会だったから三ヶ月間休みなし。←しかも朝の七時から深夜の三時まで。信じられないかもしれませんが、事実です。お客様への手紙書きが、深夜の仕事でした。延々と書きました。
きちがいのように働きました。
気がつくと神経症の病気は治っていました。感謝です。
汗だらけで、体を動かし、友達と競うことで、体にカツが入ったんだと思います。
もう朝の7時から真夜中まで、接客でした。よくあれだけ働いたと今では感心して思い返します。
若さというか、バカさですね。^^
ですので。私のとっての青春はjazzと、disco、jpopです。
横浜の「千草」「リンデン」「ダウンビート」・・・
55歳の時に、退社して、懐かしきそれらの店に行きましたが、残っていたのは「ダウンビート」だけでした。
名前が忘れていましたが、ふと、jazzバーに入って、生ライブを聞いて、そこのマスターと、植草甚一さんの話題で盛り上がったことを思い出します。